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インチキ魔王
「魔王さま。ルネ王子をお誘いしなくてよろしいのですか?」
アルシエルが部屋に入ると、魔王さまは本に夢中になっていた。
「う、うむ。読書が終わってから……」
魔王さまはちらりと振り向いただけで、アルシエルの訝しげな視線から隠れるように、また本に顔を埋める。
「しかしここ数日は、ずっとお一人でお過ごしのようですが」
「そ、そうだな。しかし今は、どうしたらかっこいいと思われて好きになってもらえるか、勉強中なのだ」
「隠し事をしたのが後ろめたいのですか?」
アルシエルはずばりと言った。
「う……っ」
図星をさされた魔王さまは、取り落としそうになった本を慌てて掴んだ。
「本当の事を言えばよろしいのに」
「そんなことができるか!」
魔王さまは真っ赤になった。
「魔王ともあろう者が童貞だなどと、威厳が損なわれてしまう!!」
魔王さまは、手にした『スパダリ魔王さまシリーズ』をアルシエルに見せた。
「そら。この本を見てみろ」
「スパダリ。聞いた事のない言葉です」
「この本によると、スパダリとは理想的な恋人のことを言うらしい」
「へえ」
「このスパダリ魔王とやらは、まさに理想通りの完璧な魔王さまなのだ。威厳があって、少々強引だが男らしく優しい。周りはなにかと振り回されるが、とにかく魔王はスパダリなので、最後は全て丸く収まるのだ」
アルシエルは、本をささっと斜め読みした。
「なるほど。では、この本の魔王さまと同じように振る舞えば、ルネ殿下にかっこいいと思われるわけですね」
「その通りだ。だからこうして学んでいる」
「ですが魔王さま。一つ見落としている事があります」
「えっ」
「本の通りにすれば好かれるなら、それをやるのは魔王さまでなくてもいいですよね?」
「!!」
盲点だった。
「そ、それは……」
「本の真似だけなら、魔王さまより上手にできる者がいるかもしれません。それなら、ルネ王子はその人と結婚すればよい、という結論になります」
「ダメだ!!」
魔王さまは青くなって首を振った。
「そっ、そんなのは……ダメだっ!」
「では、魔王さまは魔王さまなりのやり方で、ルネ王子に接してはいかがでしょう」
「俺なりの……?」
「そうです。これはあくまでも仮定の話ですが、ルネ王子がそういう、魔王さまらしい魔王さまを好きになったとしましょう。それならルネ王子は他の誰でもなく、魔王さまと結婚したいと望むでしょう。魔王さまのやり方は、魔王さまにしかできないのですから」
「そうか……」
「魔王さまは、ルネ王子に本当はどう接したいのですか?」
「俺は……、」
魔王さまはもじもじと恥ずかしげに身悶えし、口ごもった。
「ルネに……、……たい」
「え? なんです? 聞こえませんでした」
「ルネに、優しく、したい……」
魔王さまは真っ赤になってうつむいた。しかしアルシエルは、笑わなかった。
「なるほど」
「だがそんなのは、魔王っぽくない」
「いいじゃありませんか。インチキ魔王さまよりはましです」
「い、インチキ……?」
「そうです。本当の事を隠して格好ばかりつけた魔王さまぶりは、インチキです」
アルシエルはずばりと言った。
「そうか……。インチキ、か……」
「ええ。いずれはバレます」
その時だ。けたたましい音を立てて扉が開き、ルネ王子がすごい勢いで駆け込んできた。
「この、インチキ魔王っ!!」
「へ……へっ!?」
ルネはずかずかと部屋に踏み込み、魔王さまの胸ぐらを掴んだ。
「どうして、言わなかったんだ!?」
(しまった! さっそくバレたようだ!!)
