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エクセルの更新(7)

 こんな映画だとは思わなかったぞ。  テレビに流れる映像を眺めながら、神里は困惑している。  昴は神里のことを映画ファンだと思っている。たしかに神里は昴を映画に誘う方であり、誘われる方ではない。海外のアクション映画やサスペンス映画はかなり観ている方といえるかもしれない。だが邦画はほとんど知らない。誰もが知っている有名なアニメ作品なら一応知っている、というくらいだ。いま上映されている映画も、実家で母と妹がキャーキャー騒いでいたから思い出しただけで、何の予備知識もなかった。  最初はサスペンス風味のストーリーだと思った。主要登場人物ふたり(キョウとカイ、演じる二人の俳優はどちらもイケメンで、年齢は神里と同じくらい)は学生時代からの知りあいで、行方不明になった共通の友人を探す。いなくなった友人が巻き込まれたトラブルには、ふたりが高校生の頃に起きた事件が関係しているらしい。その事件をきっかけにキョウとカイは疎遠になっていた。その後十年以上経って、共通の友人の失踪を契機に再会する、という展開だ。  アクション映画の忙しない展開に慣れている神里にはかなりじれったい展開だったが、話が進むうちに、ひょっとしてこの映画はサスペンスでもミステリーでもないのだろうか、という気がしはじめた。キョウとカイは過去の事件が徐々に明かされていくにつれ、長年心の底に隠していた激しい感情をあらわにしていく。やがて導火線に火がついたような怒鳴りあい(怒鳴っていたのは主にカイだが)のあと、ふたりはついに取っ組み合いをはじめ、キョウがカイを床に組み敷いて、にらみあった。  そしてそのまま、キスをした。  そこで神里は思ったのである。こういう映画だったの?  しかしこれなら、母と妹があんなに騒いでいた理由もわかる。何年も前から神里は実家に帰るたびに男同士の恋愛について色々と蘊蓄を聞かされてきたからである。しかしあれだ、この話は濃い友情をそう解釈するとか、そういう話じゃないんだな――などと思っているあいだにシーンはさらに進み、ふたりの男はいつのまにか半裸で抱きあっている。やがてうつ伏せに組み敷かれた俳優の腰の線をカメラがなぞり、組み敷いた方の俳優が覆いかぶさって、うなじに唇をつける。  え。こういうシーンあるの。  いや、男女でこの程度の濡れ場はよくあるし、子供が見るような時間じゃないし――と神里は思ったものの、何となく落ちつかない気持ちになって、ソファの上で身じろぎした。  コップに残ったワインを飲み干して、何気なく横をみた。昴はまっすぐ画面をみている。喉仏がかすかに動くのをみたとたん、落ちつかない気分がさらに強くなった。  急に立ち上がっても昴はチラッと神里をみただけで、すぐに画面に視線を戻す。ゲームに集中している時と同じだ。リビングの外はひたすら蒸し暑い。神里はトイレに行き、ついでに二階に上がって自分の部屋の戸をあけた。廊下と同じく蒸し暑い。布団が二組、きれいに畳まれている。  神里はエアコンのスイッチをいれて階下に戻った。映画はまだ続いていたが、そろそろ終盤のようだ。 「どうなった?」 「死んでた」  昴があっさりいった。「失踪した友人」のことか。  その後のストーリー展開はいささか強引で、謎は一応解けたもののすっきりしないラストだった。おそらくこの映画の主題は謎解きではなく、主役二人の関係にあるのだろう、と神里は結論づける。  まだボトルにワインが残っていた。 「昴、まだ飲むか?」 「いいや」  昴がいきなり立ち上がったので、ソファの座面がすこし揺れた。壁を通して湯沸かしが動く音が響いた。さては風呂に行ったのか。  リビングでひとりになっても神里はしばらくテレビのリモコンを弄っていた。明日から会社だと思うと立ち上がるのが面倒だ。やっと重い腰をあげ、ワインと残ったつまみを冷蔵庫に入れる。風呂場の電気はもう消えていた。昴のやつ、素早いな。  シャワーを浴びて二階にあがる。昴は布団に転がっている。もちろん神里の部屋である。  暑いうちはしばらくこうなるか。 