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ネヴィスランド

「ここが、ネヴィスランド……」  従者としてルネ王子に同行したティノは、道中、馬車の窓から外を眺めてばかりいる。  雷鳴轟く暗い空。陰鬱な風景。異形の魔物たち。そんな光景を想像していたティノは、安堵に胸を撫で下ろしていた。空は青く晴れ渡り、北国の澄んだ空気がおいしい。柔らかな陽射しが深緑の山々に降り注ぐ。通り過ぎる街々は活気に満ち、よく整備された街路や、美しい街並みに驚かされた。  沿道で目にする魔族の民は、たまに獣の耳のようなものがあったり、尻尾や翼が生えている以外は、人間とさほど変わらないように見えた。皆、陽気な顔つきをしている。むしろセヴィーラの民の方が表情は暗い。ティノは口にこそ出さなかったが、そう思った。  たび重なるマファルダとの紛争は、セヴィーラの民の肩に重くのしかかっている。徴兵、そして慢性的食糧不足と重税による貧しい暮らしが、人々から笑顔を奪っていた。暴君フェルディナ八世の治世に喘ぐ人々に比べれば、ネヴィスランドの民は、ずっと豊かで幸福に見えた。 「想像していたより、快適なところですね」  ティノは明るい声で言ったが、ルネ王子は生返事をしただけだった。車窓を行き過ぎる風景にも興味はないようで、先ほどから虚空を見つめたまま、もの思いに耽っている。張り詰めたその表情が、ティノの言葉に和らぐことはなかった。 「しっかし、大丈夫なのかよ~。人間とかさぁ……」  黒猫は含みのある声音で、窓辺に立つアルシエルに呟いた。窓から見えるのは、宮殿に向かってくる馬車の行列。セヴィーラ王国からはるばるやって来た、ルネ王子の一行だ。 「あいつらって、凶暴で強欲で勝手だろ。そんなのと結婚していいのかよ」 「魔族にもいろいろな者がいるのと同じで、人間みんながそうではないでしょう」  アルシエルは思慮深い瞳で猫に一瞥をくれ、また窓の外へ視線を戻した。 「でもあいつら、魔女の遣いとか言って猫をいじめたんだぜ!」 「昔の事です」  「そんなに昔じゃねーよ! ほんの何百年か前の話だ」  猫は不機嫌に尻尾を振る。 「その頃は魔族もわりと、乱暴なふるまいをしていましたからね。お互いさま、といったところでしょう」 「うぅ~ん。まあなぁ……」 「魔王さまの選んだ方です。温かく見守りましょう」 突然大きな音がしたかと思うと、街の上空に花火が上がった。魔王さまのご婚約者がいよいよ到着ということで、お祭り騒ぎの大好きな魔族は大いに盛り上がっているのだった。街のあちこちで、祝い酒も振る舞われている。 「ついに、この日がきたぞ……!」  朝早くから、宮殿の正面口辺りを所在なくうろうろしていた魔王さまは、次第に近づく行列を熱い眼差しで見つめた。緊張したり動揺した時の癖で、首にかけた黄金のペンダントの、大きなペンダントトップをぎゅっと握りしめる。  行列はまだだいぶ遠くにいるものの、その煌びやかさは既にここからでも見て取れた。美しく飾られた馬が絢爛豪華な馬車を引き、付き従う者たちは、洗練された揃いの衣装に身を包む。随行する音楽隊の奏でる、心地よい調べが遠く聞こえてくる。  それは豊かな文化を誇るセヴィーラの、粋を凝らした花婿行列だった。 「さすがはセヴィーラの王子さまだなあ」 「素敵ねえ」  魔王さまの側で、出迎えのため待ち構える宮殿の兵やメイドたちが感嘆のため息をつく。  本当に進んでいるのかと焦れるほど、行列はゆっくり歩みを進めた。数時間も待ったかと思われた頃ようやく、先頭の馬が宮殿の正門をくぐる。そしてついに、ルネ王子の乗る馬車が、魔王さまの待つ宮殿の正面口に止まった。  緊張の一瞬が訪れる。