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エクセルの更新(4)
「え、関谷さん戻るって、じゃあダイニハウスもついに解散――」
ビールを注いだプラカップを片手に声をあげた坂田に、山川が「総選挙?」とくだらないツッコミをいれた。赤根先輩がアハハッと笑った。
「ネタが大人っぽくなったね」
「そりゃもう俺らこうみえて立派な社会人ですからね」
坂田は顔をしかめてコップのビールを飲み干し「おまえの総選挙ってアイドルの方だろ」とぼやいたが、すぐに立ち直って昴の方を向く。
「ここに住めるの関谷さん帰るまでって話だったよな。どうすんの」
「解散っていうか、引越だな」
昴が答えるまえに神里がいった。ちょうどキッチンから戻ったところで、片手に焼き餃子の大皿を、もう片手に炭酸水のボトルを持っている。
「エアコンの調子も悪いしさ、今から探して、いいところ見つかったら引越って感じ。関谷さん来月の連休に来るっていうから、その時に細かい話をするかって」
神里が餃子を置くとすかさず相原が手を伸ばした。
「へえ、ついに。関谷さん鹿児島にいるんだっけ?」
「いや、宮崎。最初は十年って話が二年のびたってさ」
喋るのは神里にまかせ、昴は餃子に箸をのばす。自分の取り分はさっさと確保するのがダイニハウスのルールである。坂田と結婚した赤根先輩にだけは他の連中も気をつかうが、昴が食いそびれても誰も同情しない。
「つまりダイニハウスの歴史が十二年ってことか。引っ越し先はどのへんで探すの」
そういった山川は餃子には執着していない。そのかわり神里が持ってきた炭酸でウイスキーを割っている。
「中間あたりで手ごろなのがみつかるといいんだが」
神里はプラカップにビールをあけた。
「中間?」
「俺と昴の会社の」
「ああ、そうだな。どっちにも都合いいもんな」
まだ同居を続けるのかと誰も尋ねないのはどういうわけだ、と昴は思うが、ここで突っこむとまたおかしな話になるような気がして、黙って餃子を食べ続ける。それとも、おかしな話になるなどと気にする自分が変なのだろうか。
このあたりでひとりで部屋を借りるとなると、よほど家賃を奮発しないかぎり、今より狭苦しい環境になるのは明らかだ。神里に不満がないのならふたりで部屋を借りることに異論はない。だからこそ関谷氏の電話を切ったあと、自然に「手ごろな物件がみつかったら引越」という話になったわけだが、こんな風に周囲の連中が同居継続を当然だと思っているのは、やっぱり変だという気がする。
三十歳をすぎても昴は自分の「社会的常識」に自信がない。しかし同居自体はどう考えても合理的で、だからこの家でなくとも同居をやめる理由はない。それに神里以上に自分に合った同居人があらわれることは、このあとも一生ないような気がする。
ピンポン、とチャイムが鳴った。神里が素早く立ち上がって玄関へ行った。
「お、久しぶり」
「じゃじゃーん! 鈴木さんの登場ですよ~」
たぶんこの家に住んでいた実質的日数がいちばん短い元住人の登場である。
「ようっす。元気ぃ?」
「おまえ今何してんの?」
「俺? 公務員」
「ええええ? おまえが公務員? おまえが? どうやって?」
相原が驚愕の視線を向ける。鈴木は真っ黒に日焼けした顔で笑った。
「どうやってって、試験受けて。もう三年経つぜ。そろそろ辞めたい」
「何いってんだよ、辞めんなよ」
「でもさあ、つまんなくて」
昴は片手をあげて挨拶する。実をいえば鈴木とはあまり話したことがない。この家に住んでいた期間は短かったし、留学だの旅行だのでいない期間も長く、昴にとってはよくわからない人物だ。
「鈴木、金を先に払え。おまえだけは最初に徴収する」と坂田がいう。
「え、なんで?」
「知らないうちにいなくなるだろう。焼肉屋でバイトしてたときみたいにビール、タダ飲みすんなよ」
「それまだいうの? あの時だけだって。もうそんなことしねえよ」
「いいから払え。遅刻したから割増な」
「え? 値引きじゃないの?」
ぶつぶついいながらも鈴木は財布を取り出して坂田の言い値を払った。
「じゃ、また乾杯するか」と神里がいう。
「よし、カンパーイ! あ、餃子! 餃子ください!」
