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第9話

 子供の泣き声がこちらへ近づいてくる。 「あれ、あの子……」  泣きじゃくりながら三浦と晴人が座っているテーブルに近づいてきている子供は、さっき『みーちゃんの水遊びアイス』を食べていた子供だ。晴人が羨ましそうにそれを眺めていた時は母親と一緒に席についていた。  服装や髪型からして男の子だろう。青いスウェットにはみーちゃんの刺繍が大きく入っている。 「ママー!」  子供が大きく声をあげたので、晴人は母親を視線で探した。しかし見当たらない。 「心配ですね、ちょっと声かけてきます」 「俺も行くよ」  泣きじゃくる子供に近づき、まず三浦が声をかける。 「どうした? お母さんはどこへいったんだ?」 「いや、三浦くん……あのさあ」  三浦は仁王立ちで子供に応対している。子供と大人、しかも三浦は上背がある方なので、子供は後ろに倒れていくのではないかというくらいに首を後ろに倒しているし、驚きで涙が止まり、ポカンと口を開け、フリーズしていた。そして大きく開かれた瞳に涙がどんどん溜まっていく。 「お母さんは」 「いやあぁあっ! 怖いぃいっ!」  三浦がもう一度話しかけようとしたタイミングで子供は再び泣き始めた。 「よしよし、怖くない。ほらほら」  見かねた晴人はしゃがみ、子供と目線を合わせた。そして優しく肩や頭をさすり、根気良く言葉をかけ続ける。 「よしよし、お母さんはどこ行ったかわかる?」 「わ、わっかんなっ……、ママっー‼︎」 「そっか、わかんないか。ごめんごめん。楽しい話をしようね。ほら見て、トドのみーちゃん」 「えぐっ、ふ、ぁ、み、みーちゃんだ……」  晴人は自分のスマホでみーちゃんを検索し、子供に見せる。みーちゃんのスウェットを着て、みーちゃんのアイスを食べていたぐらいだから、みーちゃんが好きなのだろう、と予想してのことだったが、どうやらその予想は当たったようだ。泣き方が穏やかになる。 「ほら、こんな可愛いのもあるよ」 「みーちゃん、お魚食べてる……」  子供が画面を注視している隙に、晴人は振り返り、三浦に声を掛けた。 「係の人、呼んできて」 「あ、あぁ、わかり……ましたっ」  子供にみーちゃんが泳いでいる動画を見せていると、総合案内係の人と共に三浦もやってくる。 「ここでママって呼びながら、泣きじゃくってて……、母親とはぐれたみたいです」 「わかりました。今のところ、迷子のお問い合わせは来ていませんが、総合受付でお子さんには待機してもらいます。館内アナウンスもしてみますね」  三浦が手短に説明すると、受付の女性が子供に近づく。 「すみません、後はよろしくお願いします」  スマホの画面を閉じ、晴人が子供から離れようとした時だった。 「いやー!」  子供は離れようとした晴人の袖を引っ張り、再び泣きじゃくり始めた。 「お兄ちゃんと、一緒、じゃなきゃ、やだ!」  時々言葉を詰まらせながら、子供は晴人にいてほしい、と泣いている。  袖にかかった手を振り解くのは簡単だ。だが、ここでそんなことをしてしまうと、この子には水族館に来て、大好きなみーちゃんも見れず、母親とはぐれ、誰かに手を振り払われた悲しい思い出しか残らないのではないか、と考えてしまう。  それを考えると、選択肢は一つだった。 「ごめんね、ママが来るまで一緒にいよう。けどちゃんと係のお姉さんのいうことも聞かなきゃダメだよ」 「うん! みーちゃんまた見せて!」 「はい、どうぞ。みーちゃんだよ」  子供は片手で晴人のスマホを持ち、もう片方の手で晴人の手を握っている。 「ということで、三浦くん、この子のお母さんが見つかるまで良い……かな?」  「っ、良いですよ、仕方ないです」  怖い!と泣き叫ばれたことを気にしているのか、三浦は若干気まずそうな顔をしていた。 「申し訳ないです……、お客様にご迷惑を……」 「構いませんよ、ほら案内まで行こうね。歩きながらスマホはダメだよ。後で見せてあげるからね」 「うんっ!」  晴人は一旦スマホを取り上げ、子供と手を繋いだまま、総合受付まで歩いた。    受付に着く頃、子供はすっかり元気を取り戻していた。  受付の奥は迷子センターも兼ねており、小さい子供が遊べるような空間になっている。 「お兄ちゃん、みーちゃん描いて」 「えー、俺、絵は下手だよ〜」  と言いつつ、クレヨンと紙を渡されると描くしかない。男の子が着ているスウェットに描かれたみーちゃんの姿を描くと、きゃっきゃっとはしゃいでいた。  後は用意してもらった塗り絵を塗ったり、用意されていたテレビの動画を見ていたり。  そしていつの間にか疲れてしまったのか、子供は晴人の腕の中で眠ってしまっていた。  晴人がぽんぽんと子供の背中を優しくさすっていると、三浦が近づいてきて、横に腰を下ろした。  何だか不機嫌そうな雰囲気を感じた。  晴人が子供と遊んでいる時もあまり側には近寄らず、遠くから二人を眺めて、たまに鋭い視線を送っていた。 (そんなに怖いって泣かれたこと、根に持ってるんだ……)  背も高く、がっちりと男らしい身体の三浦にいきなり声をかけられたら、誰だって驚く。それが母親とはぐれ、不安で泣いている子供なら尚更だろう。  そういえば、と晴人は過去を思い出す。  迷い子で通報が入り、晴人たちが現場に遅れて臨場すると、子供にギャン泣きされている三浦がいた。三浦はおろおろとしているだけで何もできておらず、その時も晴人たちがフォローし、なんとか子供を宥め、本署にまで連れて行ったのだ。  刑事課で経験を積んだ、といっても、三浦は子供が苦手なままなのだ。  今でも晴人の腕の中で眠っている子供を緊張したような顔でじっと見つめている。 「抱っこする?」 「いや、良いです」  起こさないように小声で声をかけると、同じく小声で断られた。 「そう」  晴人は三浦にわからないよう、小さく笑った。何だか昔の、まだ晴人が知っている頃の三浦を見つけた気がして嬉しく思ったのだ。    母親は結局すぐに見つかった。  今日はみーちゃんが展示室にいないので、その代わりにみーちゃんのぬいぐるみを買おうと思って、少しだけ席を離れたらしい。  もう次の年には小学校へ入学する年だから、一人で待っていられる、と母親は思っていたらしいのだが、予想は外れ、子供は結局母親を探して、席から離れてしまったのだった。  ぐっすり眠っている子供を母親に引き渡したところ、母親はすみません、と晴人や三浦、案内係の女性に何度も頭を下げ、再び館内に戻っていった。 「ちゃんとお母さんへ引き渡せてよかったね」 「ええ、良かったです」  三浦の横顔は何だか固い。それを見て、晴人はふふ、と笑う。 「外へ行く? 海が見れるらしいよ」  迷子の対応は予想以上に疲れたし、時間を食ってしまった。だからと言って、文句はないものの、館内を歩き回るより、今からは静かに海でも眺めながら過ごしたい。 「良いですよ」  やはり三浦の態度は固い。  どうやらまだ三浦の機嫌は治らないようだ。

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