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準備

「いよいよ今夜だな」  白い猫は、厳粛な面持ちで言った。  「『成功する』に、干し魚三尾!」  キジトラの猫が、勢いよく前足を上げる。 「おいおい、気が早いなあ」  灰色の猫が呆れたように言った。 「もっとよく考えて賭けろよな。ギャンブルに焦りは禁物だぜ?」 「そうそう」  茶色の猫もキジトラに意見した。 「思わぬ失敗ってこともあるぞ。なにしろ童貞なんだから」  しかし楽天家のキジトラは聞く耳持たず、陽気に尻尾を振った。 「魔王さまだって、初夜ぐらいビシッとキメるだろ!」 「じゃあお前は、『成功』の方でいいんだな?」  白猫が念を押す。 「うん」 「よし。干し魚三尾……、と」  白猫は手元の紙に、丁寧に書きつけた。  他の猫たちも、口々に予想を話し合う。 「あの魔王さまだしなぁ……。ちゃんとやれんのかなぁ」 「うーん。俺は、根性出すと思うけどな」 「どうだろ。緊張しすぎてダメだった、とか、いかにも魔王さまっぽいけど」 「じゃあお前は『失敗』に賭けるか?」 「いやいやいや! ちょっと待て。よーく考えてから……」 「どうすっかなー」  猫たちは慎重の上に慎重を重ね、思案した。 「よーし。いつまでもグダグダ悩んでも仕方ねえ。俺も、『成功』にネズミ一匹!」  きっぷのいい三毛猫が決断した。それを合図にしたように、 「じゃあ僕も、『成功』にマタタビ一袋!」  黒ブチの猫が言った。景気のいい賭け品に、猫たちはどよめく。 「まあ、童貞卒業のご祝儀ってとこかな!」  黒ブチは、少し高飛車な態度で胸を反らした。迷っていた猫たちもそれぞれ心を決め、賭け品を積んでいく。結局ほとんどの猫が、「成功する」に賭けた。 「後はお前だけだぞ」  白猫が、魔王さまの黒猫に言った。それまで黙って皆の様子を見ていた黒猫は、意を決したように口を開く。 「……俺は、『失敗する』に賭けるぜ。おやつ向こう一週間分だ!!」 「おお~~っ!!」 「すげー!」 「大きく出たな~」 「太っ腹~~!」  猫たちは騒めいた。  大穴狙いの黒猫は、ニヤリと笑った。金色の瞳が光る。黒猫は誰よりも、魔王さまをよく知っているのだった。 「さあ、資料が届きましたよ、魔王さま」  城の小間使いが二人がかりで、大きな木箱を魔王さまの部屋に運び込んだ。アルシエルが蓋を開けると、大量の本が詰まっている。 「こんなに買ったのか」  魔王さまは木箱をのぞき込んだ。 「お勧めを見繕って宮殿に届けるよう頼んだのですが、まさかこんなにとは」  アルシエルも少し驚いている。 「まあいい。たくさんあればそれだけ、知識の量も増えるというものだ」  魔王さまは本の山を眺めて言った。  念願叶ってルネ王子をネヴィスランドに迎えることになったものの、魔王さまは人間についてあまり知らなかった。習慣や礼儀作法が分からないと、いざコトに及んだ際、ルネ王子に不快な思いをさせてしまうかもしれない。そこで魔王さまは、あらかじめ書物で学んでおこうと考えた。 「それはよい考えですね。相手の事を知るというのは、円満な関係の秘訣ですから」  アルシエルも賛成し、事前に街の本屋へと出向いたのだった。  アルシエルは店番の娘に、人間の、かつ男性同士の恋愛関係について書かれた本が欲しい、と言った。するとどういうわけか、娘は瞳を輝かせた。 「同志よ!」  娘はがっしりとアルシエルの手を取った。 「どういうものがお好みですか!?」 「え、ええと。なにぶん素人で、よく分からないのですが……」  アルシエルは娘の迫力に気圧されつつも、ずいぶん仕事熱心だなと好感を持った。 「もしや貴女は、その道の専門家なのですか?」 「ええまあ、」  アルシエルの言葉に、娘は控えめに答えた。 「ネヴィスランドで手に入る本は、全て読み尽くしましたね……」 「まあ!」  まだ若いのに、なんという勉強家だろう。どこか遠くを見るような、達観した娘の目つきに、アルシエルは敬服した。 「貴女のような権威に出会えて幸運です。お勧めの本を見繕って、宮殿に届けてもらいたいのですが――」  こうしてその、本の詰まった木箱が届けられたのだった。  箱には娘の手書きらしいカードが添えられていた。「エンジョイ!」というメッセージと共に、親指を立てた彼女の似顔絵が描かれている。彼女は絵も達者なようだ。きめ細かな顧客サービスに、アルシエルはすっかり感心した。 「いよいよ今夜ですね、魔王さま」 「うむっ!」  魔王さまは気合いの入った声で答えた。  ついに今夜は、ルネ王子との初夜。婚約者として立派に役目を果たせるよう、しっかり学んで準備しておかねばならない。 