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第74話

 引っ越し先の家にはもったいないことに冷蔵庫や家具も残っていて、二人暮らし老夫婦の残したものは家に馴染んで案外調子が良かった。全て新しくしようかと提案もしたけれど、あるものを使いながら徐々に必要なものをそろえることにして、移動させたのはこまごまとした日用品と衣類と一部の家電だけで、引っ越しはごく簡単に済ませられた。  家の中はキッチンとそこに繋がる広いリビングが庭に面していて、その奥に個室が2つ。独立したバスルームとトイレにウォークインクローゼット。  リビングに残されていたダイニングテーブルはそのまま、家電は引っ越し先から持ってきたものと買い替えたものを設置していく。個室に残されていたそれぞれのベッドを一部屋にまとめて繋げ、キングサイズのベッドにして、残った個室にはソファベッドを置いた。  さすがに可愛らしい花柄のカーテンは外して、無地のものにかけ替えると、ずいぶんと家の中の雰囲気が違って見える。 「カーテンだけでだいぶ違って見えますね」  最後のカーテンのフックをかけ終わった宮下が振り向いて言った。たった数センチだけれども、背が高いとこういう作業は楽そうに思える。 「それだけでちょっと人の家って感じが減るな」  土曜日の午後。とりあえずの段ボールはリビングに詰んだままで、とりあえず大物だけは設置し終わった。  休憩に入れたコーヒーを指して、こっちにおいでとストーブの前のベストポジションに設置されたベンチに宮下を呼ぶ。部屋の中は程よく温まっているけれど、冬の定位置はストーブの側が小さな頃からの習慣だ。  本当に庭を眺めるのが楽しみだったらしく、部屋の中には立派な一枚板で作られた木製のベンチが残されていた。処分しようかどうか迷っていたそれに宮下が座り、いただきます、と行儀よく言って宮下がコーヒーに口を付ける。  立派なベンチは宮下が座るとずいぶんと絵になって見えた。 「そのベンチ、家というよりカフェにでもいるみたいだな」 「あぁ、立派ですよね。なんの木なんだろ?」 「桜だって。庭木で作ってもらったって聞いちまったから売りにくくて」  ふーん、と宮下は家の中をぐるりと見まわして、それから言った。 「本当に大事にしてた家なんですね。俺たちも大事にしないと」 「そうだな」  宮下のこういう素直なところは、やっぱり好きだと思い直す。そんなこと思ったものだから、じわりと頬が熱くなった。  梗平さん、と名前を呼ばれて隣の宮下を見ると、ちゅと頬にキスをされる。 「なんだよ、急に」 「んー…、なんか可愛い顔をしてたので。キスして欲しいかと思って」  そう言われてカップを落としそうになり、カップを握る手をぎゅっとにぎる。 「また、そういうことを……」 「へへっ。あー、早く俺もここで一緒に住みたいな」 「そのうち、すぐだろ」 「そうですけど、ちょっとでも早くがいいじゃないですか」 「お姉さんたちと作戦立てたんだろ」 「そうなんですけど」 「じゃあ、待ってるからがんばれ」  はぁい、と仕方なく言った宮下の唇がもう一度頬に触れて離れる。  結局、お姉さんたちとの作戦会議の結果、同棲っていうことはしばらく伏せておくことになった。理由はお爺ちゃんが驚いて死んじゃうかも知れないから、なんておどけて言っていたけれど。  お姉さんがいうには、お母さんはともかく、きっとお父さんが動揺してそこからお爺ちゃんまで伝わるだろう。さすがに高齢のお爺ちゃんを驚かすのは可哀想だから、とりあえずお爺ちゃんが生きているうちか、三十歳くらいまではルームシェアという名目になった。  宮下はえらく残念そうで恐縮がっていたけれど、正直なところ少しほっとした。  それでついでに、ルームシェアならすぐに引っ越さなくても、時間を置いた方がいいんじゃないかということになって、年度末の繁忙期を過ぎてからということになった。  簡単に言えば、家の中をちゃんと片付けてから引っ越しなさいよ、ということらしい。職場や俺の前ではそれなりにマメな宮下だけれど、家での姿は違うようで、それはそれで少し新鮮だ。  もちろんその時には、恋人とは言わなくてもちゃんと挨拶するつもりでいるけれど。  まあでも、それはまだ少し先の話。  その前に何とかして年度末の仕事は乗り切らないといけないし、この家の中も少しは片付けたい。けれど一度座ってしまったらもう動く気にならなくて、とりあえず今日はそこそこ疲れたしとさじを投げた。 「今日はこの辺にしよっか」 「でも、もうちょいやれますよ」 「あとは寝る場所作って、風呂入って、飯食って、必要なやつ出してけばいいだろ」 「なるほど、そしたら無駄ないですね」 「とりあえず俺は風呂掃除するな」 「じゃあ、他は俺がやります。飯はどうします?」 「何もないから、外食か買って来るかしかないぞ」  荷物を運ぶのが面倒くさくて、食材はのきなみ食べ尽くして来たから、冷蔵庫の中も、他も、米と乾麺すら残っていない。せいぜいが調味料だけだ。 「じゃあ何か買って来て。家でゆっくりしましょう」 「そうだな。動くの面倒くさいし、外は寒そうだしな」 「これから外に行くんですけど?」 「奎吾は若いから大丈夫。年取ると寒いのも面倒くさいんだよ」 「じゃあ、夜はしっかり温めてあげますね。一応これも初夜ですかね?」  軽口を叩くと、にやりと笑った宮下に軽口で返された。平気な顔をしたいのに、つい赤くなるのが恨めしい。 「風呂は一緒に入りましょうね」  追い打ちをかけるように言って、おう、と返事をする前にあごを捉えられてキスされる。  本当に、宮下はすぐに気安くキスをする。嫌ではなくて、嬉しいんだけど……。そうされる度になんだか手綱を取られているみたいで、少しだけ悔しくなった。

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