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番外編 ダブル

 四角い油揚げと四角い木綿豆腐が丸い椀の中で場所取り合戦をしている。  今朝の味噌汁はいささか具が多いんじゃないか、と昴は思う。だからといって文句をいうつもりはどこにもない。しかし一度椀の中をみつめはじめたら最後、油揚げがいびつな台形なのが気になってしまう。スーパーでパックされて売られている油揚げは長方形で豆腐も長方形だ。自分ならどちらもそろえた四角にカットしたくなるだろう。  プロの料理人でもないのにそんなことを気にしていたら、休日の朝食など百年たっても完成しないにちがいない。だから昴は自分で味噌汁を作らないのだ。これは朝食ポイントを神里にずっと独占されていることへの言い訳、ではない。 「昴? なんかあった?」  ハッと我に返ると、テーブルの向かいに座った神里が怪訝な表情でこっちをみている。 「いいや」  昴は椀をもちあげてずずっと啜った。 「なんかじっとみてるから」 「四角いと思って」 「四角?」  神里は眉をあげて椀の中をみつめる。 「具の話か?」  昴はうなずき、黙ってご飯に箸をつける。おかずは明太子だ。白い飯に朱色が鮮やかである。神里もそれ以上つっこむことなく味噌汁を啜った。十年もひとつ屋根の下の生活が続くと、飯を食いながら特に何か話したりもしない。それに朝飯を食べながらとりとめのない思考を遊ばせるのは休日の特権だ。  もぐもぐしながら目をあげるとリビングの大きな窓がみえ、その向こうの青空や木の葉の緑もなんだか妙に鮮やかにみえる。五月の緑は特別なのだろうか、と昴は思う。刺さるような勢いで目に飛びこんでくるからだ。  ダグウッドハウスと名付けられたこの長屋の庭もいつの間にかすっかり緑色である。ここへ神里と引っ越したのは十一月だから、もう半年ほどになる。それはつまり、昴の生活に――神里との関係に、前にはなかった要素が加わってから半年ということだ。  そう思ったとたん妙に落ちつかない気分になって、昴の箸はとまってしまった。目をあげると神里がちょうど茶碗を空にしたところだった。大きめの口が動いて、喉仏がごくっと下がる。急に昴の頭の中に、昨夜この口が何をしたか鮮明によみがえる。  この半年というもの、休日の前の晩はすっかり「ルーティン」ができあがってしまった。セックスするのはたいてい昴の部屋で、昨夜もそうだった。で、神里がいつ自分の部屋に戻ったのか昴は覚えていない。神里は昴よりひとまわり大柄だし、そもそもシングルサイズのベッドは男二人で使うには狭すぎるから、終わると神里はいつのまにか消えている。こうなるまでには三度ほど、どちらかがベッドから落ちそうになっている。  妙なことに、やってる最中はなんとも思わないのに、朝起きて思い出すとなんだかこそばゆいというか、恥ずかしいのである。昴の思いをよそに神里はコップの麦茶をごくごく飲み干している。昴は最後のご飯と明太子を咀嚼しおわった。おかずとご飯を均等に処理できると「勝利した」という気持ちになる。 「ああそうだ、昴」  神里がいった。 「あのさ、ベッド買おうと思うんだけど」 「ベッド?」  昴はオウム返しに答えた。 「うん。でかいやつ。ダブルの」 「ダブル。誰の」  昴の頭はまだ、神里がどんなつもりでこの話をしているのか理解できていなかった。神里はいつものように自分の食器を重ねて立ち上がった。食べ終わると各自キッチンのシンクへ持っていくルールである。ちなみに洗うのはたいてい昴で、家事分担戦績表では昴のポイントになる。 「俺の部屋だよ」神里は洗い桶に食器を入れ、蛇口をひねった。 「引越してわかったけど、ベッドの方が腰にいいし、ダブルならそのまま二人で寝れるだろう。どうよ? するときだって広い方がいいだろ」  やっと何の話をしているのか理解して、昴は麦茶にむせそうになった。なんとか小さな発作でおさめたが、キッチンの方から神里は昴をふりかえっている。律儀に答えを待っているのだ。 「そりゃ、そうだけど……ダブルってどのくらい」 「こんくらいかな」  昴は値段のことを聞いたつもりだったが、神里はテーブルの方へ戻りながら両手を伸ばした。とたんに昴は神里の部屋の機器類を思い浮かべた。この同居人は鉄道音の録音だのミックスだのが趣味なのだ。 「でもおまえの部屋さ、なんかいろいろあるだろ。機械とか箱とか。入んの?」 「入るよ。空き箱は片づければいいし」 「……べつにいいけど。ていうか僕のじゃないからな」  神里が神里の金で買うといっているのだから、自分が文句をいうべきことではない。一度はそう思ったものの、昴はふと食器を重ねる手をとめた。  昴はベッドでないと眠れないたちだから、今回の引越でもずっと使っていたシングルベッドを持ってきたが、神里は一貫して布団派だった。