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第12話
晴人の料理が食べたい、という三浦に押し切られ、スーパーで食材を買った後、三浦のアパートに向かう。
(本当にこれが最後、これでもう三浦くんとは会わない)
晴人は運転している三浦の手元を見た後、窓の方へと視線を逸らした。
どんどん三浦の存在が晴人の中で大きくなってしまい、失った時が怖い。
三浦からのリクエストはローストビーフ丼。疲れていて、肉が食べたいらしい。
寄ったスーパーにちょうど牛肉の塊が売っていて良かった。それとソースを作るための材料や付け合わせの野菜も買っておく。
三浦の家に行くのは初めてだ。というより、誰かの家に行くこと自体も久しぶりである。
「おれが荷物を持ちますよ、これ鍵、晴人さんが開けて下さい」
「う、うん……」
三浦は両手に荷物を抱えている。それを見て、買いすぎたかもしれない、と晴人は唇を噛んだ。三浦がお腹空いた、を連呼するので、ついついたくさん買ってしまったのだ。
最後だから、三浦にたくさん美味しいものを食べて欲しい。そうやって言い訳をして買い込んでしまった。
三浦はどれだけ量が多くても、美味しい、と言って笑顔で晴人の料理を全て平らげてくれるだろう。
その笑顔を見たら絆されてしまうかもしれない。それではダメなのだ。
しっかりしろ、これで最後だろ、と晴人は自分に言い聞かせた。
「行きますよ、晴人さん」
あの日から、三浦は晴人さん呼びをやめない。
嬉しさを押し殺しつつ、しかし止めることができない、何か込み上げるものを感じながら晴人は三浦について行った。
玄関の鍵を開け、部屋の中に入った時であった。
「っ」
後ろから三浦に抱きつかれ、晴人は身体が動かなくなる。
「怪我してなくて本当に良かった」
絞り出すような声であった。
三浦に抱きつかれても嫌ではないことが更に晴人を焦らせている。
嫌なはずがないのだ。三浦のことが好きなのだから。
三浦が持っていたはずの荷物は玄関の床に置かれている。
背中から三浦の体温が伝わってくる。その暖かさは三浦からの好意と同意義に思えた。
「俺、この前、君のこと振った……から」
「晴人さんは好きでもない、以前振った男のために、あんなに楽しそうにしながら大量の食材を買い込むんですか?」
三浦の声色には晴人に対する非難が含まれているように感じ、晴人は声を震わせた。
「み、三浦くんには美味しいものを……たくさん、食べて欲しいよ」
何と応えれば良いのかわからない。
三浦のことが好きだから、ついつい大量に食材を買ってしまった。
それを口に出してしまえば、この思いに歯止めが効かなくなる。それではだめだ。
「晴人さん」
晴人が動けないでいると、三浦が真正面に回ってくる。
真剣な眼差しだ。もしかしたら三浦も緊張しているのかもしれないと思った。
「おれ、約束通り犯人を捕まえましたよ」
「あ、ありがとう……無茶なことさせてごめん」
「いいえ、貴方が無事で良かった」
そう言われ、額にキスされた。
「あ、ぅ、その……」
顔が熱い。キスされたところがじんじんと響いている。
話をしてもいいですか、と尋ねられ、晴人は頷いた。
「守原さんが晴人さんの料理を美味いって食べてる時、晴人さん、すごく柔らかく、嬉しそうに笑ってたんですよ。普段はあんまり人と関わらないって感じだったのに。その時だけは可愛く笑うから、すぐに守原さんのことが好きなんだって気がつきました。おれが同じように食べてても、あんな風には笑わないし。おれにもあんな笑顔で微笑んでほしいと思うようになって、おれは晴人さんが好きなんだって気がつきました」
晴人は唇を噛み締めた。守原への恋心がバレていたことも今初めて知ったため、恥ずかしかった。