「電気消すぞ」  神里の声をきいて、昴は面倒くさそうに片手をふった。  部屋を暗くして神里も隣の布団に横になった。目が暗闇に慣れてくると、仰向けになっている昴の顔がぼんやりと見えてくる。 「昴って寝つき良かったっけ」  ふと思いついて神里はたずねた。昴の返事は断定的だった。 「そんなことない」 「そうか? 俺が寝る時におまえが起きてるの、はじめてのような気がする」 「は? おまえこそすぐ眠るくせに」  呆れたような声だったので、神里は急に対抗心を燃やす。 「競争しよう。先に寝た方が負け」  昴が神里に顔を向けた。暗い中で、白目が妙にくっきりみえた。 「どうやって判定するんだ」 「起きてる方が確認する」 「起きてるかってきくわけ?」 「そ」  神里はだめ押しする。「返事がなかったら負け」 「わかった」  昴があっさり了解したので神里はすこし拍子抜けする。我ながら小学生が考えそうな勝負だが、どうもかまってほしい気分だった。 「昴、起きてる?」 「起きてる」  昴の声もあまり眠そうではなかった。 「さっきの映画さ、どう思った?」  返事はなかなか来なかった。まさかもう寝たのか。神里は枕の上を一回転した。昴の頭がすぐ隣にある。神里の方を向いている。 「おまえは?」  そのまま返すなよ。神里はすこし考える。 「映像は雰囲気があって悪くなかった。電車の走行音も入ってたし」 「電車?」昴が不思議そうにいった。 「橋を渡るシーンだよ、忘れた?」 「忘れたもなにも、覚えておくポイントじゃない」 「そうかな」 「そうだろう」 「昴はどう思ったんだ」  またすこし昴は沈黙した。 「失踪した友達のネタを引っぱりすぎだ」 「ああ、それは俺も思った」  続けて映画の話をするつもりだったのに、眠気がやってきて、神里の頭はぼんやりしてきた。昴が何かいった。 「何?」神里は聞き返した。 「何もいってない」 「いや。いった」  昴が吹き出すのがわかった。 「神里、おまえの負けだ」 「なんで」 「もう寝てる」 「寝てない」 「寝ぼけてる」 「そんなことない」  神里は手をのばし、昴の肩をつかんだ。 「まだ起きてる」 「嘘つけ」 「ほら、起きてるって」  ふたりとも同時に笑い出し、お互いの背中に両手を回した。こんなに昴にくっついてしまうのはエアコンが効きすぎているからだ。それなのにいつのまにか唇が重なっている。  俺、昴とキスをしてるぞ。前も一度したことがある――が……。  昴の心臓の音が聞こえる。お互いの息が荒くなるのがわかった。神里は昴と何度も唇をあわせる。舌を押しつけて、シャンプーの匂いを嗅ぐ。脛が絡まり、自分と同じように相手の股間も昂っている。神里は起き上がって昴を正面から抱き起こし、ボクサーパンツに手を入れる。向こうも神里のトランクスに手を突っ込んできた。  やばい。めちゃくちゃ興奮する。 「昴――」  お互いのものを探りながらもう一度唇をあわせる。先走りで指が濡れた。神里はボクサーをぐいっと下げると、昴の腰を抱いて引き寄せる。 「あっ、あっ」  昴が小さく声をあげ、腰を小さく振ると、飛んできたもので腹のあたりが濡れた。昴はとろんとした目つきで神里をみつめ、迷いなく触れてきた。やばい。 「ちょっと待っ――イッ――」  昴は何もいわなかった。無言で神里を追い上げ、手のひらで白濁を受けとめている。神里はその辺にあるはずのティッシュの箱を探した。昴の方へ押しやると暗闇に白い切れ端がひらひら踊る。神里は仰向けに横たわり、タオルケットを胸まで引き上げた。 (ふたりでやってないことってなんかある?) (法事とセックスくらいじゃね?)  前に誰かがそんなことをいった。まさか、残るは法事だけとか? 「昴」  天井を向いたまま呼んでも、昴は答えない。 「寝たのか?」  横をみると昴はタオルケットを頭からかぶっている。ティッシュの箱が枕のあたりで横倒しになっていた。耳を澄ますと静かな寝息が聞こえてくる。 「やっぱり俺の勝ちだ」  神里はひとりごち、目を閉じた。

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