鈴木が残りの餃子をとろうとするので、山川があわてて止めた。
「これは赤根先輩の分だから」
「私はいいよ。あげる」
「赤根先輩、久しぶりです。鈴木です。俺のこと覚えてます?」
「覚えてるよ。留学してた人でしょ?」
「鈴木、赤根先輩が坂田と結婚したの知ってるよね?」
「知ってます知ってます! おめでとうございます!」
ひとり増えただけなのに場が一転してにぎやかになる。鈴木の周囲で会話が盛り上がるのをよそに、昴は黙々とビールを注いだ。
「そういや、夏は実家に帰んの?」
相原が神里と昴の方を向き、話をふってくる。
「俺は明日帰る」と神里がこたえた。「三日くらいだけど」
「昴は?」
昴はポテトチップスの袋をあけながら首を振った。夏はいつも帰省しないのだ。袋を餃子の皿の横に置くと鈴木の手がすばやく伸び、昴と神里の方へ乗り出してくる。
「おふたりさん、ここ出るんだって?」
「ああ」神里が空になったビール缶を押しのけた。
「いいとこみつかるといいけどな」
「あれだ、栖原はうるさいタイプだろ。引っ越してから揉めないように色々決めておけよ」
苗字を呼ばれることはめったにないので、昴は一瞬とまどった。鈴木とはほとんど話したことがないから、別におかしな話ではないのだが。しかしその割には自分のことをよく知っているようだ。たしかに引越先を決めるのは昴にとって一大事件となるだろう。
「でもさ、いまどきのアパートならだいたい、ここより綺麗だろ」と相原が口をはさむ。
「そういう問題じゃないんだ昴は」本人に口をひらく隙をあたえず山川がいった。「こだわり条件があるんだから」
「神里、しっかり面倒みろよ」と鈴木。
「ああ、大丈夫だ」
いったいこの連中は自分をなんだと思っているのか。昴はいささか呆れたが、今日はどうも反論のきっかけがつかめない。こういう席ではスイッチが入るまで昴はなかなか喋れないのだ。
「どうしても昴の気に入る家がみつからなかったら、いっそ買った方がいいかもしれないぜ」
坂田まで参戦してきた。
「そうか。昴がローン組んで神里が家賃払えばいい」
ここまでくるとさすがに昴も黙っていられなくなった。
「おい、山川。勝手に人をローン持ちにすんな」
「じゃあローン半分ずつとか……そんなのできんの?」
「できないことはないんじゃない?」今度は赤根先輩だ。
「ただ、何年も彼氏と同棲してる友達が籍入れるまではやっぱり買えないとかいってたねえ。別れた時が面倒くさそう」
「別れなきゃいいじゃん」
「坂田んとこはどうなの。買わないの」
坂田夫妻に話の方向が変わったのを幸い、昴は立ち上がってトイレに行った。廊下に出るとムッと暑くて、床板が湿気でべたついている。昴はふと立ち止まり、天井や階段の方をぐるりと見渡した。この家の外で自分がどんな生活を送るのか、まったく想像できなかった。
昴がリビングに戻ると山川がゲームの話を振ってきたので、昴はテレビをゲーム画面に切り替えた。飲み会はゲーム組と雑談組に分かれてだらだらと続き、おひらきになったのは昴と神里以外の全員が終電を意識しはじめた頃だ。
「じゃあお疲れ~今日はありがとう」
「引越きまったら教えて。今度はダイニハウス終了の宴を開かないと」
「それは実質今日の話だろ。次の飲み会は新居で」
「あ、それがいいな」
元住人たちは口々に勝手なことをいって帰っていく。リビングには酒とつまみの匂いがこもっていた。神里がゴミ袋をキッチンに運び、昴はリビングの窓をあけた。
そんなに飲んだつもりもないのだが、ひどく眠かった。換気しているあいだに洗面所に行き、歯を磨きはじめる。
「昴、今日はどうする?」神里の声がキッチンの方向から響いた。
「リビングは涼しいから、ソファで寝るか?」
昴はろくに聞いていなかった。眠かったのだ。口をすすぐと洗面所を出て階段を上り、神里の部屋の戸を開ける。エアコンがつけっぱなしだったらしく、廊下とはうってかわって涼しかった。昴は眠気と戦いながら三つ折りにした自分の布団を畳に敷いた。横になったとたん、電池が切れたように眠ってしまった。
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