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【2】14

射精のあとで男はやっと平熱をとりもどすためか、高岡さんの怒りはいったん沈静していた。汗まみれの俺を抱きしめる腕の力はやわらかく、静かな抱擁だった。 「伊勢ちゃん好きだよ」 耳もとにしぼりだされる声は甘かった。鼻をすすって、高岡さんの背中に腕をまわす。 「高岡さん、ごめんなさい」 「ううん、ほんとは何もしてないよな? そうだよな」 「はい。何もないです」 「そうだよな。信じてるよ。ごめんな」 「でも、黒部の家に行ったのはうかつでした。ごめんなさい」 「ううん、俺もごめんな」 二人をとりまく空気はどこかしらじらしい。しかしそれは、決してつらく悲しいことではない。高岡さんは感情がぶれやすいのだ。俺はそういうところも含めて高岡さんのことが好きだ。 高岡さんがこんなに優しくなければよかった。早々に俺を見限ってくれれば、それはつらいけれどいっそ平和だった。高岡さんは俺にむかついてむかついて仕方ないだろう、けれど優しくしてくれる。俺たちの関係はすでにねじれてしまっているのかもしれない。 翌日、授業終わりに高岡さんと合流した。次の授業まではお互いにひとつコマが空いている。家に帰るのも面倒で、どうしようかとぼんやりしていると、ふいに高岡さんが耳もとにくちびるを寄せささやいた。 「なんか、二人になりたいな」 「……そうですね」 本当はそんな気分ではなかった。しかし妙に気をつかって、うなずいてしまった。ふらふらとさまよう日中の校内は、当然のごとくどこも人が多い。自然に、二人の足は人のいない棟へ向かっていた。黒部に発見された、あのトイレがある棟だ。 高岡さんはきっと、感情にまかせた昨日を消したいのだろう。だからいつも以上に優しく甘えてくる。そして迷った足は、なぜかトイレに向かう。なんの解決にもならないと知っているはずなのに。 トイレの前に人影を見つけたときには、三人の口から同じような言葉がもれた。 「あ」 「あっ」 「あ!」 突然の出会いにおどろき、蒼ざめてそれ以上の口がきけなくなっている俺たちの前で、黒部の「あ!」は、再会のよろこびに満ちていた。一瞬にして高岡さんの身体に緊張が走ったことを察し、なにかしなければという焦りから軽薄に口をひらいてしまう。 「な、なにやってんのお前、いつもここにいんの?」 「あー……」 黒部はちら、と高岡さんを見たあと、もう一度俺に向き直りほほえんだ。 「またここで待ってたら伊勢さんのかわいい声聞けるかなーと思って」 「なっ……」 「行こ伊勢ちゃん」 とっさに言い返そうとした。高岡さんはそんな俺の肩を抱き、これ以上相手にするなと言うように方向転換をした。しかしすぐに、立ち去ろうとする俺たちの背中を黒部の乱暴な言葉が追いかけてきた。 「俺、高岡さんに聞きたいことあるんすよ!」 高岡さんは進みかけていた足を止め、首だけを回して振り返った。今度は俺が遮って高岡さんもう行きましょう、と言うべきでないかと直感した。かまわずに、腕を強引に引いて逃げだしてしまおうかと思った。 しかし、今話しかけられているのは俺ではなく高岡さんだ。俺は蚊帳の外で、当人である高岡さんは黒部の言葉へ耳を傾けている。ぴりぴりといやな空気が耳鳴りになって響いている。 「……なんだよ」 「いや、ノンケ犯すのって楽しいのかな―とか」 反応できなかった。肩に回った高岡さんの手に、力が入る。高岡さん、と声をかけたくなった。うつむいた高岡さんの表情は見たこともないものだった。 「大事な先輩だと思って懐いてきてくれるノンケつかまえて、無理やり自分のもんにすんのって楽しいのかなって聞いてみたかったんです」 棘も毒も露骨な言葉が連なれば、どんなに鈍く浅はかな俺でもさすがに分かった。黒部の言葉は、意図的に傷つけるために用意されている。 高岡さんは繊細で、傷つきやすいタイプである。しかしそれでも、ここまで傷ついている表情を見たのはまったくはじめてだった。

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