つまり、いままで布団ですませていた人間がわざわざベッドを、それもダブルを買うきっかけはほかならぬ自分で、しかも自分も使うからこその買い物ということになる。  とすればこれは神里の純粋な私物といえるのだろうか。たとえばテレビのような共有財産ということになるのだろうか。リビングのテレビはふたりで金を出し合って買ったものだが、稼働時間の多くは昴のゲームに費やされている。 「昴?」  考えこんでしまった昴に神里は怪訝な目を向けていた。 「あ、うん。好きにしろよ。その……」  昴はためらったが、やはり提案することにした。 「このさいだから機材とか、物干し部屋におけば」  物干し部屋と呼ばれているのは二階の和室である。来客用の布団を押し入れにしまっているだけで、洗濯物を干すベランダに通じている。冬の天気が悪い日は部屋の中で干していたから、いつのまにかその名前になった。 「え、でもあそこは空けておこうっていってただろ?」 「おまえの趣味ラックと椅子があってもまだ場所はあるだろ」 「まあ、誰か来たときに布団敷けるくらいは」 「もし僕に見られて困るものがあるなら――」昴はそこまで口に出して気がついた。 「――でもそっちのベッドでするなら同じだし」 「それもそうだ。ま、ないけどそんなの」  神里はあっさりいう。ほんとか? と昴は思ったが、口には出さなかった。神里の判断基準は昴とはちがう。ちがうものに口を出しても意味はない。 「どこで買うんだ?」  たずねると神里は首をひねり「通販かねえ」という。 「自分で組み立てるやつ?」  昴はたたみかける。神里はここに引っ越してからも通販でラックのたぐいを買い、電動ドライバーで組み立てていたからだ。 「そうだなあ。ベッドはでかいからな。どうすっかな。通販サイトはいくつかみたけどさ」 「ダブルってどのくらいの大きさなんだ」 「ホムセンの二階に家具屋あるから、見に行く?」 「ああ――」昴は首を縦にふりかけて、あわてて戻した。 「いい、行かない」 「いいのか?」神里は真顔でたずねる。 「昴も使うもんだしさ、気に入るものの方が――」 「いいからいい。僕はなんでも文句はいわない」  昴は音を立てて椅子から立ち上がり、食器をシンクに持って行った。ついでに皿を洗ってしまおう。妙に顔が熱くなって、神里の方をみたくないと思った。  結局、神里は通販で家具を注文したらしい。  運送会社のトラックがやってきたのはそれから三週間後の土曜日で、梅雨入りの直後だった。雨がちで肌寒い気温の日である。  趣味の機材一式は和室に移し、広くなったフローリングの部屋に作業員二人ががりでベッドの枠が運ばれ、マットレスが据えられているあいだ、昴はリビングでゲームをしていた。上の方では少しのあいだ、どすんとかばたんとか音がしていたが、やがて静かになった。昴はトラックのエンジン音が聞こえなくなるまでコントローラーを握っていたが、ついに我慢できなくなって階段を登った。  神里の部屋のドアは半開きになっている。のぞくと以前は何もなかった壁際にでかい家具が鎮座していた。床に掛布団がケースに入ったまま転がって、シーツをかけただけのマットレスに神里が寝転がっている。昴をみると手を振った。 「昴、来いよ」  昴はそろそろ部屋に入った。 「どうよ」神里はにやにや笑っている。 「なんで笑ってるんだ」 「昴の反応を楽しみにしてたんだ」 「なんだよ、それ」 「いいから、こっち来いって」  昴は神里をじろっとみて、危険な動物でも触るようにマットレスを叩いてから、そっと腰をおろした。 「おっ」思わず声が出る。 「弾むな。僕のベッドよりいい」 「そうか?」  神里は寝転がったまま体を弾ませた。 「おっ、たしかに」  ハハハっと神里が笑い、もう一度マットレスを大きく揺らした。つられて笑った昴の尻もぽんと弾み、勢いでマットレスに転がってしまう。  昴は神里の腹に頭をもたせかけ、そのまま斜めに寝そべった。 「広い」  神里の両手が昴の頭を抱えて「ダブルの威力だ」という。 「でもこれ、シングルの二倍のサイズじゃないよな」 「人間が二倍ってことだろう」  神里の腹は温かくてすこしだけぷよぷよっとして、昴の頭をいい感じで支えている。手が昴の髪をかきまわしはじめ、これも腹の温度と同じくらい気持ちがいい。頭を撫でられている猫のように昴は薄目を閉じて「このベッド、いいな」と素直な感想をもらした。 「それはよかった」  神里の腹が揺れる。笑われているような気がしたので、昴は「弾むし、いい感じの枕がついてる」と反撃した。神里は「俺の腹を枕にするな」といって、また笑った。 「昴、こっちにこいって」  髪をかきまわしていた手が消え、昴はごそごそと神里の横に体をひっぱりあげる。肩に回った腕がぐいっと昴を引き寄せる。人間が二倍とはこういうことか。くっついた胸が神里の体温でぬくもるのを感じながら、昴はダブルの意味を考えている。

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