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魔王の秘密

(していいのか!?いや待て落ち着け。勘違いでそんなことをして怒らせては大変だ。いやいやしかしこの体勢はどう考えても。だがしかし!まだ正式に結婚すると決まったわけではないのだぞ。なのに口づけを!?いやでもでも。ルネが期待していたらどうする!?この機会を逃してはならないぞ!今こそ決断の時だ!)  魔王さまは、心を決めた。 「る、ルネっ!」  両手をルネの肩に回し、男らしく抱きしめようとした――、その時だった。 「なっ!?」  突然魔王さまの背後から、ピンク色の炎が燃え上がった!!  先ほどの恐ろしい漆黒の炎とは違い、ピンクの炎はもやもやと形が定まらず、戸惑うように燃えている。そしてルネの方までやってきて、おずおずと身体を包んだ。少しも熱くはないのだが――、なんだか気恥ずかしいような、いたたまれないような、妙な気分になる。 「魔王さま……? これは……?」 (ああああああああ!!)  魔王さまは心の中で身悶えた。 (せっかく、せっかく! いいところだったのに!!) 「こっ、これはだな……。その、『魔力の暴走』だ」  魔王さまはピンク色の炎を消そうと、必死で両腕を振り回しながら言った。  魔力の暴走。それは文字通り、魔族が身に宿るその力を一時的に制御できなくなることだ。魔力の暴走が起きる原因は定かではないが、その身の純潔に関わりがあると考えられている。魔力には精神状態、そして精力が大きな作用を及ぼすが、精力とはつまり性欲とも言える。要は、童貞の悶々した心と不完全燃焼の精力が魔力に何らかの影響を及ぼし、本人の制御がきかなくなってしまうのだ! 「魔力の暴走? なぜそんなことが起こるのです?」 ルネ王子は鋭い質問をしてきた。 (うっ。痛いところを! 可愛くて優しくて怒りんぼで剣と乗馬が上手なだけじゃなく、賢いのか……! 可愛い……!) 「そ、それはだな。つまり、ええと」  童貞だから。そんなかっこ悪いことを、言えるはずがない。 「に、人間と魔族の血が交わると、強い魔力を持つ子供が生まれるのだ。余も母が人間なのでな、身に宿る魔力が強すぎて、暴走が起きやすい。そう、これは、そのせいなのだ! そういうことなのだ!」 「えっ!?」  魔王さまが、半分は人間の血を引いている。思わぬ事実にルネは驚いた。 「本当ですか!?」 「本当だ!! 本当に!!」  嘘はついていない。言っていないことがあるだけだ。 「大丈夫、よくあることだ。すぐに収める!」  魔王さまは、先ほど取り返したペンダントを出した。目の前に持ってきてペンダントトップの蓋を開け、中をのぞき込む。 (あの、ペンダントを!)  ルネの位置からは、中にあるものは見えなかった。だがピンク色の炎はしゅううと音を立て始め、見る間に消えてゆく。 (……やっぱり!) 「ふう」  炎がすっかり収まると、魔王さまはため息をついた。 「だから、魔術は苦手なのだ……」  アルシエルたち臣下もこの件を案じ、魔王さまが性の経験を積む日を心待ちにしている。 「まあ、これのおかげでどうにか制御できるので、大事には至らないが……」  魔王さまはペンダントを大切そうに一撫でし、蓋を閉じた。ルネはその様子を眺め、にんまりと目を細める。 「そんな、苦手などとご謙遜を……。助けてくださってありがとうございます」  ルネは、にっこりと微笑んだ。 帰城すると、魔王さまはすっかり落ち込んで、部屋に閉じこもってしまった。 (かっこ悪いところを見られた……)  いまだ純潔の身で、魔術を使うと魔力が暴走してしまう。そのことに魔王さまは深い劣等感を抱いている。 (やっぱりアルシエルたちの言う通り、早めに経験を積む方がいいだろうか。今からでも、誰か手配して……)  魔王さまはしばらく考えてみたが、首を横に振った。 (いや、一度決めたことだ)  だがそのおかげで、ルネに隠しごとをする羽目になってしまった。本当のことなどとても言えないが、大切なルネを騙したことは、魔王さまを苛んだ。  その時、アルシエルが部屋にやってきた。 「魔王さま。ルネ殿下の診察が終わりました。足は異常ないようです」 「そうか。よかった」  魔王さまは力なく答えた。 「魔王さま」  アルシエルは魔王さまに近づき、顔をのぞき込んだ。 「そんなにしょげる事はないでしょう。ルネ王子が危険なところを、助けたではありませんか」 「だが、かっこ悪いところを見られたのだ」 「かっこいいところと悪いところを見せて、悪いところの方が印象に残ったなら、それは元々脈がないという事です」  誠実すぎる臣下、アルシエルはずばりと言った。 「うぅっ」 「魔王さま。工房から、リンゴアイスの試作品が届いていますよ。召し上がりませんか」 「食べる……」  リンゴアイスクリームで、魔王さまは少し元気を取り戻した。