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再インストール(7)

「いいとこじゃん、広いし」 「二人ならこれで十分だよな。ダイニハウスは広すぎだったろ」  今日も外は晴れだ。数日前から夜に冷たい風が吹くようになったが、リビングには景気のいい日光がさしこんでいる。ソファに山川と相原がどっかり座って飲み会がはじまるのを待っている。元ダイニハウス住人プラス赤根先輩による、引越祝いという名目の会だ。 「そうだ昴、前の家どうなった? もう壊した?」 「まだある」昴は割り箸と紙皿を並べながら答える。「年内に壊すらしい」 「そうかぁ……俺たちの青春の家がついに」  山川がしみじみした声でいったが、相原は「大げさなやつ」とそっけなく返した。  リビングは食べ物の匂いでいっぱいだ。テーブルには唐揚げ、いなりずし、エビが飾られたサラダが並んでいる。キッチンでは神里が餃子とフライドポテトを制作中で、赤根先輩の声も聞こえてくる。 「神里君、飲み物は冷蔵庫いれとけばいい?」 「あ、はい。お願いします」 「なんか手伝おうか。それ何?」 「大丈夫なんで、適当にやっててください。坂田は鈴木を迎えに行ったんですよね?」 「ていうか、アイス食べたいからついでに買ってくるってさ」  唐揚げとサラダは坂田と赤根先輩が、いなりずしは山川の持ちよりだ。相原は日本酒と柿の種を持って登場し、鈴木は例によって遅刻である。 「このまえ青いラーメン食ったんだよ」 「青いラーメン? なにそれ」 「まじ青いわけ。絵具みたいな青、海藻かなんかで色つけたらしい」 「味は?」 「塩。海がテーマの期間限定のやつで」 「そういうの脳がバグりそう。ほらあれ、聞いたことあるか? 色のないコーラ飲ませたらどうなったって話さ……」  山川と相原がどうでもいい話をしているあいだに玄関のチャイムが鳴った。昴がドアをあけると鈴木が「鈴木くんが来ましたよー」と自分で宣言した。坂田がその隣で呆れ顔をしている。餃子とフライドポテトがテーブルに加わると、相原はすばやく箸を割った。赤根先輩が牽制するように「あー待って待って!」という。 「揃ったかな? じゃ、とりあえずビールその他で……みんな持ってる?」 「引越お疲れさまでした!」 「ダイニハウスの進化に!」 「昴と神里の新居にカンパーイ!」  進化? それはどうなんだ――と思ったものの、昴もビールのコップをあげ、次にいそいで箸を割った。 「この部屋、みつけるまでどうだった? 大変だった?」  相原の質問に神里が「そうでもなかった」と答えた。昴の隣であぐらをかき、皿にとった唐揚げにレモンを絞っている。 「三軒内見して、もっと駅に近い物件もあったけどここの方がいいかってことになってさ。一軒家みたいな雰囲気あるから落ちつくし」 「そうだね。建物の名前も似てる」赤根先輩がいった。 「なんて名前?」と鈴木がたずねる。昴は唐揚げを頬張っている神里のかわりに「ダグウッドハウス」と答えた。鈴木の眉が寄る。 「似てる範疇に入りますかね」 「ダが同じでしょ。ハウスも」 「先輩それで似てるっていうの、かなりきびしくないですか」 「そう?」赤根先輩はまったく動じなかった。「スズキハウスとかよりは似てるでしょ」 「いやまあ、それはそうですけど」 「そういえば昴君、例のエクセル表、まだ続けてるの? 家事分担の」  話が急に変わったので昴は箸をとめた。赤根先輩はニコニコしながら「前にもらったやつさあ、カスタマイズしてずっと使ってるのよ。資源ごみの日なんかも忘れなくなったし、かなり重宝してる」という。 「今月は休止してるんですよ」と昴は答えた。 「なんで? 引越したから?」 「バタバタしてたので。あと、この機会に作り直そうかなと思って」 「表がなくても分担はしてるの?」 「そこはまあ、なんとなくで」と、今度は神里が答えた。 