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求婚

「ま、魔王さま! なななにを!?」 「ルネ。そのままでいてくれ」  クンクンクン クンカクンカ  スーハー スーハー ス~ハ~ハ~~~~  魔王さまのどこか切なげな声と鼻息が、まるで魔術のようにルネの動きを止めてしまった。鼓動がどんどん早くなる。頬が熱い。しかしそれは、とても心地よい感覚だった。やがてルネはその心地よさに身を任せ、静かに目を閉じた。そして自分も魔王さまの背に腕を回し、こっそり匂いを嗅いでみた。  魔王さまの身体からは、男らしく、それでいて優しい匂いがした。 (いい匂い……)   クンクンクンクン…… 「ああ。落ち着く」  魔王さまが呟いた。  すると、どうしたことだろうか。あれほど燃えさかっていたピンクの炎が、見る間に勢いをなくしてゆく! 「えっ?」  クンクンクン……  シュウゥゥゥゥ……  炎は音を立てて消え始めた。ティノは目を見張る。 「魔力の暴走が、収まっていく!?」  ス~ハ~ ス~ハス~~……  シュー…… 「そ、そんな!」  やがて、ピンクの炎はすっかり消え去ってしまった。 「ど、どういうことだ!? 宝玉はここにあるのに――!?」  ティノは慌てて、ペンダントトップの蓋を開いた。 「な……っ、なんだこれは!?」  そこにあったのは、魔力の宝玉ではなかった。  ふくよかで優しげな、中年女性の肖像画だ。絵の中からこちらを見つめ、穏やかに微笑んでいる。 「何を勘違いしたのか知らんが」  魔王さまは、ルネの身体を放して言った。 「それは亡き母の肖像画だ。大切な物だから、返してくれ」  魔王さまは手を差し出した。 「そんな! 魔力の宝玉だとばかり……」 「魔力の宝玉? あれは、次の魔王になる者が持つ習わしだ。弟が持っているが」 「でも、魔王さま! なぜこの肖像画で、魔力の暴走を止めることができるのですか? それに、どうして隠して見せてくれなかったのです?」  ルネが尋ねた。 「そ、それはその、だな……」  魔王さまは頬を染め、ルネから目を逸らす。 「母の肖像画をいつも持ち歩いているなどと……、恥ずかしいではないか……」  魔王さまはきまり悪そうにもじもじした。 「だが、母の顔を見ると心が穏やかになるのだ。魔力の制御には精神力が重要だからな、心が落ち着けば暴走も収まる。だから――」  魔王さまはルネを見つめた。 「母の顔を見た時と同じように、俺の心に安らぎを与えてくれるお前がいれば、魔力の暴走を止められるのだ」 「魔王さま……」  ルネにも分かった。魔王さまの胸でその温もりに包まれている時、それはまるで春の陽だまりで微睡んでいるようだった。遅く来る北国の春のような魔王さまの愛情が、冬の間に降り積もった雪のようなルネの心を溶かし、安らぎを与えてくれた。 (僕と魔王さまは今、同じ気持ちでいる) 「魔王さま」  ルネは、勇気を出そうと決めた。顔を上げ、魔王さまを真っ直ぐに見つめる。 「なぜ兄に、僕をセヴィーラへ帰さない、とはっきり仰ってくれないのですか」 「それは、」  魔王さまは目を細め、ルネを見つめ返した。 「お前は政治の道具でも、誰かのコマでもない。お前はお前自身のものだからだ」  ルネは瞳を見開いた。 「だからお前は、自分自身で選ばなければいけない」  ルネの心の鏡にひびが入り、音を立てて割れた。 「魔王さま」  ルネは暖かな亜麻色の瞳で、魔王さまに微笑んだ。 「まずは魔王さまがプロポーズをしてくれなければ、お返事ができません」  魔王さまは頬を染めた。しかしルネの手を取ると、これまでで一番の真面目な顔をした。 「ルネ。俺に残された時間は僅かだが、その大切な時を、お前と共に過ごしたい。……俺の花婿に、なってくれないか?」 「ひゅ~!」 「魔王さまー!」 「カッコイイ~!!」  見守る兵士たちが歓声を贈り、口笛と拍手が響き渡る。その時――、 「待ぁて待て待て待てぇっ!!」  クラウディオが、すさまじい勢いで突進してきた。 「ルネっ! まさか、セヴィーラに帰らない、などと言い出すのではないな!? ほらほらっ、お兄ちゃまだぞ!」  クラウディオは二人の間に割り込み、むりやり引き離した。 「フェルディナ九世よ! ルネは今、考え中だ。静かにしているがよい!」 「何を考えることがある!? ルネは大好きなお兄ちゃまと一緒に、セヴィーラで暮らすのだ!」 「決めつけるな! ルネは俺のことだってちょっとぐらい好きなはずだ! たぶん!」 「あ、兄上も魔王さまもケンカはやめてください!」 「ルネ! 実はお兄ちゃまは女を愛せぬ身なのだ。子はできないから、後継者にはお前を指名するぞ!」 「えっ……」 「貴様! それでルネを釣る気か!?」 