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ネヴィスランドとセヴィーラ

 果樹園の視察を終え、馬車は次の目的地、アイスクリーム工房へ向かった。  工房の中は整然として、管理がゆき届いていると一目で分かる。作業場に入ると、入り口から奥に向かって長い作業台が設えられていて、大勢の係員がその台に向かって仕事をしていた。  入り口側の台の端に、果物が山積みになっている。どうやらここで下処理がなされるようだ。ルネが見ていると、係員は下処理の済んだ果物を容器に入れて台の上に置いた。容器はひとりでに台の上をするすると移動していく。ここでもやはり魔術を使っているのだろう。別の係員がその容器を受け取り、今度は果物を潰した。終わるとまた次に送る。そうして各係の手によって順番に加工されながら、果物は作業台の上を先へ進んでいった。  魔王さまはルネと共に作業台に沿って歩きながら、それぞれの行程で何が行われているのかを説明した。 「流れ作業、というのだ。各々が別々にアイスクリームを作るのではなく、行程を分けて、それぞれの係が自分の担当する作業だけを行う。そうすると、全体での効率がよいのだ」 「へえ……」  ルネは目を丸くした。確かに、見ていて面白いほど手早く作業が行われ、加工された果物はどんどん作業台の上を流れてゆく。いくつもある作業台の間を、熟練のアイスクリーム職人たちが行き交い、てきぱきと指示を出していた。それぞれの作業台で違う種類のアイスクリームを作っているらしく、様々な果物の甘い香りが混じり合い、作業場をいっぱいに満たしていた。  このような場所に来るのは、ルネにとって初めての経験だ。何もかもが珍しく、ルネの心は少しだけ弾んだ。  作業台の端までたどり着くと、そこではペースト状になった果物ができ上がっていた。最後の工程の係員が、浴槽ほどもある巨大な深鍋に容器の中身を空ける。鍋が一杯になると、係員は魔術でその重そうな鍋を持ち上げて、隣の部屋へ運んでいった。ルネと魔王さまも後に続き、隣の作業場へと向かう。 「!?」  隣室に足を踏み入れた瞬間、ルネは恐怖で立ちすくんだ。  そこでは、世にも恐ろしい光景が繰り広げられていた。運び込まれた大鍋は部屋の中央に置かれ、その周りを七、八人の作業員が取り囲んでいる。そして全員で声を揃えて、おどろおどろしい呪文を唱えているのだ!   鍋の側に黒衣をまとう鷲鼻の老女がいて、巨大な木の匙で鍋の中身を混ぜ合わせながら、時々、さも楽しげな笑みを浮かべている。一人の作業員が壺から怪しげな液体をくみ出しては、少しずつ鍋に加えていた。  それはまるで書物に描かれた、いにしえの魔女と魔物のサバトそのものだ。背筋も凍るような眺めに、ルネは身体を震わせた。 「ルネよ、これを羽織っているとよい」  ふわりと柔らかい感触で我に返ると、温かい上着が肩にかけられていた。 「ここはアイスクリームを凍らせる部屋だからな、寒いだろう」  魔王さまが言った。 「え!?」  その言葉でよくよく冷静になって見てみれば、なんのことはない、鍋の中で混ぜられているのは先ほどの果物のペーストだ。怪しげな液体も、よく見れば牛乳だった。呪文を唱えているのは、アイスクリームを凍らせるために魔術をかけているのだろう。身体が震えたのは室内の温度のせいだった。  ルネは、安堵のため息をついた。  アイスクリームがちょうどいい具合に固まると、作業員たちは総出でそれを壺に小分けした。壺には果物の種類を記した札がつけられて、倉庫へ運ばれていった。  最後に魔王さまは、アイスクリームの出荷作業をルネに見せてくれた。作業員たちが倉庫から壺を運び出し、手をかざして呪文を唱える。すると壺は瞬時にして、分厚い氷の塊に封じ込められた。そして表に面した広い出入り口から運び出され、馬車に乗せられる。荷台がたくさんの壺で一杯になると、御者が飛び乗って馬車は走り去っていった。 「こうして氷の魔術をかけて出荷することで、世界中のお客さまにおいしいアイスクリームをお届けできるのだ!」  魔王さまは馬車を見送りながら胸を張った。  魔術で温度や湿度を調整し、ありとあらゆる種類の果物を生産する。それをアイスクリームに加工して、世界中に輸出する。珍しい果物のアイスクリームは高級おやつとして重宝され、ネヴィスランドに大きな利益をもたらした。今ではネヴィスランドが世界に誇る、名産品となっている。  ネヴィスランドの豊かな産業を目の当たりにしたルネは、やりきれない思いだった。  魔術の力を存分に利用しつつも、それに頼りきりではない。効率よい生産体制は、試行錯誤を重ねた成果だということは、ルネにも分かる。邪悪で粗暴な魔物の国という、ネヴィスランドへの先入観は完全に覆されていた。しかしルネの心には賞賛と同時に、嫉妬にも似た憤りが生まれていた。  もしもネヴィスランドが人間の国だったら、こんな感情は湧かなかったろう。その創意工夫に感嘆し、セヴィーラもかくありたいと思ったはずだ。しかしそれが魔物の成すこととなれば、そう素直には思えないのだった。  ルネの心には、「魔物のくせに」という考えが、確かにあった。 (見物がてらなどと言って誘い出したのは、ネヴィスランドの豊かさと国力を見せつけて、逆らうなという暗黙の警告をするためか)  ルネの心に、黒雲のような苛立ちが湧いた。  