「俺が飯を作ることが多いんで、昴は片付けとか。ゴミ出しは俺で昴は洗濯とか」 「そうか。さすがだなあ。同居歴うちより長いもんね」 「でもまた作りますよ。張り合いがないんで」  そういって昴はビールの空き缶を片手に立ち上がる。以前のダイニハウス飲み会と同様、飲み物はセルフサービスである。キッチンの冷蔵庫をあけて「張り合い」のことを考える。習慣として、家事分担表の敗者は勝者に焼肉を奢るはずだった。ところが九月は家探しでなんとなく機会をのがし、十月は引越準備でバタバタしていたところに神里の両親が来て、一緒に焼肉を食べたものだから、何となくうやむやになってしまった。  昴は安易に習慣を変えたくないたちである。もっとも、勝者の特典については考え直してもいいのかもしれない。  この家に引っ越してから、大きく変わったこともあるし、変わっていないこともある。  背中に神里の気配を感じたので、昴は冷蔵庫の方を向いたまま、神里好みのビールを取って渡した。すると横から「俺もくれよ」と鈴木の声がする。 「自分で取れよ」 「神里には取ってやってんじゃん」 「どれを飲みたいかわからないだろ」  そういうことかよ、とかなんとか鈴木がぼやくのを尻目に昴はリビングへ戻った。さっき自分がいたところに神里が座っているので、その隣の空いたところへ座ろうとして、ふと、前はこんな風に神里の隣には座らなかった、と思った。ダイニハウスの飲み会では、おたがいの定位置はもっと離れていたような気がする。  これも引越――というか、|あ《・》|れ《・》のせいか。急に恥ずかしい気分が襲ってきたが、今さら場所を変えるのも変だと思い直して、昴はまた神里の横に座った。  あれ、というのはつまり、セックスだ。  引越のために用意した五連休は、終わってみるとその半分くらい、神里とのあれに費やされてしまった。いや、もちろん半分は大げさだ。実際にやってるのはせいぜい一時間とかそんなものだろう。ただ終わった後もふたりでごろごろしたり、疲れて寝てしまったりするものだから、昴の感覚的には休暇の半分くらいがあれに消えたような気がする。  しかもそのあとも続いているし。  さすがに平日はしない――が、休日の夜は、昴のベッドに神里がくるのが習慣になりつつあるような気がする。おまけに昴自身もそれを期待してしまっている。昨夜はここの風呂場で神里とシャワーをあびて、そのままベッドにもつれこんでしまった。  神里が自分の中にいるときの感覚に昴は慣れつつあって、ずっと同じ家で暮らしていたのに、今までこれなしでやってきた理由がわからなくなりつつある。  これがたぶんいちばん「変わったこと」だ。もっともこんなことは表に書いたりしないから、神里と昴のふたりにしかわからない――はずだ。 「なんかさあ、神里と昴って、前よりなんか……馴れ馴れしくない?」  山川がこっちをじろじろ見ていった。すかさず相原が「馴れ馴れしいってなんだよ、息があってるって話かよ」とつっこむ。 「それは前からだって。そうじゃなくてもっとその……」  山川は何かいいかけたが、結局ごにょごにょと言葉を濁した。鈴木と話している神里は山川の言葉を聞いていなかったらしく、今も鈴木をからかって笑っているところだ。昴は自分でも気づかないうちににやにやしていたらしい。神里と鈴木がこっちを向いて、怪訝な顔つきになっている。 「昴? どうしたんだ?」 「なんでもない。鈴木の顔が面白かっただけ」  昴は適当な答えでふたりをごまかす。心の中にじわじわと温かい気持ちが湧きあがる。もしかしたら、いま自分が感じているような気分が幸福と呼ばれるものなのかもしれない。体が接触しているわけでもないのに、神里の温度が伝わってくるような気がする。

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