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第4話 神無月上旬
我ながら大人げないことをしたとは思う。
けれど圭介なら許してくれると、どこか甘い考えも持っている。
施設にいた頃、何気なく応募した子ども向けの文学賞で大賞をもらった。何がどう転がったのか、俺は「天才少年小説家」として脚光を浴びることになってしまった。
《親のいない悲しみから、文学に救われた少年》
《暗い過去を糧にした作品が、読む人の心を震わせる》
《文芸界に突如として現れた神童》
まだ小学生だった俺は、自分の知らないところで自分が作られていくのが怖かった。根も葉もない噂だけが先走り、人前に出るのを恐れるようになった。
そんなある日、突然1人の老婦人が俺を引き取った。その人はとある大企業の社長をしていたそうで、退職して隠居生活を始めるところだと言った。
「あたしゃずーっと仕事仕事で、そういう年齢の時に結婚も子どもも興味がなかった。でも、今まで時間を捧げてきたものを手放すってなったら、どうにも寂しくてね。殊勝なことを言うつもりはないよ。1人になりたそうな子どもを探していたからお前を引き取ったんだ。矛盾しているかい? そんな家族がほしいだけだよ。無理に関わろうとはせず、互いの領域を持ち、互いの存在を感じ合うだけの。草太郎、お前はお前の好きに生きたらいい」
変わった人だと思った。だから俺はついていった。
ばあさんの口癖は、「芯の通っていない奴はだめだ」。誰よりも芯の通った人が言うものだから、いつだって妙な迫力があった。
そんな人の下で育ったというのに、俺は芯を通したことは一度もない。のらりくらりと、流れのままに生きてきた。
名前を変えてなんとなく小説を書いて、それが売れて、印税でその日の飯を食べて。疲れたら寝て、締め切り前に徹夜して、ずっと不健康で。楽しい時もあったが、ばあさんが死んで本当に1人になってからは何をしても生きている気がしなかった。
あの冬の日、門の前で倒れた俺は何もかも面倒になってしまった。
このまま寝てたら心臓止まるかなぁ。指先の感覚なくなってきたし、もうすぐかなぁ……なんて、そんな時まで流れに身を任せていた。
その矢先、俺は出会ってしまった。前途の明るいあいつらに。薄れゆく意識の中で、やつらの会話は眩しかった。あまりにも若くて。あまりにも日常で。それに少しでも浸っていたくて、勉強を教えるから飯を作ってくれなんて言ってしまった。俺のわがままにあいつらは嫌な顔ひとつせず、定期的に来てくれるようになった。
唇を重ねたのも気まぐれだった。嫌な言い方をすればその場のノリ。つくづく、自分の芯のなさにうんざりしたものだ。それでも圭介は俺に愛想を尽かさず、むしろ俺を意識するようになった。目が合いそうになっては気まずそうに逸らす圭介に、俺は他人事のように「健気な奴だ」などと思っていた。
圭介が1人で家に来た日は、俺が一番卑怯だった日だ。夕立と雷の音を半ば言い訳にしながら、俺はもう一度だけ触れたいと思ってしまった。そんな俺を圭介が真っ直ぐ見つめるものだから、ついつい「本気」なんて言葉にあてられた。そこまできても何もかも曖昧にしてしまう俺は、言い尽くせないくらいに卑怯な野郎だ。
昼夜の寒暖差がひどい時期になった。
学校帰りに俺の家に寄った圭介たちは、明日までにやらなくてはならない数学の課題に四苦八苦し、俺はそれを手伝っていた。
「くっそーわからん」
「鶫は授業中寝てるからだろ」
「いや、ちゃんと聞いてる僕も分かんないレベルだよ、これ」
「この課題出した教師誰だ? 面倒臭ぇ問題ばっか集めやがって」
瞬はともかく、あとの2人は頭を使いすぎて顔が茹で上がっている。そろそろ休憩にしたいところだ。
タイミング良く圭介が立ち上がった。