工房の視察を終えて次の目的地へ向かう馬車の中、ルネは魔王さまに言った。 「つくづく感服いたしました。技術力も豊かさも、全てにおいて我がセヴィーラは、ネヴィスランドに到底かないません」  今はせいぜいおべっかを使ってやろう。そう考えて口にした言葉だったが、その声音は思いがけず本心をはらんでいた。ルネはそれに気づき愕然とする。  ところが魔王さまは、ルネの言葉に傲慢な態度を取ることもなく言った。 「そんなことはない」 「……えっ?」 「セヴィーラには、素晴らしい文化がある。芸術、文学、音楽――、我が国のような新興国と違い、セヴィーラの歴史は古い。長い年月の間に磨き抜かれた文化は、新興国が一朝一夕には身につけられぬものだ」  魔王さまの言葉に、ルネは意表を突かれた。 「……お、お褒めにあずかり、恐縮です」  言われてみれば確かに、ネヴィスランドには、全てにおいて効率重視のようなところがある。合理的ではあるのだが、ルネからすると、せっかくの豊かさを少々持て余しているようにも見えた。 「それに我が国では、人手不足が深刻でな……」  魔王さまはため息をついて呟く。  例えば――。ルネの頭にふと、漠然とした考えが浮かんだ。 (ネヴィスランドには豊かな産業があるけれど、文化面で貧しい。セヴィーラはその逆だ。互いに足りぬものを交換したら……?) ネヴィスランドにセヴィーラの美術品を持ち込み、展示会を催したらどうだろう。劇団や音楽家も呼んで――、そうだ。いっそ全部まとめて、大規模な芸術祭をやればいい。生活に困窮するセヴィーラの芸術家たちは、よいパトロンを得られるだろう。会場でセヴィーラ産の工芸品を販売すれば、不景気に喘ぐ商人たちも利益が得られる。  ネヴィスランドの民もきっと喜ぶだろう。彼らは好奇心旺盛で、珍しいものを見聞きするのが好きらしい。彼らの驚く顔が目に浮かぶようだ。  そしてセヴィーラからは、働き手だって送ることができる。職のない貧しいセヴィーラ人は日々の糧を得て、同時にネヴィスランドでは人手不足を解消できる。ネヴィスランドで技術を身につけて帰国した者たちは、セヴィーラの産業発展を大いに助けるだろう。 (そうだ。セヴィーラとネヴィスランドが、それぞれの持つものを交換し、互いに益のある交流をする。僕と魔王が結婚して、両国の間に国交が生まれれば……)  馬車の車輪が石にでも当たったのか、大きな音を立てた。それで、空想に耽っていたルネは我に返った。 (な、何を下らないことを!!) ルネは自分の妄想に青ざめた。 (ネヴィスランドはマファルダと軍事同盟を結び、セヴィーラを脅しているんだぞ!)  窓から外を眺める魔王の横顔を、密かに睨む。 (今はこうして親切面をしているが……、相手は魔物だ。対等な交流など、できるわけがない。一方的な取り引きで我が国の美術品を奪い、民を奴隷にするに違いない!)  ルネは自分の使命を思い出し、気を引き締めた。 (……そうだ) 「ま、魔王さま」  ルネは、上目使いに魔王さまの顔を見た。 「文化がないなどと、ご謙遜を。我が国のものとは違いますが、ネヴィスランドの装飾品などには独特の個性があります。それも、ネヴィスランドの文化と言えるでしょう」 「そうだろうか」 「ええ。例えばそのペンダント――」  ルネは、ここぞという笑顔を見せた。 「素朴な細工ですが、なんともいえぬ味わいがありますね」 「そ、そうか」  魔王さまは嬉しそうに顔をほころばせた。冷たく青い氷の瞳が、半月を描く。ルネは身を乗り出した。 「ちょっと見せていただけませんか? 手に取って眺めてみたい」  しかしルネがそう言った途端、魔王さまは顔色を変えた。 「い、いや! これはその、大した品では……。人に見せるようなものではない」  魔王さまは慌てたように目を逸らす。 「今度、もっとよいものを見せよう」 「そうですか。残念です」  ルネはこともなげに言ったが、心中は興奮に沸きかえっていた。 (やっぱり!)  ティノの推測は当たっていた。手にしてみることはできなかったが、この反応で充分だ。 (このペンダントに、宝玉が隠されている!)  魔術の力を手に入れれば、もはやマファルダも、貧困も水害も恐れることはない。魔力を武器にマファルダを征圧し、徴兵された農民を家へ帰す。彼らが生産を再開して、食料不足は解消に向かうだろう。マファルダから戦争賠償金を得て水路を整え、工業の発展を促し、流浪の民に仕事と住み処を与える。そうすればセヴィーラも、ネヴィスランドのように豊かな国になれるのだ。  そしてセヴィーラを救った英雄には、国王の座が約束されている。 (そう。力さえあればいい)  ルネは横目でペンダントを凝視して、拳を握りしめた。  一方、魔王さまは窓の外に視線を向けたまま、胸を撫で下ろしていた。 (危なかった。まさか、見せてくれなどと言われるとは)  ガラスに映るルネの横顔を盗み見る。 (ペンダントの中に入っている物のことを、知られるわけにはいかないぞ。だがこれは、常に身に着けておかねばならないし……)  魔王さまは思案したが、やがて心を決め、無意識にペンダントを握りしめた。 (よし。なるべく興味を持たれないように、注意しよう)

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