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視察

 数日が過ぎた。  魔王さまは毎日ルネ王子と食事や茶を共にし、二人の時間を過ごすよう努めていた。王子が早くネヴィスランドの生活に慣れるよう、城内を案内して回ったり、庭園の散歩に連れ出したりするうちに、魔王さまの緊張も徐々にほぐれてきた。初めはろくに口をきくこともできなかった魔王さまだが、今は辛うじて、ルネ王子との間に会話が成り立つまで進歩している。仲睦まじい二人の様子を、宮殿の者たちも温かく見守っていた。 ――だが、しかし。  何かが欠けている。  魔王さまはそう感じていた。こんなに一緒に時間を過ごしているのに、少しもルネ王子と仲よくなれている気がしないのだ。  ルネ王子は控えめで大人しい。どんな話題を振っても、そつなく礼儀正しい、社交術の模範解答のような返事が返ってくる。しかしそれはまるで、よくできた人形を相手に話をしているようだった。ルネ王子がどんな人間なのかが、少しも見えてこないのだ。ルネ王子は上品な微笑みを浮かべながらも、決して心を許していない。魔王さまにはそう思えてならなかった。  やはりあの一件で嫌われたのか、とも考えた。だがその割には、王子はふとした瞬間にこちらをうかがっていたりする。目が合えば、慌てたように顔を背けるのだが。  今にして思えば、あの、ルネ王子が腹を立てて強烈な一撃を繰り出した瞬間。あの瞬間こそが唯一、本当のルネ王子を垣間見た瞬間だという気がした。魔王さまは、ああいうルネ王子をまた見たい、などと思っている自分に気づき、おかしなことを考えるものだと首を傾げた。 「人間とは、難しいものだな」  魔王さまは独りごちた。  魔族には社交辞令や謙遜、建前といった習慣がなく、心の内をそのまま口にする。単純、かつ分かりやすい。だが人間はもっと繊細で複雑だ。魔王さまはルネ王子のことをよく知りたかったが、どうすればよいか分からなかった。これまでに知ることができたのは、可愛くて剣が上手で優しい、ということだけだ。  ほんの少し前までは、ルネ王子がネヴィスランドに来てくれる、それだけで天にも昇る心持ちだったのに。今ルネ王子はここにいるのに、どこか遠くにいるようで、魔王さまは無性に寂しかった。短い間にずいぶん贅沢になったものだ、と魔王さまは思う。 「魔王さま」  部屋で一人、捕らえどころのない悩みに悶々としていると、アルシエルがやってきた。 「本日のご予定ですが――」  アルシエルは、手にした書類の束をぱらぱらとめくった。 「おお、今日は定期視察の日だな」  魔王さまはカレンダーに目をやった。  果物の栽培、そしてその果物を原料としたアイスクリームの製造、輸出が、ネヴィスランドの基幹産業だ。アイスクリームは実に輸出品目割合の八割を占め、ネヴィスランドの経済を支えている。  ネヴィスランドではアイスクリーム産業を国家事業とし、原材料の生産から完成品の輸出までを、アイスクリーム管理省が一手に統括管理している。魔王さまはそのトップ、アイスクリーム管理大臣の任に就いているのだ。  定期視察に赴いて現場の声を聞き、問題点や提案などを拾い上げ、宮殿で行われるアイス会議に議題を提出する。それはアイス大臣として、魔王さまの重要な仕事だった。 「まず、南第二果樹園から回ります。その後で――、」  魔王さまの元気がないことに気づき、アルシエルは言葉を切った。 「どうかされましたか?」 「あ、いや、その……」  ルネ王子のことを、アルシエルに相談してみようか。魔王さまは考えた。しかし、どう相談すればよいか分からない。それに……、 (恋の悩みを相談するなど、かっこ悪いではないか。男らしくない) 「いや、なんでもない!」  魔王さまは胸を反らした。 「そうですか」  アルシエルは再び書類に目を落とし、連絡を続けた。 「果樹園の後で東第三アイス工房、それから街の方へ回る予定です」 「分かった」 「魔王さま。ルネ王子も誘ってはいかがですか?」  書類の束を閉じ、アルシエルは言った。 「ルネ王子を? 視察にか?」 「ええ。ネヴィスランドの事を知ってもらう、よい機会では? 城の外へ出かけるのも、気晴らしになるでしょう」 「そうだな……」 「それに視察なら、誘って断られても、ルネ王子はアイスクリームに興味がないだけだ、と自分に言い訳が立ちます。もしはっきりデートに誘って断られたら、精神的ダメージが大きいでしょう」 「た、確かに」  魔王さまは少し思案したが、やがてすっくと立ち上がった。 「よし。王子を誘ってみよう」  二頭立ての黒い馬車は、軽やかに土煙を立てて田舎道を進む。馬車の中で、魔王さまはうきうきと心を弾ませていた。 ネヴィスランドの見物がてら、視察に同行しないかと誘うと、ルネ王子は思いの外嬉しそうに同意してくれたのだ。 (よかった。嫌われてはいないようだ)  魔王さまは密かに、ふふんと鼻を鳴らした。 (よし。この調子でかっこいい魔王さまらしく振る舞っていれば、きっと……)  一方、向かいに座ったルネは、思案顔で窓の外を眺めている。 (絶好の機会だな)  今日こそ、本当にあのペンダントに宝玉が隠されているのか突き止めたい。ここ数日機会をうかがっていたが、進展もなく無為に日々が過ぎていた。なにしろ、急にペンダントの話を持ち出したりしては不自然だ。こちらが宝玉を狙っているとくれぐれも悟られないよう、慎重にことを運ばねばならない。  しかし今日の外出は、降って湧いたようなチャンスだった。 (時間もたっぷりあるし、あちこち回るという話だから、話題の種もあるだろう。どうにか探りを入れてやろう)  ふと気づけば、魔王がこちらを見つめている。ルネは心中の企みなどおくびにも出さず、にっこりと微笑んでみせた。 (か、可愛い……ぃ……!!)  魔王さまはペンダントを握りしめる。  やがて馬車は郊外に出て、開けた平野部に入った。地平線まで広がる畑に、実り豊かな作物が景色を彩る。美しい緑の沃野にルネは目を見張った。 (なんて豊かな土地だろう)  沿道の畑で働く者たちは、魔王さまの馬車が通ると手を振ったり、立ち上がって帽子を取ったりした。魔王さまも窓から手を振り返す。 (ネヴィスランド王室は、民に慕われているのだな)  民を見れば表情は明るく、活気があった。健康状態もよいようだ。ルネは祖国セヴィーラの民の現状を思い、なんとも複雑な気分になった。 (邪悪な魔物と言われるネヴィスランドの民が、このように豊かで幸福そうにしている。それに比べて我がセヴィーラの民は……)  いつ終わりを迎えるのか分からない、隣国マファルダとの小競り合い。今現在は束の間の停戦状態にあるものの、数世代に渡る因縁は今後も続くだろう。たび重なる徴兵で農村は働き手を失い、世話するもののない土地は死んでゆく。不作で税や地代が払えなくなった小作人は、職を求めて都市部へ向かう。しかしその都市部でも、重税は不景気を招き、失業者が溢れかえっている。仕事も住む場所も失って、流浪の民となる者は増える一方だ。  加えて、定期的に起こる水害も人々を苦しめていた。戦争にばかり国力が注がれ、水害対策がさっぱり進まないのだ。人々の心はすさみ、貧富の差が拡大して治安は悪化し、伝統あるフェルディナ王朝への愛情と信頼は、今や失われつつある。  それでも、国際社会での面子を重んじるフェルディナ八世は、意地の張り合いのような戦争を止める気はないのだった。 「そら、見えてきたぞ」  もの思いに耽っていたルネは、魔王さまの声にハッと顔を上げた。窓の外に、今日最初の目的地、果樹園が見える。生い茂る葉に鮮やかな赤い実が美しく映えていた。 「あれは……、リンゴ園ですね」 「そうだ。だがリンゴだけではないぞ。隣の区画を見るがよい」  ルネは馬車の進行方向に目を凝らした。リンゴ園の先には、ひょろりとした背の高い樹々が並んでいる。黄緑色の葉をつける樹のてっぺん近く、黄色い果実が束になり、たわわに実っているのが見えた。 「あれは……?」  あまり見覚えのない果実だ。ルネは窓に顔を近づけ、よく見てみた。 「バ、バナナ!?」 「ほう、よく知っているな。セヴィーラの辺りでは珍しい果物だろう」  魔王さまが言う。 「え、ええ。以前、南方の国の使節団から献上されたことがあるので。ですが……」  異様な風景に、ルネは首を傾げた。寒冷地で栽培されるリンゴ園の隣に、熱帯が産地のバナナ園があるのだ。ここネヴィスランドは夏が短い北国なので、リンゴはともかく、バナナの栽培に適しているとは思えない。 「一体、あれは……?」 「ふふふ。その目でしかと確かめるがよい」  魔王さまは機嫌よく笑った。  果樹園の入り口に馬車が止まると、日焼けした肌を作業服に包む、逞しい男たちが一行を迎えた。 「魔王さま、ようこそおいでくださいました」 「うむ」  簡単な挨拶の後、魔王さまは果樹園の者たちにルネを紹介した。 「ネヴィスランド滞在中の我が婚約者、セヴィーラ王国のルネ王子だ。今日は視察に同行してもらった」 「おお。この方が!」  果樹園の園長は、丸っこい顔に人懐こい笑みを浮かべて身を乗り出した。 「ネヴィスランドへようこそ、ルネ殿下! 本日はよろしくお願いいたします!」  握手でも求めてきそうな勢いだ。ルネは驚き、ひどく戸惑った。下々の者とこのように近くで、しかも直接言葉を交わすなど、セヴィーラでは考えられないことだ。ルネは慌てて魔王さまの背後に身を隠した。 (ひっ、人見知り、なのか!? 可愛い!!)  魔王さまは心の中で、立ちくらみを起こさんばかりに歓喜した。 (視察に誘ってよかった……)  魔王さまとルネは、園長に案内されて園内へ向かった。