甘酸っぱいリンゴと濃厚なクリームが絶妙にマッチして、とてもおいしい。 「これは……素晴らしい……」  魔王さまは微笑んだ。  その時ふと、テーブルに並ぶ本の山が目に入った。初夜以来、すっかり忘れていたのだ。 (そういえば、最近勉強をさぼっていたな)  魔王さまは何気なく、一冊を手に取った。 「ん?」 その本の表紙には、気になるタイトルが書かれていた。 『スパダリ魔王さまシリーズ』  自分と同じ魔王が主人公なのか。親近感が湧いた魔王さまは、本をぱらぱらめくり、ゆっくりと読み始めた。  その頃、ルネとティノは額を突き合わせて策略を巡らせていた。 「やはり、偽物とすり替えるしかないな……」 「ええ。今のお話を聞く限りでは」  ルネが遠乗りでの首尾を話して聞かせると、ティノは思案顔で言った。 「魔王が気づかないうちに手に入れないと、取り返されてしまいますね」 「ああ。ただ奪えばいいと考えていたが、あの魔術があるのでは……」  思いの外厄介だと、ルネはため息をついた。  しかしあのペンダントには、それだけの価値がある。魔力の暴走を、ああも簡単に抑えてしまったのだ。宝玉の魔力は絶大なものに違いない。 「まずはペンダントの偽物を用意しましょう。街へ行って、手配してきます」  ティノは言った。 「よし。それができ上がるまでの間に、僕は魔王のことをもう少し調べてみよう」  それからの数日、ルネは宮殿内を歩き回り、魔族たちと積極的に会話を交わした。今度は魔王本人でなく、周りの者から情報を集めようと考えたのだ。魔王の生活習慣や行動、考え方や性格などを深く知り、ペンダントをすり替える機会を見つけるつもりだった。 (魔王のことを、もっと知りたい)  ルネには、魔王の本心が読めなかった。ただの人質に、なぜあんな優しい顔をするのか。時々、まるで本当の婚約者のように振る舞うのはなぜなのか。ルネは魔王の心が分からないことが不安だった。その不安を取り除くためにも、魔王のことを知ろうと思った。  しかし自分の方こそ、魔王の心を知りたい、という考えが既に人質らしくない、ということには気づいていない。  ルネは精力的に歩き回った。どういうわけか魔王もここ数日、構ってこない。時間はたっぷりあった。 「さて。どうしたものか……」  とある午後、ルネは思案しつつ宮殿の廊下を歩いていた。  役立ちそうな情報は、まだ得られない。分かったことは、魔王はあのペンダントをとても大切にしていて、入浴中すら身に着けたままでいる、ということぐらいだった。  ルネはふと足を止めた。  考えごとに夢中になっているうちに、知らない場所へ迷い込んでしまったのだ。なにしろ広大なネヴィスランド宮殿なので、ちょっとした探検だ。辺りを見回すと、どうもここは兵舎へ続く渡り廊下らしい。通常、王族が出入りするような場所ではない。  前方に、開け放された扉が見える。誰かいたら帰り道を尋ねようと、ルネはそちらへ歩いていった。 「魔王さまは、気さくな方だからなぁ~」  部屋の中から漏れ聞こえた声に、ルネはぴたりと足を止めた。 「だよなぁ。名目だけの魔王さまとはいえ」 (名目だけの魔王? どういうことだ?)  ルネは足音を忍ばせて扉に近づき、中をのぞいた。その部屋は兵士の詰め所か何からしい。二人の下級兵士が粗末なテーブルを挟み、雑談している。ルネは聞き耳を立てた。  一人が、相手の兵士に尋ねた。 「なあ、それって本当の話なのか? とても信じられねえよ。あんなお元気そうなのに、余命いくばくもないなんて」 「お生まれになった時に医者が、『あまり長くは生きられない』って言ったんだと。だから間違いねえだろ」 「そっか……。お気の毒だよなあ、王家のご長男だっていうのに」 「大魔王さまも不憫に思われて、名目だけでも、って、『魔王』の称号を与えたんだよ。実際は、大魔王さまの治世が終わるより早くお亡くなりになるだろうから、次の大魔王さまになるのは弟殿下の方だけどな」 「そうか。親心ってやつだなあ……」 「だよなあ」  二人の兵士は涙ぐんだ。  ルネは、足元がぐらりと揺れたように感じた。地震かと思ったが、それは自分の身体が揺れたのだった。 (あの魔王が……、余命いくばくもない?)  今の話からだと、魔王には生まれつきの病か何かがあるのだろう。昼食会で会った大魔王さまは、父王フェルディナ八世よりだいぶ年長に見えた。引退するまで、そう長い時が残されているとは思えない。その大魔王さまの治世が終わるより早く、魔王の命が尽きるというのなら、それはつまり――。 (せいぜい、あと数年……?)  ルネはよろよろと扉から離れた。  どこをどう歩いたかも分からないまま、ルネは幽霊のような足取りで宮殿の広間へ戻った。そして――、勢いよく駆け出した。

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