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第7話
晴人が、これはデートなのかもしれない、と気がついたのはかなり遅く、何と前日の晩であった。
三十二年も生きてきて、誰ともデートなんてしたことがない。元来の性格は内気なので、友達も少なく、どこかへ行くとなると、一人で行くか、姉と一緒に行くかのどちらかだ。
自覚すると、緊張した。三浦に晴人への恋愛感情は無くとも、晴人は三浦のことが好きだ。好きな人と出掛けたことなんて一度もない。
この緊張はきっとデートに対して、変に期待感を持っているからだろう。
これはただ姉がたまたま余っていたペアチケットを譲ってくれただけ、それだけ。
そう思い、晴人は鏡の前でぱしんと頰を両手で叩いた。
今日は水族館へ二人で行く日だ。三浦が晴人の家に車で迎えにきてくれることになっている。
玄関の姿見の前に立ち、服装の最終チェックをした。
ズボンは黒色のタイトなものにした。三浦目当てに運動をするおかげで、痩せて身体が引き締まり、細めの服装がまた着れるようになったのだ。足元には白色のハイカットスニーカーを合わせる。インナーは白色のTシャツ、しかし半袖では寒いので、ベージュのブレストジャケットを羽織る。
実はこの日に向けて少しだけパーマをかけた。サイドだけだが、晴人にとって勇気のいることだった。
美容室にも久しぶりに行ったし、パーマをかけるなんて、これもまた初めてのことだ。
髪色は元から薄い茶髪なので、染めなかったものの、パーマを当てたせいで、髪が焼け、さらに明るくなっている。それを美容室で教えて貰った通りにセットした。
「気合が入ってるわね」
起きたばかりの理華が晴人の横に立った。
全てが決まっている晴人と比べ、理華はまだパジャマ姿で、髪もボサボサである。
今日はカフェの定休日だ。時間は午前九時。休みの日に姉がこの時間に起きていることは珍しい。
「髪も可愛いわね、そんなに三浦くんと出かけるの楽しみ?」
「た、楽しみっていうか、ちゃんとしないと三浦くんに恥をかかせちゃうし……」
「好きでしょ? 三浦くんのこと」
どきんっと心臓が跳ね上がった。理華は、晴人が男性しか愛せないことを知っているし、守原のことも話している。
だが三浦のことが好きだとか、以前告白されて振っただとかは話していない。
「そ、そんなこと……」
「だって三浦くんが来るとすごい嬉しそうなのに、それを周囲に悟られまいと必死だったし、三浦くんと公園で会ったっていう日から毎回公園まで走りに行ってるし、三浦くんがあんたの料理を美味い美味いって言いながら食べてると、めちゃくちゃ嬉しそうだし、それに」
「あーっ! もうやめて! わかったよ! 俺ってそんなに顔や態度に出てたんだね!」
「そうね、バレバレよ。もうそのパーマが物語ってるじゃない」
うう、と唸りながら髪を隠した。浮かれていたのがバレて恥ずかしい。
「でも良いじゃない、体調も良くなって、誰かと外出までできるようになったんだから。今日はデートなんだからしっかりしてきなさいよ。何なら三浦くんの家に泊まってきても良いわよ」
含みを持たせた理華の言葉に晴人は赤面した。
「いくら何でもその展開は早すぎるよ、姉さん! それに三浦くんは俺に好意は抱いてないんだ。あ、この場合は恋愛感情ってことだよ」
そうだ。三浦はきっと、晴人に対して恋愛感情はない。何なら今回だって、姉の剣幕に押され、断りきれず、という可能性だってある。
そう考えると、晴人は落ち込んできた。
髪まで整えて、自分は一体、はしゃいで何をしているのだろう。
「いや、そうでもないと思うわよ。三浦くんだって、あんたのことたぶん」
「も、もうすぐ迎えに来るから外に出るよ、とりあえず楽しんでくるから! チケットありがとう!」
下手な慰めは聞きたくない。
三浦に恋愛感情がなくとも、晴人は今日を楽しみにしていたのだから目一杯楽しむのだ。
外は快晴だった。風も強くなく、春特有の柔い日差しが晴人に降り注いでいる。
ちょうど三浦の車が来たところだった。
高速を使い、一時間ほど車に揺られていると目的の水族館に着いた。
道中、緊張しっぱなしの晴人に対して三浦は『喉は渇いていないか』だの、『トイレには行きたくないか』挙句の果てには『疲れてないか』『お腹は空いてないか』だのを細かく聞いてきて、ちょっとしつこいぐらいだった。
また、三浦は水族館で催されている展示会や売られている珍しいグッズなどについて事前に調べてきており、ホームページをぼうっと眺めただけの晴人は少し焦る。
「ここ、トドに触れるみたいですよ」
「それ、俺も見た! 珍しいよね、触りたい」
「良いけど、噛まれないでくださいよ」
「えっ、トドって噛むの……?」
「いや、知らないですけど」
「ちょっと適当なことを言うなよ! 本気にしたじゃん!」
なんて冗談みたいな会話を交わし、晴人がリラックスし始めた頃、ちょうど目的の場所へ着いた。
姉から貰ったチケットを窓口の女性へ渡す。
チケットを受け取った女性は三浦と晴人を見比べ、もう一度チケットに目を落とした後、晴人に話しかけた。
「あの……これは、カップルチケットなのですが」
「えっ」
チケットを提示され、晴人はもう一度確かめる。
『休日限定 カップルチケット』とピンク色の文字で書かれ、文字の周りにはハートがたくさん飛んでいた。
しまった。チケットは姉が三浦に渡していて、晴人はあまりきちんと確かめておらず、そのまま窓口に渡してしまった。
どうしよう。何と説明すれば良いのかわからない。
三浦と晴人はカップルではない。その事実に少しショックを受けながら、正直に間違えました、と晴人が言おうとした時であった。
「それって、男女カップルだけですか?」
後ろにいた三浦が突然、会話に入ってきた。
「いえ……、そのような規定はございませんが」
「良かった、おれたち付き合ってるんで、きちんとカップルです。ね? 晴人さん」
「あっ、えっ」
三浦に目配せされる。話を合わせて、ということだろう。
「そ、そうです、付き合って……ます、はい」
色々な意味でドキドキしながら晴人は答える。
男性同士のカップルだと窓口で普通に暴露したこと、いきなり下の名前で呼ばれたこと、カップルだと窓口で嘘をついたこと。
しかしこの状況で否定することもできず、ぎこちなく三浦に合わせた。
三浦を見てみると、平然とした表情をしていた。自分ばかり気にしているのかと思うと、何となく居心地が悪い。三浦と目が合い、晴人はすぐに目線を逸らせた。
「かしこまりました。大変失礼いたしました。そちらのゲートからお入りください」
窓口の横に設置されていたゲートが開く。
何となくまごついていると、先に入った三浦に急かされてしまった。
「ほら早く来て下さい、晴人さん」
また下の名前で呼ばれ、晴人は顔が熱くなってくる。
晴人は思い切ってゲートを通り抜けた。
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