背の低い木柵で囲まれたリンゴ園に足を踏み入れた瞬間、ルネは驚いて立ち止まった。ひやりと冷たい風が吹いてきて、ルネの前髪をなぶったのだ。 「!?」  ルネは空を仰ぎ見た。昼時の太陽が眩しく輝いている。今日は、少し熱いくらいの陽気だったのだ。それなのにリンゴ園に入った途端、まるで真冬のように空気が冷たくなった。 「どうしてここだけ……?」  きょろきょろと辺りを見回すルネに、魔王さまは微笑んだ。 「この先に進めば分かる」  二人は園長と数人の作業員と共に、リンゴ園内の小道をゆっくり進んでいった。園長が道すがら、今季の収穫高や作物の出来について、魔王さまに報告していく。魔王さまはしばしば足を止め、樹の下に立って作物の具合を眺めたり、作業員たちと話したりした。 (一応、まっとうに仕事をしているんだな)  ルネは魔王さまの背中を眺めて独りごちた。  やがて一行は、リンゴ園の端までやってきた。この先はバナナ園だ。二つの果樹園の境は低い土壁で隔てられていて、その壁の上で、なにやら大勢が作業をしている。 「……?」  何をしているのかとルネが目を凝らしてみれば、作業員たちは不思議な動きをしていた。呪文らしきものを唱えたかと思うと、大きく腕を動かしてバナナ園に向けて振る。するとバナナ園の方から冷たい風が吹いてきた。 「彼らは何をしているのですか?」 「空気を入れ換えているのだ。こちらへ来てみるがよい」  魔王さまに促され、壁に設けられたバナナ園の入り口から中に踏み込むと、空気が一変した。リンゴ園の方から熱い風が吹きつけ、汗ばむほどの暑さと湿気が身体を包む。 「こ、これは!?」 壁の上で働く作業員たちは、ルネの驚く様子を見て得意気になった。作業にも一層気合いが入ったようで、さらに大きく腕を動かす。そのたびに風が巻き起こる。  ルネにもようやく合点がいった。彼らは魔術を使っているのだ。 「空気を意のままに動かして、風を起こす魔術の応用だ」  魔王さまは言った。 「熱い空気をバナナ園に、反対に、冷たい空気をリンゴ園に送っている。そうやって、果物の育成にふさわしい温度を保つのだ」  ルネはすっかり仰天した。 「魔術で、そんなことができるとは……!」 「風を起こすだけではないぞ。先に進んでみよう」  ルネは魔王さまに連れられて、バナナ園の奥へ進んでいった。やがてバナナ園の中心辺りだろうか、水路が見えてきた。水路の脇には、地面から一段高く組まれた木の櫓がある。芝居の舞台のようなその櫓の上で、数人の男が作業をしていた。男たちが両腕を掲げると、白い煙のようなものが水路から立ちのぼる。  近くまで行くと、それは煙ではなく水蒸気と分かった。空中に留まった水蒸気は、男たちが幾度も腕を動かすたびに、濃く厚くなってゆく。やがてそれは小さな雲になった。  雲ができると男たちは呪文を唱え、軽く指先を振った。すると雲は空気中を滑るように、示された方向へ進む。そして果樹園のあちこちで雨を降らせた。 「ああして果樹に水をやり、バナナの栽培に適した湿度を保つ。これも、水を操る魔術の応用だ」  魔王さまは言った。 (水を、操る!?)  ルネは瞳を見開いた。おずおずと、魔王さまに尋ねる。 「魔王さま。もっと多くの水を、一度に操ることもできるのですか? 例えばそう、川の流れを変えたり、池の水を全て他の場所へ流したり……」 「うむ。大きな魔力をもってすれば可能だ」 「…………!」 「どうだ。驚いたか?」  魔王さまは、楽しげにルネを見やる。 「……ええ。見事なものですね。ネヴィスランドは果物のアイスクリームが名産と聞いていましたが、まさかこのような方法で果樹の栽培を行っているとは」 「ふむ。かつては人間の世界にうまく適応できず、乱暴なふるまいでいさかいを起こすこともあったが……。ある時、魔術を農作業に応用して、おいしい果物を作ろうと考えた者がいてな。それからは皆で果物作りに精を出し、さらにアイスクリームに加工して輸出することで、平和に暮らせるようになった」 視察を続ける魔王さまと園長の後ろを歩きながら、ルネは考え込まずにいられなかった。  父王は、魔術を「武力」だと言った。ルネもそう思っていた。魔力の宝玉に宿る力を使えば、マファルダを初めとする敵国の軍を駆逐できるのだと。しかし――。 (他の使い方も、できるんだ……)  例えば魔王の言うように水を操ることができるなら、水害を防ぐことだってできるだろう。働き手を失った農家も、ここの作業員たちのように、少ない人手で生産を続けられる。そうすれば、食料不足は解消に向かうはずだ。  ルネは、背の高いバナナの樹々を仰ぎ見た。柔らかな黄色に色づいた、数え切れないバナナの房が、ずっと遠くまで並んでいる。それはさながら、自然の宝物庫だった。

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