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【2】17
授業と授業のあいだ、喫煙所で携帯をいじりながらひとりぼんやりと煙草を吸っていると、ふいに大きな影に飲みこまれた。
「伊勢さん」
顔を上げると黒部が立っていた。俺はその思いつめたような表情を見ながら煙草を揉み消し、立ち上がる。黒部はすかさず口を開いた。
「ちょっと話があるんですけど」
「あー俺次授業だわ」
露骨に振り払って歩き出す俺の後ろ姿に、黒部は小さく呟いた。
「謝りたくて」
「……謝ることなんかなんもないだろ」
「いや、ちゃんと謝っておかないと気が済まないんです」
その声が切実なので振り返った。黒部は高岡さんに強く当たったときや、部屋で寝込んでいたときのような意地の悪い顔をしていなかった。なにか嫌な思いをさせられたら、今度こそぶん殴ってやろうと思いながら。
黒部は周囲に人がいないことを確認すると、向き直り慎重に口を開いた。
「伊勢さんにちょっかいかけたとき、たぶん、そうしてればいつかは伊勢さんが振り向いてくれるって思ってたんです」
「……」
「でも怒られてやっと気づきました。伊勢さんは高岡さんのことが本当に好きなんだなって」
なにか言い返したくなったけれど、うつむいてやりすごした。
「正直に言うと、伊勢さんがやさしいからつけこみました。それでうまくいかなかったからって高岡さんのこと逆恨みして、自分でも最低だと思います。本当にすみませんでした。謝ってどうにかなることじゃないですけど、それでもちゃんと謝っておきたくて」
「……調子いいこと言って、また俺が油断したときになんかしようと思ってんじゃねぇの」
「いや、ないです。それはないです。反省してます」
驚いたのは、黒部が悪いことをした子供の潔さでもって言葉を並べたからだ。口もとを歪め、いかにも悪人の顔で高岡さんに暴言を吐いたあの瞬間から、俺の中で黒部のイメージは変わってしまったのだ。はじめの好青年なイメージが一掃され、余計に酷い人間だと感じていた。
しかし、頭を下げる黒部はあまりにもつらそうな顔をしていた。そうだ、こんなことになる前の黒部は、優しく頼りになる後輩だったはずだ。あの日の怒りと、少しの情にはばまれ口を開けない俺の前で、黒部はぼそぼそと話し始めた。
「これは本当、言い訳にもならないんですけど」
「……なんだよ」
「俺、高校のときに友達のことを好きになったことがあって」
それは思い出話のたぐいだった。高校時代。そういえば高岡さんも、自分の高校時代を語る時はどこかつらそうな顔をしていた。きっと「高校生」たる人々と彼らは、うまく同調できないのだろう。
「そいつには彼女もいて、付き合いたいわけではなかったんですけど、いちど言っちゃったことがあるんです。冗談めかして、好きなんだよねって」
「……」
「そしたら『キモイ』って言われて噂広められて、絶縁されちゃって。学校中の噂になって、そのときは辛かったんですけど……でもそれ当たり前だよなって納得してたんです。ふつうの、女の子が好きな人からしたら男に好きって言われたって困るだけだよなって。だからもう、好きな人ができたって黙っていようって思ったんです」
「……」
「だからこそ、高岡さんが伊勢さんとあんなに仲良さそうにしてるの見て驚いて。うまくいくことなんかあんのかよ、って……逆恨みもいいとこですよね、本当反省してます。すみません」
きっとそれほどにも、俺と高岡さんがいっしょにいることは不思議なことなのだ。俺は女の子が好きなはずだったのに高岡さんと一緒にいて、高岡さんは高岡さんで素直でかわいい子が好きだとか言いながら、素直じゃなくてかわいくもない俺と一緒にいる。
「……そうか……」
「はい」
「い、いや、でもとにかく、俺はいいから高岡さんに謝れよ」
俺はこれ以上変な空気になりたくなくて、黒部をこづくようにした。今回の件について、反省すべきところが多いのは俺ばかりで、誰よりも傷ついているのは高岡さんだ。すると黒部は、からりと笑いはじめたのだ。
「ははっ」
「なんだよ」
「実はさっき、先に高岡さんのところに謝りに行ったんです」
「え、そうなの?」
「そしたら高岡さんに、同じこと言われました。『俺はいいから伊勢ちゃんに謝ってほしい』って」
「え……」
俺と高岡さんがともにいるのは不自然なことなのかもしれない。それでも歩をあわせて学校に来て、授業がかぶればそのまま授業を受ける。昼めしもいっしょに食う。同じ家に帰って、ひとつのシーツで眠る。
高岡さんが傷つけられれば、頭の横側がガンガンするほどつらくなる。もういつの間にか、高岡さんがいなければ生きられなくなっているのかもしれない。
「ほんとに仲良いんですねぇ」
黒部の言葉はどこか呆れているようでもあった。しかし言いたいことも分かる。ときどき自分たちの仲の良さに、自分でも呆れてしまうのだ。ああ今無償に、高岡さんに会いたくて仕方ない。
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