「貴様こそ引っ込んでいろ! 私はルネが生まれた時から知っているのだぞ!」 「る、ルネよ。そういえばまだ、メロンアイスクリームは食べていなかったな!? スイカもあるぞ! ネヴィスランドを選べば、おいしいアイスクリームがいつでも食べ放題だ!」 「魔王よ! 自分で選べと言ったばかりではないか!」 「アピールするのは自由だ!」 「ルネ! こんなど田舎のネヴィスランドなんかに住んだら退屈だぞ!」 「何を言うか! アイスクリーム以外にも、ネヴィスランドには見所がいっぱいだ! ルネ、夏になったらピクニックに行こう。船での川下りも楽しいぞ!」 「それを言うならセヴィーラの方が――!」  ルネは滲む涙をそっと拭った。自分の存在は無意味だ、軽んじられ、ないがしろにされている――ずっとそう思ってきた。しかし、兄や魔王さま、それにティノ。こんなにも自分を愛してくれる者たちが、側にいる。 「ルネよ! ネヴィスランドを選べば健康になって背も伸びてそれから、それから――!」  魔王さまはふと口をつぐみ、頬を染めた。一瞬ルネから目を逸らしたが、決意したように顔を上げ、ルネの目をしっかりと見て言った。 「……た、大切にされるぞ。とても」 「魔王さま……、僕は、」  ルネが魔王さまに答えようと、一歩足を踏み出しかけた時。傍らで悔しげにうつむき、肩を震わせるティノが目に入った。ルネは足を止めた。 「ティノ。こちらへおいで」  ティノがおずおずと側へ来ると、ルネはその小さな肩をくるりと回してクラウディオの方を向かせ、背中からしっかりと抱きしめた。そして大きく息を吸い込むと、クラウディオに尋ねた。 「兄上。一つ、お答えください。兄上はクーデターなど起こさずとも、父王の後継者として次代の王になれていたでしょう。それなのに、なぜクーデターを起こしたのですか」  その言葉に、クラウディオの紅潮した頬からすっと熱が引いた。弟を溺愛する兄の表情はかき消え、瞬く間に、王の顔がそれに取って代わる。 「マファルダからの、友好条約提案がきっかけになったのだ」  クラウディオの瞳に、静かな怒りが燃え上がった。 「その知らせを聞いて国中誰もが、これで平和が訪れると喜んだ。ところが父上はその申し出を一蹴し、あろうことか新たな徴兵と増税を決めたのだ。既に民は疲弊しきっているというのに。このままではセヴィーラの民は皆、餓死してしまう。だから私は、父上から王座を奪うと決めた」  苦痛に耐えるように、クラウディオは瞳を細めた。 「兄上……。もし失敗すれば、命はなかったものを」  ルネはティノを自分の方に向かせ、目線の高さに合わせてかがみ込んだ。 「ティノ、聞いてくれ。僕はずっと王になりたいと願っていた。王になれば軽んじられずに済む、権力があれば、自分の存在に意味を見い出すことができると。でも僕は結局、自分のことしか考えていなかった。兄上は違う。兄上は、民のために王になった。……どちらが王としてふさわしいか、明らかだ」 「ルネさま……!」 「僕は王の器ではない。お前の期待に応えられなくて、すまない。だけど僕はネヴィスランドに残り、ここで僕の幸福と、僕にできることを探そうと思うんだ。――魔王さまと一緒に」 「ルネさま……っ」  泣き出したティノを、ルネはしっかり抱きしめてやった。 「兄上、魔王さま。ティノをここまで追いつめてしまったのは、僕の責任です。どうかお咎めなきよう、お願いいたします」 「……分かった」 「ルネええぇぇぇっ! ティノのことは悪いようにしないから、考え直してみないか? お、お兄ちゃまが嫌いになったのか?」 「兄上、まさか。ただ僕は、自分自身で決めようと思うのです。――自分が何者であるかを」  ルネはずっと恐れていた。王子という肩書きでしか、人は自分を見ない。力、権力、名誉。そういう装飾を纏わねば、自分は何者でもなくなる。誰も自分を認めず、必要としてはくれない。誰の目にも明らかな装飾品で身を飾ることだけが唯一、人々に自分の存在を認めてもらえる方法なのだと、思っていた。だから、追い立てられるようにそれを求め続けた。  でも今は、少し違う。もう恐れてはいない。心は故郷の海のように青く澄み、凪いでいる。そして、その底に真珠のように輝くものは――。  ルネは大きく深呼吸して魔王さまの側へゆき、手を取った。 「ルネ……っ!!」  魔王さまがルネを抱きしめる。その腕の中で、ルネは静かに目を閉じた。 「魔王さま。僕も魔王さまと一緒に、時を過ごしたい」  ルネは言った。 (たとえそれが、残り僅かな時間でも……)  三ヶ月後。  ネヴィスランド宮殿の大広間には、大勢の人や魔族が詰めかけていた。セヴィーラとマファルダ、そしてネヴィスランドの三国間で友好条約が締結されることになり、今日はその調印式が行われるのだ。