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アイス皇子
「へ?」
「げ、芸術性!?」
魔王さまとおばちゃんは、ぽかんと口を開ける。
「そうです。この茶色の器では、同系色のアイスクリームを盛りつけた時に映えません。そう、例えば――、ちょっと失礼」
ルネはおばちゃんに渡したブーケから、小指の爪ほどの小さな花をいくつかちぎった。そしてその花をアイスクリームの周りに飾ると、花の青紫色がカボチャの黄金色を引き立てて、とても美しくなった。
「あらまあ、可愛い」
「おおっ」
魔王さまとおばちゃんは顔をつき合わせ、器をのぞき込む。
「これだけで、なんだか食べるのが楽しい気分になるでしょう」
ルネは言った。
「こうして、人の心を動かす――。それが芸術性です」
「まあ!」
「なんと……!」
「陶器の絵皿に盛りつければ、もっと素敵だと思います。それからクリームなどで飾りつけると、見かけが華やかになって味も変わります。ヒヨコ豆のアイスクリームは、先ほど魔王さまは蜂蜜を加えればよいと仰っていましたが、僕ならキャラメルソースをかけます。ヒヨコ豆の味に合うだけでなく、つやが出て美しく見えるでしょう」
「な、なんと!」
「セヴィーラでは食も芸術であると考えられていて、料理の品評会がよく開催されるんです。そこに出される一流の料理は、味だけでなく見かけもまさに芸術です。ネヴィスランドのアイスクリームにも、まだまだそういう可能性が眠っているのではないでしょうか。これほどのアイスクリームを、ただ味だけ楽しむというのはもったいないのでは」
「すごい! すごいぞルネ! さすが芸術の国、セヴィーラの王子だ!」
魔王さまはすっかり感銘を受けた。
「味にばかり気を取られて、そんなことは全く思いつかなかった」
「ええ。アイスクリームが芸術だ、なんて。人間ってすごいことを考えるのねえ」
「次のアイスクリーム会議で、さっそくこのことを話し合わなくては」
魔王さまはメモ帳を取り出し、あれこれと書きつけた。頬を紅潮させた魔王さまの横顔を、ルネはそっと盗み見る。魔王さまが急にこちらを向いたので、ルネは慌ててアイスクリームの器に視線を落とした。空の器を見つめるルネに気づいたおばちゃんが、おかわりを勧める。
「ルネ殿下、桃はお好きですか? おいしいですよ」
「じゃ、じゃあ、それをいただこうか」
桃アイスクリームのふんわりした優しい甘さは、今のルネの心のようだ。
しばし、心地よい沈黙が三人を包む。店先は静かだった。さっきの子供たちの他に、誰も客が来ていない。通行人はたまに一瞥をくれるが、立ち止まってアイスクリームを買う者はなかった。ルネはふと首を傾げ、魔王さまに尋ねた。
「魔王さま。ネヴィスランド国内での、アイスクリームの人気はどうなのですか?」
「うむ。痛いところを突いてくるな。実はいまひとつなのだ。なにしろ国民は子供の頃からさんざん食べているからな、飽きがくるのだろう。しかし輸出で充分売れているし、国内では、まあそれほどでも……」
「いいえ、それは問題かもしれませんね」
ルネは思案しつつ言った。
「短期的にはそれでいいかもしれませんが、長い目で見た場合には――。アイスクリームが好きで、おいしいアイスクリームを作りたいという情熱を持つ者が次の世代を担っていかなければ、ネヴィスランドのアイスクリーム作りはいずれ衰退してしまいます。現に今の人手不足も、そこに端を発しているのでは」
「うむ。確かにそうだな。アイスクリームへの国民の関心を、もっと高めなければ。だが一体、どうすれば……」
魔王さまはうなった。
「アイスクリーム専門のカフェを開くのはどうでしょうか? 豪華なテーブルで、楽団の演奏や歌を聴きながら、綺麗に飾りつけたアイスクリームを楽しめるようにしたら。国民がアイスクリームに飽きているのなら、新しい楽しみ方を提供すればいいんです」
「おおっ。そうか!」
魔王さまは瞳を輝かせた。
「それからさっきお話した、料理の品評会ですが――。ネヴィスランドでも、アイスクリーム品評会を開催したらよいかもしれません。品評会は料理人にとっての晴れ舞台ですが、それを見物する国民にとっても、よい娯楽になるんです。式典で優勝者に豪華な景品が贈られたり、パレードが催されたり――、一種のお祭りですね。なので自然に皆の関心が集まります」