「そっ、それは、ええと……」
「そういうことは、婚約前に伝えるのが筋だろう!」
「す、すまない。その、言いづらくて……」
「だからと言って、黙っていていいわけがないだろう! そんな大事な――」
「た、確かに、大事なことだな」
魔王さまはハッとした。
(そうだ。俺はインチキ魔王だった)
かっこいいと思われたいあまり、大切なルネに隠しごとをした。しかし、それこそ一番、かっこ悪いではないか。
魔王さまは、ごくりと唾をのんだ。かっこ悪いことを告白するのは勇気がいった。だが、かっこ悪くても、少なくとも誠実にはなれる。魔王さまはそう思った。
魔王さまは大きく息を吸い込み、そして、告白した。
「すまなかった、ルネ。俺は童貞なのだ!」
「余命いくばくもない、などと!」
同時に叫んだ二人は、ん? と、互いに顔を見合わせた。
「すまないルネ。今何と言った?」
「……童貞?」
ルネはぽかんと口を開けた。
「そうだ。経験豊富とか言ったが……、かっこつけて、嘘をついていたのだ」
魔王さまは、頭を下げた。
「本当に、すまなかった」
「い、いや。その……」
ルネはハッと我に返った。
「ち、違う! 今はそんな話をしてるんじゃない!」
「へ?」
「余命いくばくもない、というのは本当なのか!?」
「ああ、誰かに聞いたのか。本当だ。医者が言うには、人間の血が混じった影響らしい」
魔王さまは、こともなげに言った。
「それでだな、俺が童、いや純潔なのは、」
「そんなことはどうでもいい!!」
ルネの大声に、魔王さまは口をつぐんだ。ルネが怒っている、どうしよう、と思ったが、よく見れば亜麻色の瞳が潤んでいる。ルネはその瞳で、魔王さまをじっと見つめていた。
「死んで……しまうのか……?」
ルネは、自分は何を言っているのだ、と思った。魔王が話さなかったのは当然だ。人質相手に、そんなことを話す理由はない。
(人質、だから……。ただの……)
そう。魔王が死のうがどうなろうが、自分には関係ない。そのはずなのに――、ルネの頬を涙が一筋、伝った。
「る、ルネ!?」
魔王さまは仰天した。泣かせてしまった。どうしたらいいか分からない。
あの本のスパダリ魔王さまならこんな時、気のきいたことを言えるのだろうに。魔王さまは唇を噛んだ。
しかし――。
(そうだ。本の真似ではなく、俺なりの言葉で話そう。俺自身の、心を)
魔王さまは、おずおずとルネの背に腕を回し、抱きしめた。
(他の誰でもなく、スパダリ魔王さまでもなく――、この俺自身を、好きになってもらえるように)
魔王さまは、ルネの涙を指先で拭った。
「ルネ。命の長さは、生まれた時に定められた運命だ」
「そ、そんな……っ! でも……!」
「嘆くことはない。むしろ儚い命だからこそ、俺は考えたのだ。魔王として生まれたにも関わらず、残念ながら俺には、民を幸福にしてやる時間がない。それならせめて、一人だけでも幸福にしようと。ただ一人、心に決めた相手を花婿に迎え、幸福にする。そのために俺は純潔を守ってきた。……ルネよ。今にして思えば、それはお前のためだったのだ」
魔王さまは少し照れて笑った。
心に秘めた想いを、話してしまった。我ながら魔王っぽくないし、かっこ悪い。呆れられるかもしれない。それでも魔王さまは、なんだかすっきりした気分だった。ルネの香りに包まれてその背中を静かに撫でながら、魔王さまは、これでいいのだと思った。
「ま、魔王さま、でも……」
ルネがおずおずと顔を上げた。
「僕は……、ただの人質じゃ……?」
「へっ? 人質?」
「ネヴィスランド・マファルダ同盟の力を示してセヴィーラを牽制するために、僕を婚約者という建前で人質にしたんでしょう?」
「は……?」
魔王さまは、ぽかんと口を開けた。
「ま、待て! どこからそんな話が出てきたのだ。同盟とはなんだ? 我が父大魔王とマファルダ王は、ただのチェス仲間だぞ」
「ごまかすなっ! 人質でないならどうして、なんの交流もないセヴィーラに縁談を――」
「好きになったからに決まっているだろう!」