いつもチェスに夢中で、条約を結ぶのをうっかり忘れていた大魔王さまとマファルダ王も、この機会にきちんとすることにした。  そして調印式の後で、魔王さまとルネは結婚式を挙げる。この結婚が三国に友好と平和をもたらすものであるように、という願いを込めて、二人はこの日を新たな門出の日に選んだ。 「どうした、緊張しているのか」  大広間中二階の桟敷席で、式典が始まるのを待つ魔王さまは、隣のルネに小声で尋ねた。 「ええ、少し。でもそれより、なんだか胸が一杯で」  ルネは目を細め、式典の会場を見渡した。  桟敷席からは一階の様子がよく見える。集まった群衆の前には、威風堂々たる三人の王が並び立っていた。上座中央にセヴィーラ新国王、クラウディオ・セヴィーラ・フェルディナ九世。その両隣にネヴィスランド大魔王さまと、マファルダ王。少し前なら考えられない光景だ。  二人の老王は新たな友人を間に挟み、楽しげにあれこれ話しかけている。聡明で若々しく、弟に少々過剰な愛情を抱いている以外は完璧な貴公子であるクラウディオは、既に二人のお気に入りのようだ。  晴れて国交が樹立するセヴィーラとネヴィスランドの間では、定期便が運行されることに決まった。セヴィーラからネヴィスランドへは、職を求める人々を派遣する。これでネヴィスランドの人手不足も解消に向かうだろう。逆にネヴィスランドからは、農業や工業の技術指導をする人材がセヴィーラへ向かう。  ネヴィスランドではサロンや劇場、ミュージアムなど、文化振興のための施設が着々と建設中だ。完成の暁にはセヴィーラやマファルダから芸術家を招き、催しを行う。大規模な芸術祭も計画中だ。  セヴィーラとマファルダの間でも、共同で灌漑事業が始まった。また、両国の和解を祝う祭典も先日行われた。長く争ってきたセヴィーラ人とマファルダ人の間に今初めて、親しい交流が生まれつつある。 様々な計画の実現に、ルネは大きな役割を果たした。三国間で開かれた交流協議会の席上で、ルネが提案したアイデアが、計画の元になったのだ。アイデアを出して皆の賛同を得たルネは、今度はそれを実現するために具体的な計画を立て、あちこち奔走した。今もルネの頭の中には、新しい計画が山積みになっている。結婚してもしばらくは、忙しい日々が続きそうだ。  しかし、近頃ルネは漠然と、何かを見つけた気がしている。  もうすぐ調印式が始まる。天窓から差し込む眩しい光に、ルネは思わず空を仰いだ。今日の日を祝うような雲一つない青空が、なぜか母の笑顔を思わせる。母に国母の栄誉を捧げることは叶わなかったが、自ら選んだ道をゆく自分を、母は笑顔で見守ってくれている。ルネにはそんな気がした。  ふと見ると、会場の隅で控えるティノも、空を見上げていた。  ティノはティノなりにルネの考えを理解し、受け入れてくれた。セヴィーラに帰る選択肢もあったのだが、ティノは今まで通り、ルネの側で仕えることを選んだ。  それから猫は裁判の結果、猫なので情状酌量が認められたものの、向こう一ヶ月間おやつ抜きという極刑に処せられた。 「そろそろ始まるぞ、ルネ」  ファンファーレが高らかに鳴り響く。そして式典が始まった。  来賓による挨拶や祝辞に続き、調印が行われる。三国の王が順番にサインをすると、会場から大きな拍手が湧き起こった。  その後はいよいよ、結婚式だ。  大魔王さまが群衆に、二人の結婚の旨を告げる。二人は席から立ち上がった。正装である漆黒の衣装に身を包む魔王さまは、純白のセヴィーラ絹をまとう凜々しいルネの姿に目を細め、手を差し伸べた。 「さあ、ルネ。ゆこう」  ルネは頷いて、魔王さまの手を取った。それはもう、冷たく邪悪な魔物の手ではない。  大広間の正面扉が開かれた。  楽団の演奏に歩調を合わせ、天井のステンドグラスから差し込む光の道を、二人は緋色の絨毯を踏んで歩いていった。会場に設けられた一般観覧席から、拍手と歓声が沸き起こる。今日は二人を祝福するために、ネヴィスランドの民が大勢訪れていた。アイスクリーム屋のおばちゃんや、書店の娘の姿も見える。見ればティノも、拍手をしてくれていた。 ――僕はきっと、正しい道を選んだ。  ルネはそう感じた。王にはなれなかったけれど、ルネの選択を、こんなにも多くの人が祝福してくれている。ルネは幸福だった。もう、軽んじられているなどと思わなかった。  そして、自分を変える力をくれた魔王さま――、今日から自分が花婿となる、魔王さまの手を握りしめた。  ルネは、今日のことを忘れない、と思った。別れの時が来ても、今日この日の幸せを胸に、ずっと生きていける、と思った。

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