「何か甘いもん作ってくる。ついでに先生の晩ご飯も作り置きしたいし」
「んじゃ肉希望」
「和食ですか」
「そうだな。重すぎるのは胃がきついから」
圭介は愛想良く笑って部屋を出て行った。俺はここぞとばかりにストーブの電源を入れる。あいつがいる前でつけると「まだ寒くないでしょう。電気代がかかりますよ」と脅されるのだ。そうは言っても、金より命だ。気温が下がると脂肪の蓄えがない俺は真っ先に弱ってしまう。そんな俺の反抗は、圭介に「早寝早起き、ちゃんと食べてしっかり着込んでたら体は壊しませんから」と一蹴された。それから俺は、あいつの目を盗んでストーブをつけることにしている。
文明の恩恵を享受する俺に、鶫がにじり寄ってきた。何か言いたげにちらちらと視線を寄越してくる。
「どうした。ストーブはやらねぇぞ」
「ひど! やなくて! その……なんていうか、えーと……」
言い淀む鶫が、瞬のほうを振り向いた。助け舟を待っているのだろうか。可愛い恋人の期待に答え、即座に瞬が言った。
「先生たちって、結局付き合ってるんですか」
なんでもないように聞くので、適当に生返事をしそうになった。危ない危ない。
「まぁ、ご想像にお任せしますよ」
圭介はどこかの時点で瞬と鶫に、俺たちの間で起こったことを話していたらしい。4人でいる時は話題にしないが、圭介がいない時にこうして2人から質問される羽目になった。
鶫は不服そうに頬を膨らませた。
「鈴ちゃん、いっつもそうやって流すやん。でも圭介は嬉しそうに鈴先生といい感じになったーって言いよったで。やからついに付き合うことにしたんかと思って、付き合っとるん? て聞いたら何やよう分からん反応されたし。どうなん? 付き合っとるん?」
さっきまでのためらいはどこへやら、鶫は前のめりに質問を浴びせる。こうもはっきり聞かれると困る。だってその答えは、俺が一番分からないから。
瞬がため息をついて前のめりになった鶫の手を引いた。
「近づきすぎ」
「あ、ごめん」
助かった。
実際、あのまま待たれても俺は返せる言葉を持っていなかった。数ヶ月前、停電の中のやり取りはとても告白には思えなかったし、どんなに真っ直ぐに告げられても同じように返せるほど俺は勇敢じゃない。自分の魅力なんて知れているし、俺が圭介に与えられるものなんて面倒事くらいしかない。そんな俺にあいつの本気が注がれてたまるか。
どこから湧いてきたのか分からない反抗心が、俺とあいつの関係をはっきりさせようとしなかった。
でもなぁ、と鶫が頬杖をついた。
「圭介はまじで鈴ちゃん好きやと思うけどなぁ」
「……そういうのは本人が言わなきゃ意味ないだろ」
「せやけどさぁ」
「鶫、勝手に言ってやるなよ」
「んー」
線引きが上手い瞬に、また助けられた。
未だに不服そうな顔の鶫に、俺は小さく零した。
「まぁ、あいつ次第ってことよ」
鶫がはっとして身体を起こしたその時、ふすまが開いて圭介が姿を現した。噂をすれば影、と。
「お待たせしました。あったかいものがいいかと思ってこれに……鈴先生、また勝手にストーブつけましたね?」
「さみぃもんはしゃーねぇだろ」
「だからあったかいものを作ったんですけど」
「外からも中からもあったまるなんて。俺贅沢だな~」
「だったら消してください! まだ20度切ってないんですから!」
「うっせぇ! お前は俺のオカンか!」
言い争う俺たちの後ろで、瞬と鶫がやれやれとため息をついた。
「付き合う付き合わんの前にオカンと駄々っ子やわ」
「俺らがとやかく言うことじゃなかったかもな」
「せやな…………瞬、どさくさに紛れて腰に手回すな」
「なんのことやら」
どうやらこっちでも紛争勃発のようだ。
収拾がつかなくなる前に圭介が折れた。
「今日だけですからね。ほら、冷める前に食べましょう。お前らも、いちゃついてないで食べるぞ」
いつも通り劣勢の鶫が、すぐに食卓についた。こういう時の瞬発力は一級品だ。
