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第73話

 そこから先もあっという間に話が来まり、あっと言う間に引っ越しをすることになった。本当に売りたかったらしく、手続きも何も全部あっちがやってくれて、言われた書類を用意するだけ。動く金額は大きいけれど、正直こんなに簡単なのかと思うくらいに事はすすんで、唯一のハイライトといえば「どうせなら現金で支払いしとけ」と言われて札束を積んだくらいで。  曰く「お金詰まないと買った実感がないし、この先こんな金額の自分のお金はそうそう見ることないから、一度見ておけ。ドラマみたいで面白い」だそうで。まあそれもそうか、と現金を用意した。  何度か顔を合わせたことはあるだろう程度の親戚は、現金で支払うと言ったら(と言っても、伝えたのは両親だが)会いに来てくれて、あの家の想い出話しなんかもちょっと聞いた。  落ち着かないまま早々にテーブルの上に現金を並べて、同じように落ち着かない様子で、やっぱりドラマみたいと言いながら現金を受け取る。なんかその妙に浮ついた顔合わせも、後から考えると確かに悪くなかった。  買ったという実感もそうだけれども、宮下も一緒にいればなぁ、と感じた寂しさも。今すぐにでなくても、ずっと一緒にいるつもりだと伝えたら、「いつまでもひとりで」と自分より俺の老後の心配をする両親も少しは安心するんだろうか、とか。  どのタイミングで言うかはまだ決められないけれど、それでもいずれは──。  と、こっちはひっそりと覚悟を決めていたというのに。  手続きが終わったことを報告しながら、引っ越しの準備をしていた時のことだ。 「姉ちゃんに同棲するって言ったら応援されました」  数少ない食器や鍋を箱に詰めながら、何の含みもなくそう言われて驚いた。 「同棲……、って言ったの?」 「そうですよ。梗平さんとっていうのも言いました」 「はぁ? ……大丈夫だったのか?」 「大丈夫というか、応援されたんで大丈夫なんじゃないですかね」  あっけらかんと言われて、ぽかんと口が開く。 「それ、ご両親は……?」 「そっちはまだ知りません。ていうか、そっちの作戦立てたくて」 「作戦?」 「伝えたら、たぶんびっくりするかなって」 「そりゃ……、するだろうけど」 「なので言うタイミングとか。家を出ようかと思ってるってのは言ってあるんですけど、できるだけほっといてもらった方が俺は楽なんで」  言ってることはわかるが、軽い調子で告げられる内容についていけなくて混乱する。 「俺よりも姉ちゃんたちの方が親の扱いうまいんですよね。せっかくだから協力してもらおうと思って聞いたんですけど、どうやら上の姉も結婚しそうとか、一緒に暮らすとか言ってるらしいんで、どさくさにまぎれようかと思って」 「家を出るのを?」 「梗平さんと同棲しますって言うのを。法律的に結婚とはいかないですけど、そういうつもりってのまで含めて」 「……そこまで……?」  正直、いつかはと思っていたけれど、今、両親に告げるところまでは考えていなくて、言葉を失う。 「梗平さんには迷惑かけないですから」 「いや、ごめん。迷惑とかじゃないけど、ちょっとびっくりして……」 「考えたんですけど。多分、今のタイミングが一番バタバタしてるんです。春に真ん中の姉ちゃんの赤ちゃんが生まれるし、上も結婚するかもって、どうやら彼氏と顔合わせもするみたいなんですよ。まあ、上の姉ちゃんは一番しっかりしてるので、文句の付け所ない人連れてくると思うんです。  真ん中の姉ちゃんが言うには、一番浮かれてる今のうちに言っておけば、孫と結婚に夢中で俺にかまっている暇ないから大丈夫だろうって。気が付いたときには、一緒に住んでるなって状態でもう文句も言えないだろうし。  俺もそうだと思って……。宮下さんがうちの親に会ったりはしなくてもいいので、伝えておくだけって思ってるんですけど……、ダメですかね?」 「ダメ、ではないけど……、ちょっと待って」  最後は気弱に言うとか、ずるいな。そんなの、ダメかと聞かれてダメなんて言えるはずがない。いや言ってもいいんだろうけど、こういうことは後になるほど何となく言いづらくなるのはわかっていた。 「言うの、ほんとうに?」 「ええ。梗平さんが良ければですけど。言わない方がいいなら言いません」  キッチンの上棚を片つける俺を見上げて言う。見慣れているはずだけれど、こうやって改めて見ると、いつもやや上に見上げる視線を見下ろすのは少しどきりとする。 「いや、言っていいよ。それに、言うなら挨拶もする」 「えっ……」 「なんだよ、そこまで言っといて挨拶しないわけにはいかないだろ」 「まあ、そう……ですかね?」 「そうだろ」  一応、息子さんを預かりますではないけれど、なんだか保護者として、みたいな気分になりながら言った。けれど、百歩譲って相手が男だということが認められたとしても、もしかしたら宮下のご両親に年齢が近いかも知れなくて。 「一応聞くけど、ご両親て何歳?」 「五十歳くらいかな」 「そっかぁ。だよな……」  そうだろうと思ってはいたけれど。うっかりしたら友達のの兄姉だっておかしくない年代だ。そう思ったら、久しく忘れていた罪悪感がちくりと胸を刺す。 「もしかして、梗平さん、親との方が年が近いんですね?」 「まあな」 「……年上の方が好きだったりします?」 「は?」 「ウチの親のこといいなーって思ったりとか……」 「ハァ!? ないない、それはない」 「だって、わかんないじゃないですか。俺、父さん似だし、なんか最近ますます似てるって言われて……」 「へぇ。それは、見てみたいな」 「じゃ、やっぱダメです。会わせられません!」  どこまで本気かわからないけれど、そんなことを言う宮下に笑う。 「本当に無いから」 「だって、きっと親との方がジェネレーションギャップとかないでしょ?」 「そうかもしれないけど。……奎吾は俺とそういうの感じてる?」 「俺はあんまり感じていないですけど」 「な、俺もそうだから。昔の話しとか伝わらないなってこともあるし、若いなーってびっくりするあるけど、それだけっていうか、それで距離感じたりはしないだろ」 「それはそうですね」 「なので、親父さんの方がいいとかはありません」  キッパリと言ってやる。宮下はそれに納得したのかしないのか。ならいいですけど、と返事をした。 「むしろ、そういうの気にするのは俺の方だろ。奎吾は若いんだし、男じゃなくたっていいんだしって思ったらさ。他にもいっぱい選択肢あるし」 「だけど俺は梗平さんしか興味ないですからね!」  意気込んで言われて笑う。 「わかってる。……っていうか、わかってるって思うことにしたから。考え始めたらキリないし」  棚の中を拭き終わってパタリと開き戸をしめ、踏み台を下りる。しゃがんで流しの下から必要なものそうでないものを分別していた宮下が見上げたそこに、屈んでこつんと額をぶつけた。  宮下の気持ちも、それが続いていくっていうことも、とりあえず信じることにしたから。不安でいるよりも、前向きにいられるように、そう決めた。だから、 「奎吾も、俺には奎吾だけだって傲慢になってればいいよ」  実際そうなんだし、と上向いた宮下にキスをした。

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