「なるほど。それを見る子供たちの中には、将来自分もアイスクリーム職人になって、その栄誉を手にしたい、と思う子供もいるだろうな」
「ええ。――そうだ! 子供たちに、果樹園や工房を見学させたらどうでしょう。幼いうちから、アイスクリーム作りに触れてもらうんです」
「おおっ。それはよいな! そうだ。いっそのこと、アイスクリーム職人になるための学校を設立したらどうだろう?」
「素晴らしいですね! 国費の有益な使い道だと思います」
「ううむ。これは忙しくなるぞ……」
魔王さまは生き生きと瞳を輝かせた。
「今日はとても有意義な意見を聞けた。アイスクリーム大臣として礼を言うぞ、ルネ」
「い、いえ。そんな。お役に立てれば……」
しまった。こんなことをしている場合ではない。ルネはハッとした。しかし実のところ、ルネも楽しかったのだ。自分で考え、それを言葉にすることは、楽しい。言葉だけでなく、それを実現させたらもっと楽しいだろう。ルネはアイスクリームを口に運びながら思った。
「魔王さま。オレンジのアイスクリームはいかがです?」
「いただこう。ルネはどうだ」
「い、いえ。僕はもう……。身体が冷えてしまいますから」
「そうか」
魔王さまは気にせず、オレンジのアイスクリームをおいしそうに食べている。アイスクリームを食べている時の魔王さまは、本当に幸せそうだ。こっちまで、なんだか楽しい気分になってくる。
「魔王さまは、本当にアイスクリームがお好きなのですね」
「うむ。子供の頃から大好物でな」
「それで、アイスクリーム大臣に?」
ルネはふと眉を寄せた。もし自分が余命いくばくもない身体だったら、こんな風に何かに情熱を傾け、残り少ない日々を充実したものにできるだろうか、と思ったのだ。自分なら運命を呪い、嘆くだけで時を過ごしてしまうかもしれない。
「うむ。以前は、特に仕事をしていなかったのだ。弟は未来の王として、政治学や帝王学を仕込まれているが、俺は遊んでいるばかりでな。父も臣下たちも変に気を回して……」
魔王さまはその頃を思い出したのか、少しだけ複雑な顔をした。
「しかし、母が亡くなってな……、その時に考えたのだ。ただでさえ短い命なのに、こうして虚しく遊んで過ごしてしまったら、この国に嫁いで俺を産んだ母の人生が、無意味になってしまう気がしてな……」
(…………!!)
「それで――、まず花婿を迎えようと決めた。誰かを幸せにしたいと思ったのだ。それから、何か俺にもできる仕事がないかと考えた。アイスクリームを食べながら考えているうちに、アイスクリームの生産管理をする行政機関を新設したらどうか、と思いついたのだ」
「アイスクリーム管理省ができる前は、あちこちの工房や果樹園がばらばらに取り引きをしていて、効率が悪かったんですよ」
おばちゃんが言った。
「今はアイスクリーム管理省が全部をまとめてくれてるから、すごく楽になって。アイスクリームの品質もずっとよくなりました。魔王さまのおかげです。まさに、アイス・プリンス の名にふさわしい方ですよ」
おばちゃんは笑った。
(あああっ! おばちゃん!!)
「アイス・プリンス ……?」
ルネは一瞬きょとんとした後、盛大に吹き出した。
「あははは……」
こらえきれずに大笑いするルネを、魔王さまは熱に浮かされたように見つめていた。
(ルネが、こんな風に笑うのは初めてだ)
どうして笑っているかは分からないが、アイス皇子でよかった。魔王さまは心からそう思った。
その夜寝床に入ってから、ルネは考えた。
(もしかしたら、僕にも……)
魔王さまのように、何かを見つけられるだろうか。
王の座を与えられ、権力を手にし、人々にかしずかれる。セヴィーラ史の一端に、国母として母の名を残す。それ以外の、何かを。別の、ゆく道を。情熱を傾けるものを。
そんなことを考えた自分自身に驚き、ルネは寝床の上に跳ね起きた。
(魔王さまに、影響されちゃったかな)
ルネは再び横になって毛布を引き上げると、静かに天蓋を見上げた。
(だけど……。僕はどうしていつも、与えられるもののことばかり、考えているんだろう)
父王に認められること。名誉。権力。賞賛。それらは全て、他者から与えられるものだ。
しかし――。
(別に、自分で探したって、いいじゃないか?)
アイスクリームを食べる魔王さまの、幸せそうな顔が胸に浮かぶ。
(魔王さまは、自分で見つけたんだ。誰だって、自分が何者であるか決めるものを、自分自身で見つけたっていいんじゃないだろうか?)