「最初の告白の時は焦っていました。まさか辞めるとは思わなかったから。けど最後に見た晴人さんの思い詰めたような表情が忘れられなくて、刑事課へ入った後、必死で犯人を追いました。捕まえたら、連絡しようと思ってたんです。貴方の可愛くて、ふんわりとした笑顔がまた見たくて」
「うん……」
ここまで三浦に思われていたなんて、予想していない。
このこと自体は純粋に嬉しいと思った。
「けど、偶然再会した時の晴人さんは無理して笑ってるように見えました」
そこまでバレていたのか。あの時は三浦というよりも、警察官の制服に反応していた。
「放っておけないと思って、それから公園でのこととか、水族館でのこととか……ちょっと強引に晴人さんに絡んだことは反省しています。すみませんでした」
「そんな……店にお客さんとして来てくれただけだし、水族館だって楽しかったよ。三浦くん探しに公園に毎回行って、痩せられたし。それに俺だって三浦くんとの食事、毎回楽しみにしてたんだよ……」
「でもやっぱりそれだけじゃだめなんですよね?」
「だめっていうか、なんていうか……俺と、今の三浦くんじゃあ……釣り合わ、ない……よ」
「どういうことですか? 釣り合わない?」
恥ずかしくて、居た堪れなくなって、語尾になるにつれて声が小さくなる。しかし三浦は強く尋ねてきた。
三浦はここまで自分のことを暴露したのだから、晴人も説明しなければならないだろう。
意を決して口を開く。言葉を選びつつ、懸命に口を動かした。
「守原さんは動けなくなった俺を助けて、俺の代わりに車に轢かれたんだよ」
晴人は目元を擦った。涙が溢れてきたからだ。
「俺のせいで守原さんは亡くなったし、そんな俺が三浦くんに大切にしてもらうなんておかしいんだよ。それに辞職してから二年間、ずっと家に閉じこもって、姉さんに心配と負担をかけてただけなんだ。だから、市民のために働いて、みんなのために戦っている三浦くんとは合わないよ」
一息に言うと、立っていられなくて、晴人はその場にしゃがみ込んだ。
膝を抱え、蹲る。膝に額を押し当て、肩を震わせて泣いた。
「俺、誰のことも笑顔にしてない、何の役にも立ってない、そんな中途半端な俺と三浦くんじゃあ、差がありすぎて」
社会見学に来ていた警察官の言葉を思い出す。
『街中で暮らす人々のささやかな笑顔を守る仕事です』
この言葉に憧れ、警察官になったのに、守原を死なせ、誰のことも救えず、心を病んでやめてしまった。
それともう一つ、気がかりなことがある。
「それに三浦くんは警察官だ。俺のこと、置いていなくなったらどうしようって思うと、もう不安で仕方ないよ」
もう身近な人が死ぬのはもう嫌だ。
「晴人さん、顔をあげて下さい」
「い、嫌だ。ひどい顔してるから」
「構いません、晴人さん」
何度も名前を呼ばれ、晴人はしぶしぶ顔を上げる。
涙でぐちゃぐちゃだろう。恥ずかしい。
しゃがみ込み、目線を合わせた三浦は晴人の顔をまっすぐ見ている。
「おれは晴人さんを置いて、いなくなったりしません」
力強く告げられた。
「死んだりもしません。ずっと晴人さんの側にいます」
「そんなの、今は証明できないじゃないか」
晴人は口を尖らせて、指摘した。我ながら意地悪なことを言ったと思った。だが断言する三浦に少し怒りを覚えたのだ。
「それはこれから証明してみせます。ずっと晴人さんの側にいます」
真剣な視線、真っ直ぐな口調、どれをとっても三浦が本気で宣言していることを伝えている。
晴人は目を擦る。嬉しくて、本当はこのまま三浦に飛び込んでいきたいのに、ちょっとした意地が邪魔をした。
「でも、俺と三浦くんとじゃ……」
「カフェほしみや、近所じゃ美味しいって有名ですよ。それに交番でも好評です。みんな美味しいって言って、笑顔で食べてます」
頰に手を差し込まれ、親指で涙を拭われた。
三浦の手はやはり大きくて、温かい。不思議と安堵感を覚える。
温かい手は晴人の頑なな心と意地を徐々に溶かしていく。
「晴人さんはみんなのことを笑顔にしています。それだけで充分なんです」