魔王さまはまだペンダントを握りしめていたのに気づき、慌てて指を離して居住まいを正した。  宝石をちりばめた、豪奢な馬車の扉が開く。そして従者に手を取られ、ルネ・セヴィーラ・フェルディナ王子が今、ゆっくりと馬車から降りてきた。 「セヴィーラ王国第六王子、ルネ・セヴィーラ・フェルディナ、お召しにより参上いたしました」  ルネ王子は、まるで踊り子のように隙のない優美な仕草で、出迎えの一同に向けてお辞儀をした。 (う……、動いたあああぁぁぁあっ!!)  魔王さまは、雷に打たれたように立ち尽くした。  ルネ王子は亜麻色の巻き毛をふわりと揺らし、魔王さまの方に顔を向ける。 (が う゛ぁ い゛い゛ぃぃぃ……!!) 「あ゛、う゛……」  用意していた歓迎の言葉は、頭の中からかき消えてしまっていた。  魔王さまの気性をよく知る宮殿の侍従長が進み出て、二人を引き合わせる。 「ようこそおいでくださいました、ルネ殿下。ネヴィスランドの民一同、心よりお待ち申し上げておりました。こちらがルネ殿下のご婚約者、我がネヴィスランドの魔王さまでございます」 「魔王さまにはご機嫌麗しく――」  ルネ王子は和やかに挨拶をしつつ、魔王さまを観察した。 (これが魔王か。なるほど、いかにも魔物らしい不吉な黒髪だ。それに『氷の皇子(アイス・プリンス)』の名の通り、氷のように冷たい青い瞳……) (喋った! 喋ったぞ!!)  魔王さまは、ただペンダントを握りしめている。  ルネ王子は伏し目がちに、しかし油断なく辺りを見回した。到着するなり捕らえられて監禁されるかも、と思っていたが、ネヴィスランド側はそこまでする気はないようだ。 (さしあたり、婚約者という体裁を整えておくつもりか) 「よっ……、よくぞ参った!!」  急に魔王さまが、妙に甲高い声で言った。 「のっ、のっ、後ほどっ、昼、食会を、予定して……いるので……」  侍従長がすかさず助け船を出す。 「ルネ殿下。長旅でお疲れでしょう。お部屋へご案内いたしますので、昼食会までお休みください」  侍従長はルネ王子に手を差し伸べた。 「う、うむっ。ゆるりと休むがよい! また後ほど、昼食会でお目にかかろう!」  魔王さまはくるりと踵を返し、そのまま逃げるように早足で歩き去ってしまった。ルネ王子はその背中を見送りつつ、微かに眉をひそめる。 (ふん。人質ごときの相手をする暇はない、というわけか)    「こちらへどうぞ、ルネ殿下」  侍従長に手を取られ、いよいよルネは、ネヴィスランド宮殿に足を踏み入れた。 「ぜんっぜん! 会話が! できなかったぞ!!」  魔王さまは自室に駆け込むなり、黒猫とアルシエルに叫んだ。 「朝からあれほど用意してたのにな」  猫はのんきに顔を洗っている。 「甘く見ていた! あんなに可愛かったとは! とても無理だ!!」 「いやいや、無理じゃ困るだろ」 「魔王さま、要は慣れです。魔王さまは色恋沙汰に慣れておられないので、緊張してしまっただけでしょう」  アルシエルが諭した。 「し、しかし……」 「おどおどしていると、それだけで格好悪く見えてしまいます。魔王さまなのですから、堂々と男らしく、威厳を見せましょう」 「そ、そうか……。威厳……。うん……」  魔王さまは不安げな顔で、首元のペンダントを握りしめた。  宮殿に用意されたルネの部屋は、セヴィーラの自室に比べるとなんとも地味だった。壁紙は真っ白で、調度も品質はよいが意匠に乏しく華やかさに欠ける。芸術を愛し、衣装や細かな道具類の一つ一つまで装飾にこだわるセヴィーラ人としては、なんとも味気ない、質実剛健そのものの部屋だった。 「人質には、この程度の部屋で充分だろう」  ルネは室内を見回しながら皮肉を言った。 「せめて壁紙だけでも明るい色にすれば、ぜんぜん雰囲気が違うのに……」  しかし、入り口の扉をティノがそっと押してみると、それは施錠されていなかった。 