ルネはしばらくの間、静かに考えた。だがやがて、力なく首を振った。
(無理だ、僕には。魔王さまは自分の命が残り少ないと知りながら、ああして笑うことができる。強い人なんだ。僕とは違う)
どうしたらそんな風に、強くいられるのだろう。
だがルネは、魔王さまが、亡くなった母君のことを語っていたのを思い出した。
(同じだったんだな。僕と……)
初めは、汚らわしい魔物と思っていた。けれど魔王さまの母を想う心は、ルネと同じものだった。魔物だから何もかも人間と違う、そう考えていたのは、間違いだったのだ。
(それなら……)
無理だ、できない、という考え。それも間違っているかもしれない。
人間は、間違える。真実でないことを真実と思い込んだり、その逆のこともある。今知っていることだけが全てだと考えたり、ひどい時には、間違いを認められずに真実をねじ曲げさえするのだ。
(そうだ。やってみなければ、分からないんだ)
魔王さまは、強いから。それも間違いかもしれない。強いから大切なものを見つけたのではなく、見つけた大切なものが、魔王さまを強くしているのかもしれない。
(もしかしたら、僕にも……)
うつらうつらしながら、風に舞う蝶のように思考を巡らせているうちに、ルネはいつしか心地よい眠りに落ちていた。
それからルネは、少しずつ変わっていった。今までさして関心もなかったネヴィスランドのことに、興味を持つようになった。好奇心の赴くまま城の中を歩き回り、皆と気軽に言葉を交わし、いろいろなことを尋ねた。
なんでも見て、聞いてみよう。ルネはそう考えたのだった。古来のしきたりに厳しいセヴィーラでは、行動には何かと制限がつく。けれどここでは、ルネは自由気ままに過ごすことができた。ネヴィスランドにいる間、できるだけ様々なことを見聞きしようとルネは思った。そうしているうちに、何かが見つかるかもしれない。見つからないかもしれない。けれど探すだけならば、別に構わないはずだ。
魔王さまともあちこちに出かけたり、一緒に時間を過ごすことが多くなった。そしていつしかルネは、そんな時間を楽しいと感じるようになっていた。もう少しだけ、こんな時間を楽しんでいたい、と思い始めていた。
ふとした瞬間に、魔王さまのことを考えている。何かを見て、魔王さまならどう思うだろうかと考える。ルネはそんな自分に気づき、一人顔を赤らめることもあった。
ある日二人で少し遠くの街まで出かけ、その帰り際、ルネは言った。
「魔王さま。今日は珍しいものをたくさん見ることができて、貴重な経験になりました」
「そうか。よかった」
「ネヴィスランドに来てから、今まで知らなかったことを知ったり、いろいろなことを見聞きすることができて……、その、と、とても楽しくて。来てよかったと思っています」
それは本心からの言葉だった。
「そ、そうか!」
魔王さまはそれだけ答え、ルネの手を取った。そして二人はなんとなく気恥ずかしくて、無言のまま手を繋ぎ、暮れかけた街を馬車へ戻っていった。
一方、心穏やかでなかったのはティノだ。
「ルネさま」
ある朝ティノは、ルネの身支度を手伝い終えると、意を決したように顔を上げて尋ねた。
「あの……。近頃ルネさまは、何をお考えなのでしょうか。宝玉を奪う計画は……」
ルネの心臓が鳴った。
「何か計画があるのなら、どうかティノにもお話しください」
ティノは曇りのない一途な目で、ルネを真っ直ぐ見つめている。
「い、いや。それは……」
ルネは口ごもり、その瞳から顔を背けた。
「これはその……、ネヴィスランドを偵察する、いい機会だと思うんだ」
ルネは咄嗟に思いついた言い訳をした。
「婚約の件は誤解だったが、セヴィーラとマファルダの間でまた戦争が始まれば、結局ネヴィスランドはマファルダにつくだろう。だからネヴィスランドの情報を集めておけば、その時に役立つ」
「そう……ですか……」
ティノは腑に落ちない顔をしながらも、それ以上は食い下がらなかった。
大切なティノに嘘をついてまで、今の時間を長らえさせたいのか。ルネはその時になって初めて、自分の心をはっきりと自覚した。
全て用意はできている。後はペンダントをすり換えて、適当な口実でセヴィーラに帰ればいい。しかしルネは、決断することができなかった。
「では、出かけてくる……」
「お気をつけて」
ルネは逃げるように部屋を出た。ティノは釈然としない思いで、主の背中を見送った。
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