先ほどまでのやさぐれた感情から、温かい気持ちが広がっていくのを感じ、また涙が溢れてきた。
今度は自分では拭わない。三浦が親指で受け止めてくれているからだ。
晴人は自分が思っているよりも、他人を笑顔にしているのかもしれない。
晴人は頰に差し伸べられていた三浦の手を掴んだ。
「お、俺の作るご飯って、そんなに美味しいの?」
「ええ、晴人さんの細やかな気配りや食べる人への気持ちが込もっていて、とっても美味しいです」
「でも、水族館の日から頼んでくれなくなったじゃん……」
「おれだって人間ですよ、二回も振られて、傷つかないわけないでしょ」
「あぅ……、けど、守原さんのことも……」
「その犯人はおれが捕まえました。捕まえたからって守原さんが生き返るわけじゃないです。けれども、これでようやく犯人に罪を償わせることができる。晴人さんが抱えていた罪悪感の一部でも犯人に被せられたらいい。それでもダメならおれにその罪悪感を分けてもらえませんか? もしかして晴人さんはまだ守原さんのことが好きですか?」
早口で捲し立てられ、晴人は焦った。三浦の気持ちは伝わってくる。不安でさえも、痛いほどに。
既に守原への恋愛感情はない、ただ申し訳ない気持ちがあるだけだ。
「俺、三浦くんのこと……二回も振ったんだけど……良いのかな……」
「最終的に貴方が俺のところへきてくれるなら構いません。好きです、晴人さん」
胸にたまらないものが込み上げる。
これ以上、変な意地を張るのはお互いに不幸になるだけだろう。
晴人は、自分の心に、相手の好意に対して素直になろうと決めた。
「三浦くんっ!」
「おっと」
三浦は床に尻餅をつく。晴人が抱きついたからだ。
「遅くなってごめんね、俺、本当に臆病だから……」
「そんなところも可愛いです。焦らされるのも……晴人さん限定で好きです」
「じ、焦らすってそんなこと思ってたの?」
「今となればってやつですね。その当時は普通に絶望してました」
「ご、ごめんなさい……ん」
唇を塞がれた。驚き、身体を引こうとすると、腰を持たれ、更に密着させられる。
「晴人さん、晴人さん」
角度を変えて、唇を啄まれ、何度も名前を呼ばれた。そして、晴人の唇が綻んだ隙に口内へ三浦の舌が入り込む。
晴人にとっては初めてのキスだ。つい縮こまっていると、三浦の舌が絡んでくる。
いつの間にか三浦に押し倒されているのに気がつき、晴人は恥ずかしくなった。
玄関先でこんなことをしているなんて。それに食材が放置されている。このままでは傷んでしまう。
「んむ、み、三浦くっ、あ、待って、は、ぁ」
「また焦らすんですか?」
「ちがっ! ぁ、し、食材っ! 傷んじゃうから!」
不満そうな顔をしていたが、三浦は晴人の上から退いた。
「お腹空いてるんじゃないの?」
「飯はセックスの後です」
「いや、そのっ、き、今日するのっ⁉︎」
「? 晴人さんが嫌ならしませんが」
不思議そうな顔をしている三浦を見て、晴人は少し不安になった。
晴人は三浦が初めての恋人だ。もちろんさっきのキスがファーストキスだし、セックスもそういう雰囲気になったことも初めてである。
歳は晴人の方が七歳上だが、経験に差がありすぎる気がした。
「ゴ、ゴムは……?」
「あります。水族館の時に本当は家に連れ込んでやろうと思ってましたから」
そんな時からそう言うことを考えていたのか。
まあ三浦くんも男だしな、と自分を納得させるが、冷や汗が流れる。
「ロ、ローション……」
「それもありますよ」
「えっと、後は……」
「晴人さん、ほら、冷蔵庫に入れますよ」
「う、うん」
経験のあるふりをして、思いつく限りの必要なものを挙げてみたのだが、全て用意してある、と言われてしまえば何も言えない。
晴人は立ち上がり、三浦を手伝って、買ってきた食材を冷蔵庫に入れた。
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