「これなら、例の計画がやりやすいですね」  廊下に首を出して見張りがいないことを確認し、ティノは言った。 「そうだな」 「ですが本当に、そんなものがあるんでしょうか? 『魔力の宝玉』なんて……」 「僕も話を聞いた時は、半信半疑だったが」  ルネは思案顔で首を捻った。  魔力の宝玉。それはネヴィスランド王家に伝わる秘宝で、その名の通り、強大な魔力を封じた石だ。宝玉を手にした者は、その魔力を自在に扱うことができるのだという。 「魔力の宝玉を手に入れろ」  ルネがネヴィスランドへ行くよう命じられた日、フェルディナ八世はそう言った。 「ですが父上、恐れながら、盗みは罪です。それにネヴィスランドも、そんなことをされれば黙っていないでしょう。戦争になります」 「構わん」  フェルディナ八世は、きっぱりと言った。 「むろん、秘密裏に持ち帰る事ができれば一番よいが、露見したとて宝玉さえあればこちらのものだ」  歴史上何度か、魔力の宝玉は略奪されて敵国の手に渡った。宝玉を手にした国は、その絶大な魔力を使って諸国へ攻め入り、巨万の富と領土を得たという。 「宝玉の魔力を武器にマファルダを制圧すれば、ネヴィスランドも恐るるに足らん」 「は、はい……」  躊躇うルネに、フェルディナ八世は狡猾な瞳を半月型に細めた。 「ルネよ。お前はまだ若い。だが若さゆえの理想だけで国を治める事はできぬ。国家を導く者には、時に汚名を着る覚悟も必要だ。お前に果たしてその覚悟があるかどうか、見極めねばならんな……」 「ち、父上!? それは――」 「分かるな? ルネよ。魔力の宝玉は我が国にとって大きな利益となる。そして――」  フェルディナ八世はルネに囁きかけた。 「国家に利益をもたらす者には、それにふさわしい地位と名誉が与えられるべきであろうな」 「――――!!」 「ルネよ。お前は、あのクラウディオにも劣らぬ資質を持っている」  フェルディナ八世は言った。 「だがいかんせん、母親の身分が低い。むろん後継者の指名には、身分に関わらず優秀な王子を選ぶ決まりだ。しかし二人の王子の間で優劣がつけ難い場合――、はて、どうしたものであろうな?」  フェルディナ八世は、思わせぶりな目つきでルネを見やる。 「なに、相手はたかが魔物、神の愛の外にある者たちだ。いわば獣と同等。彼らから奪ったとて、それは生きるために狩りをするのと同じ事だ」  しばしの間の後で、ルネは唇を噛みしめた。膝を着いてきりりと顔を上げ、父王の瞳を真っ直ぐに見据える。 「承知しました。お任せください、父上」 兄のクラウディオを出し抜き、フェルディナ八世の後継者として指名されるには、これしかない。 (母上……。僕は必ず王座を手にします。どうぞ見守っていてください)  ルネは天国の母にそう誓い、ネヴィスランドへ向かった。   「念入りに頼むぞ、ティノ」 昼食会の衣装を選ぶティノに、ルネは背後から声をかけた。 「はい! お任せください」  ティノは肩越しに振り返って笑う。 「まずは魔王に気に入られて、宝玉のありかを探り出さなければいけないからな――」  ルネは思案しつつ呟いた。  魔力の宝玉は現在、和平条約によりネヴィスランドへ返還されている。そしてネヴィスランドでは、次代の大魔王になる者が宝玉を管理する習わしだという。 「隠し場所が分からないことには、始まりませんからね」  選んだ衣装をルネに着付けながら、ティノが言った。 「そうだな。せいぜい愛想よく振る舞って、あの魔王さまのご機嫌を取ることにしよう」 ルネは可愛い顔に些か不釣り合いな表情で、ニヤリと笑った。

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