「なにしろ俺は、人間のことをすっかり忘れているからな……」  魔王さまは、少し寂しげな顔で木箱を見下ろした。  今は亡き魔王さまの母は、生前、大の旅行好きだった。幼かった魔王さまもよく、母のお供で人間の国へ出かけたものだ。しかし母を亡くして以来、魔王さまは人間の世界からすっかり足が遠のいてしまっていた。  懐かしい母との旅の思い出に、魔王さまはしばし思いを馳せた。 「これだけあると、一体どれから読めばよいのでしょうね」  アルシエルは、箱から本を取り出しながら首を傾げる。魔王さまも一緒になって、一冊ずつ順番に表紙を眺めた。 「おや、その本は……」  ある本のタイトルが目に入り、魔王さまはふと手を伸ばした。 「『契約の花婿は初夜に穢される』……?」  花婿、そして初夜というキーワードが魔王さまの興味を引いた。手に取ってぱらぱらめくってみると、美麗な挿絵の少年は、ルネ王子に少し似ている。 「おお。これはよさそうだ」  人間がどのように初夜の儀式をとり行うのか、詳しく書かれた本に違いない。参考になるだろう。魔王さまはこの本から読むことに決めて、椅子に腰かけた。 「では、お茶をいれましょうね」  アルシエルは茶の準備をしにいった。 「俺も読む~」  黒猫が魔王さまの膝に乗る。 「よしよし。では一緒に学ぶとしようか」  魔王さまは猫を撫で、本を開いた。    **~契約の花婿は初夜に穢される~** 「ふふふ……。この時を待ち詫びたぞ、我が花婿よ」 「やめてっ!」  キールは、自由のきかない身体で必死にもがいた。しかし、両手は寝台の縁にしっかりと括りつけられている。 「今さらそんなことをしても無駄だぞ。痛い思いをしたくなければ、大人しくしていることだな」  寝台の脇から、グレン将軍が冷ややかな瞳でキールを見下ろした。 「おや。それとも、痛い方がお好みかな?」  グレン将軍は身動きできないキールの上に身をかがめ、からかうように指先で顎を持ち上げた。 「な、何を……!」  突然の、貪るような口づけに、キールの言葉はかき消された。侵入する熱い舌が、容赦なく口腔を犯していく。 「ん、んんっ」  キールは囚われの小鳥も同然だった。どれだけもがいても、力強い腕に抱きすくめられたまま、少しも動けない。たとえ縛られていなくても、この腕からは逃れられなかったに違いない。 「はぁ……っ」  ようやく熱い舌から解放されて安堵したのも束の間、グレン将軍はキールの首筋に唇を寄せた。欲望を滾らせた唇が、キールの無垢な肌に吸いつくように口づける。そして、耳元へ這い上がっていった。耳に熱い息がかかり、キールの身体がビクンと跳ねた。 「あ、あっ、」  思わず漏らした声に、キールは頬を染める。微かな含み笑いが耳元に届いた。 「素直な子だ。では、褒美をやろうか」  グレン将軍は半身を起こし、キールの服を性急に剥ぎとった。  白い肌が、羞恥で桃色に染まる。キールは身を隠そうと焦ったが、寝台に縛りつけられたままで、どこに行けるはずもない。グレン将軍は目を細め、瑞々しい裸体をじっくりと堪能した。 「ふふ……」 バラの蕾のような胸の突起に唇を寄せ、焦らすように舌先でつつく。 「ふぁ、あ、や……っ」 「あ、あぁっ!」 「あ……ふ」  こんなこと、望んでいない。それなのに、敏感な突起を撫でるその舌先に、なぜか身体が反応する。それはまるで、心を犯されているようだ。こんなことになる前の、グレン将軍――、あのどこか悲しげな、それでいて優しい笑顔が――、キールが大切に胸にしまった思い出が、卑猥な舌先に暴かれ、穢されてゆく。  違う。騙されていたんだ。キールはあの淡い想いを押しのけるかのように、身体を思いきり捩った。 「やめ……っ!」 「やめろ? 契約を交わして、お前は既に私のものだ。どうしようと私の勝手だ」 グレン将軍はキールに残酷な現実を突きつけるかのごとく、いまだ汚れを知らないその部分に手を伸ばした。 「……ひっ!」  キールは身をすくませる。 「大人しくしていろ。村の皆を助けたいのだろう?」 「う……、う……っ」 「お前が私のものになれば、村の安全は保証してやる。そういう契約だ。忘れたか?」 「わ、忘れるもんかっ」 「では、私のために鳴いてみせろ」  グレン将軍は、キールの両足を大きく開いて自分の肩に乗せた。恥じらう暇もなく、残酷な愛撫がキールを支配する。 「安心しろ。私もそれなりに経験を積んでいるから、なるべく苦痛を少なくしてやろう」  その高慢な態度と同様に、乱暴で無遠慮な愛撫であれば、これほど感じたりしないのに。だがグレン将軍の手は言葉と裏腹に、繊細で優しく、キールがどうされるのが好きか、知っているかのようだった。清らかな性器にじっくりと教え込むように、グレン将軍の手はそれを撫でさすり、包み込み、扱いて快楽を引き出していく。