魔王さまは、廊下まで響く大声で叫んだ。
「なんだなんだ!?」
「どうした! 緊急事態か!?」
警備兵が、どやどやと部屋に詰めかける。
「え……?」
「あ……」
魔王さまとルネは立ちすくんだ。
「どうやら互いの認識に、誤解があったようですね」
アルシエルが皆の間に割って入った。
「お二人とも、まずは落ち着いて座ってください。この際、きちんと話し合いましょう」
こうして魔王さまは衆人環視の中、一目惚れの経緯を、本人相手にこと細かく説明する羽目になったのだった。
「――それで、あれは誰かと人に聞いてみたところ、セヴィーラの王子だと言うので……。ネヴィスランドへ帰ったら、マファルダ王が遊びに来ていたので相談した。するとちょうどマファルダ王も、セヴィーラと和解して友好条約を結ぶことを考えていたらしくてな。これがきっかけになればと、間に入って話を進めてくれたのだ」
「あのマファルダが我が国と和解? そんな、まさか」
「うむ。聞けば、さほど重要でもない領地のために、長年意地の張り合いを続けているというではないか。無益な争いで国力がそがれ、民が負担を強いられている、と」
「あ……」
「マファルダ王は、合理的なものの考え方をする人だ。つまらぬ見栄を張るより、もっと有益なことに国力を注ぎたいと言っていた」
「そう……、か……」
その考えは、ルネや兄のクラウディオ、そしてセヴィーラの多くの臣民たちと同じだった。
「だからお前に求婚したのは、そういう政治の思惑とは、全く無関係なのだ」
ルネは身体の力が一気に抜けてしまい、椅子にぐったりと背を預けた。見守っていた者たちも安堵の表情を浮かべ、それぞれの仕事へ戻っていった。
「ルネ王子。驚かせてしまい、申し訳ありませんでした。まさかこのような誤解が生まれていようとは」
アルシエルは言った。
「え、ええ……」
「だが、ルネよ。俺には解せぬのだが。人質だと思っていながら、なぜお前は大人しくネヴィスランドへ来たのだ?」
魔王さまは眉を寄せた。
「……フェルディナ八世に命じられたからです」
「なんだと? つまりお前の父は、我が子を人質に差し出すつもりでお前をよこした、ということか!?」
「そうです。以前、少しお話しましたが……、僕は母の身分が低く、セヴィーラ王室では重要視されていません。父にとっては単なる政治の道具、コマに過ぎないんです」
ルネは自嘲気味に笑った。しかしふと見ると、魔王さまが憤りと悲しみのこもった眼差しで自分を見つめている。氷のように冷たく見えていた青い瞳は今、分かりにくい愛情を湛えた、静かな湖のようだった。
ルネは急に、そそくさと椅子を引いて立ち上がった。
「し、失礼! その、急なことで混乱してしまって……。少し、一人にさせてください」
そう言って、逃げるように部屋を後にする。
「ルネっ!」
「魔王さま。今はそっとしておいて差し上げましょう。驚かれただけですよ」
「う、うむ……」
アルシエルにたしなめられ、魔王さまは椅子にかけ直した。
ルネはネヴィスランドへ来たものの、本当に結婚するつもりはなかった。その事実に、魔王さまも動揺していた。もしかしてルネは、セヴィーラへ帰ってしまうかも――。
「ど、どうしたらいいのだ」
半ば涙目の魔王さまに、アルシエルが言った。
「問題ありません。これから改めて好きになってもらい、プロポーズすればいいんです」
「だ、だが……。さんざんかっこ悪いところを見せてしまったし。好きになってもらえるだろうか」
「魔王さま。ルネ殿下こそが、魔王さまが心に決めた、ただ一人の相手なのでしょう?」
「そうだ」
魔王さまは、力強い声で言った。
「俺は決めたのだ。ルネでなければだめだ」
「では、頑張りましょう。きっと大丈夫ですよ。本に出てくる魔王さまやグレン将軍も魅力的ですが、魔王さまにもそれなりによいところはあります」
アルシエルは珍しく、にっこりと微笑んだ。
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