鶫に逃げられて残念そうな瞬がのろのろと正座し、俺も圭介の隣に胡座をかいた。
そしてそろって手を合わせる。
「いただきます」
俺たちの目前には湯気を立てるスイートポテトが並んでいた。付け合わせは牛乳多めのカフェオレだ。
1人3個限りのスイートポテトをまず一口。ほくほくと崩れるさつま芋が、優しい甘味を口いっぱいに広げた。それが逃げないうちにカフェオレを流し込む。ほんのりと苦い香りが舌を包み、さつま芋の甘味と絶妙にマッチする。
「うっま~」
「もっと食べたい」
「食べすぎると頭働かないから。それに、夕飯前だし」
「やっぱオカン」
「うっさいな」
若人のやり取りを見るのも慣れた。いつまでも飽きないものだ。
それぞれ食べ終わり、勉強を再開する。瞬は自分の勉強に移っていて、圭介と鶫はもうひと頑張りだ。
「で、ここがこうなって……こっちで分解できるから……」
カフェインが効いてきたのか、頭が冴えている。2人もなんとか説明を理解しているようだ。
しかし数分後、俺の隣からは、すよすよと寝息が聞こえてきた。
「そうそう。んで、定理を使って…………圭介?」
ペンを持ちながら圭介は船を漕いでいた。
「圭介」
軽く頬を叩くと、圭介はびくっと肩を震わせてまぶたを押し上げた。だが何度かの抵抗も虚しく、圭介はついに机に突っ伏して寝てしまった。
「こいつが勉強しながら寝るなんて珍しいんじゃねぇか?」
「うん。オレらも見たことないよな」
「昨日徹夜したらしい」
こいつ、人に早寝早起きなんて言っときながら自分はがっつり徹夜かよ。
腹が立ったので顔に落書きでもしてやろうかと圭介の筆箱を漁る。どうせなら油性ペンでサインでも書いてやろう。こいつの妹が喜ぶかもしれない。
悪い笑顔を浮かべる俺に、瞬が言った。
「先生の新作読んでたらしいですよ」
油性ペンのキャップを外そうとした手が止まった。俺は静かに、ペンを元に戻した。
「そういうのは早く言えよ……」
「面白くて途中でやめられなかったって言ってました」
「直接言ってくれよ……」
「あはは、鈴ちゃんやられてやんの」
「大人をからかうんじゃない」
瞬と鶫がいたずらっぽく笑った。完全に1本取られた。
そんなに眠かったのに俺の家に来て、飯なんか作ったりして。課題あったんなら俺の小説なんか読んでないでさっさと寝ればよかったのに。そういえば、発売日は昨日だったか。どんだけファンなんだよ。もしかして妹より早く買ったんじゃねぇか。馬鹿じゃねぇの。こんなこんなおっさんに構ってんなよ。
馬鹿で、世話焼きで、真っ直ぐで────。
目を見開いた鶫と視線が交わった。瞬は対照的に、じっと目の前の問題とにらめっこしている。
しかし、2人とも一時停止した画面のごとく固まっていた。一体どうしたんだ。
「鈴ちゃん、今、何て言った」
「俺? 何も言ってねーけど」
「でも、今」
「やめとけ鶫。先生はきっと自覚ないんだから」
2人して何の話だ。俺が変なことを口走っていたのだろうか。
「俺、何か言った?」
呆れ顔の瞬と満面の笑みの鶫が目を合わせる。
そしてまた2人で俺に向き直り、鶫が口を開いた。
「そういうのは、直接言ってやってくださーい」
「ま、そういうことです」
「どういうことだよ」
結局、何度聞いても2人は俺が無意識に放った言葉を教えてくれなかった。
その日の帰り道。
「あれで圭介次第とか、俺より拗らせてるだろ」
「鈴ちゃん、意外と不器用なんかな〜。じゃなかったら独り言で『好きだなぁ』とか言う? 言わんよな?」
「はは、今の似てた。圭介も大変だな」
圭介と別れた瞬と鶫にそんな噂をされていたことなどつゆ知らず、俺は圭介が作り置きした肉じゃがをたいらげたのだった。
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