本人が言う通り、さぞかし経験豊富なのだろう。キールは屈辱と快感と胸を刺す痛みに耐えながら、朦朧とした意識の底でそんなことを思った。 「あ、あふ、ん……ふぅ」 「はぁ……っんッ!」  自分の甘い声を聞くに堪えず、キールは血が滲むほど唇を噛んだ。せめてもの抵抗に、ありったけの怒りを込めた眼差しでグレン将軍を睨む。だがその瞳には、涙が滲んでいた。 「おや。まだ泣くのは早いぞ」  グレン将軍はニヤリと笑い、身に着けた夜着をぞんざいに脱ぎ捨てた。  無駄の一切ない、均整のとれた筋肉に覆われた身体。剣術の稽古の賜だ。逞しく天に向かう性器に、キールは目を見張る。と、逃げる間を与えず、グレン将軍はキールの小さな尻をしかと捕らえた。ずいと腰を突き出すと、キールの秘部に、驚くほど熱く硬い性器が押し当てられる。 「……痛ッ!!」  それは雷のようにキールを貫いた。 「あ、アッ、ひぃっ、あ――!!」  泣き叫ぶ声におかまいなしに、グレン将軍は自らの雄をキールに沈めた。そして容赦ない抽挿を始める。恐怖ですくむキールの身体に、熱い楔が幾度も打ち込まれる。 「やめてぇっ、い、痛……っ、」 「ひっ!! やだっ、放し――」 「いやぁぁあああぁっ!!」 「どうして……どうしてこんなこと――!」  澄んだ瞳から涙が零れ落ちる。その瞳で、キールはグレン将軍を見つめた。  優しい人だと思っていたのに。キールや村の皆が好きだと――、村を助けてくれると言ったのに。 「どうして……、かな」  そう呟いたグレン将軍の声は、キールにではなく、己自身に向けて発せられたように聞こえた。 ********************   「なななななんだこの男はっ!!」  魔王さまは、本を取り落としそうになった。 「村を守ろうとする健気なキール少年に、なんというひどいことを!! このグレン将軍とやらは、極刑に処す!!」 「俺ちょっと興奮した」  猫が前足を舐めつつ呟いた。 「落ち着いてください、魔王さま。これはお話です」  アルシエルが、茶受けのクッキーを魔王さまに差し出した。 「ともかく最後まで読んでみましょう。中途半端な知識で物事を断ずるのは、愚か者のする事です」 「そ、そうだな。では……」  魔王さまは気を取り直し、再び本を開いた。可哀想なキール少年に胸を痛めつつ読み進むうち、物語は次第に違う様相を呈してきた。  非道と思われたグレン将軍だが、実は明かせぬ秘密を胸に抱えていた。キール少年を深く愛しているにも関わらず、その想いを伝えることは許されない。自らの愛と皮肉な運命の狭間で、悩み苦しむグレン将軍。一方キール少年も、初めはグレン将軍を憎むものの、時折垣間見るグレン将軍の悲しみや孤独にいつしか心を寄せていく。そしてついに二人は手を取り合って運命に抗い、心から結ばれるのだった! 「うっ、うっ……」  魔王さまは嗚咽と共に、本を閉じた。 「なんと美しい、愛の物語だろうか……!」 「大変興味深いですね」 「まあ普通に面白かったな」  三者三様の感想を述べつつ茶の卓を囲み、一息入れる。アルシエルはもう一度ぱらぱらと本をめくりつつ、小首を傾げた。 「人間というのは、とても繊細で複雑ですね。私はてっきり、このキール少年が血で血を洗う復讐劇を展開して、グレン将軍を一族郎党もろとも皆殺しにするのかと思いましたが」 「人間は優しいのだな。キール少年は初めからグレン将軍を好きだったから、裏切られたと思ってひどく傷ついた。だがそれでも憎みきれずにいた」 「予想外の展開で、面白かったです。……さてと」  アルシエルはパタリと本を閉じ、まだ余韻に浸る魔王さまに、鋭い緑の瞳を向けた。 「今晩の初夜は、この本を参考にすればよいわけですね」 「ハッ!!」  魔王さまは本に夢中になっている間に、そのことをすっかり忘れていた。 「だ、だが! グレン将軍がキール少年にしたようなことを、俺がルネ王子に!?」 「それが人間のやり方なのでしょう? この本によれば」 「し、しかし……。俺にはとても……」 「魔王さま。これを口にするのは大変申し訳ないのですが……、」  アルシエルは姿勢を正し、真剣な眼差しで魔王さまを見据えた。 「『例の件』があります。なるべく早いうちに童――純潔を、捨ててもらわねばなりません。これ以上引き延ばすのは無理です」  アルシエルは、厳しい声で言った。  実はさる事情から、魔王さまは一日も早く、大人の男になる必要があるのだった。 「う、うん。分かっている……」 「では、今夜のご成功をお祈りします」 アルシエルの丸眼鏡が、キラリと光った。

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