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ますみちゃんと俺
「じゃあ、今夜はこれで」
「最後戸締りよろしくね」
短針と長針が直角すぎてとんがってくる時間に、そんなあいさつを交わして。
てんでに家路につくのを見送ってから、俺は仕事場のリビングのベランダに出た。
角部屋のおかげでそこそこの広さがあるベランダは、別に洗濯を干すわけじゃないから物干しは設置されていなくて、替わりに庭置き用のテーブルセットが置いてある。
自宅は、元嫁が荷物を残しているのと娘が来た時に匂いを嫌がるので、禁煙。
まあ、耐えられなくなったら換気してでも吸うけど、基本的にはそんな面倒なことしてまではって思うから、禁煙。
なので、帰る前の一服が俺には大事。
事務所の中は禁煙ってわけではないけれど、心地いい季節にはベランダで一服することにしている。
この見晴らしとあわせての至福。
「りゅーさん、まだいる?」
火をつけたところで、からりとサッシを開けてますみちゃんが顔を出す。
「んあ?」
「僕、今夜はここ泊まりなんだけど、晩飯どうする?」
「ますみちゃん、最近、泊り多くね?」
「うん、たなさんが頑張ってくれてるから、ちゃんと応えたくて。家にいても一人じゃ暇だしさ」
「あー……ますみちゃんは、マジメだなぁ……」
「っていうか、りゅーさん、やっぱ待っててよ。僕が寂しいから、一緒になんか食べようよ。コンビニ飯になっちゃうけど」
「おー。じゃ、買ってきてくれる?」
「赤、青、緑?」
「何が?」
「コンビニの選択肢」
「ますみちゃんの行くとこでいいよ。適当に買ってきて」
「買ってくるから、一緒に食べてね」
「わかったわかった。ついでにアルコールもよろしく」
「了解」
一本分の煙を量産してから、部屋に戻った。
キッチンに入って、やかんを火にかける。
それくらいはね、家事が壊滅状態の俺にだってできます。
しかしここで困るのは、ますみちゃん選ぶであろう飲み物の選択肢がさっぱりわからないこと。
そして、カップはともかく中身のありかがさっぱりだってこと。
つらつらと考え事をしていたら、湯が沸いた。
口から上がる湯気がなかなか面白い気がして、観察。
「りゅーさん、何やってんの?」
何かが使えそうな気がしたけれど、ますみちゃんの声がしたのでガスを切った。
「湯、沸かしてたけど、湯気見てたら湯が半分になった」
「そうなの? なんか淹れる?」
「どこに何があるかわかんねぇ」
「僕もインスタントコーヒーくらいしかわかんない」
「まあ、いいや。ますみちゃん買い物さんきゅ。いくら?」
男2人差し向かいでコンビニ飯を食う。
湯は結局ますみちゃんが買ってきたカップ麺作るのに使った。
ぼそぼそとしゃべりながら食って、アルコールも流し込んで、あとは仕事の邪魔にならないように撤収しなくては。
家に帰れば、なおなおと腹減ったコールが待ってる筈だ。
俺だけ飯食ってんのは、相手が猫でも申し訳ない気がする。
「そういや、りゅーさん聞いた?」
「何を?」
「人増やすって」
「あー……なんかそんなこと言ってたな。よっさん、創作チームにいれたいとかって」
「それもあるけどね、たなさんとなおちゃん、本格的に考えたいみたいだよ」
「何を?」
「こども」
こども?
ああ、子供か。
子供……ねぇ。
「女の人はさ、よくわかんないよな」
「……違う生きもんだからな」
「りゅーさんが言うと、妙に重いね」
「そうか? 野郎はおっ勃てれればなんとかなるけど、女はやっぱ産むのに限界あるからな」
「そんなもんかな」
「なんじゃねーの?」
なるほどこどもなあ、と思う。
それから、良かったとも。
なおちゃんはともかく、シャチョーはそうやって自分のことも考えてくれてた方がいい。
自分の生活を対価にして、創作チームの効率だとか集中させたいとか手を煩わせないようにとか、考えられても困る。
ことに俺は面倒をみまくってもらっている自覚くらいあるので。
シャチョーが自分のこと優先してくんないと、どっからともなく湧いてくる罪悪感ってやつに気が付いてしまいそうになる。
「できたら知ってる中からスカウトしてくるって」
「そういう歳でもないけど、新人を?」
「うん。少しでも早くなじむように、完全に新しい子じゃなくて、一人でも知ってる人がいる知り合いの中からって」
「へえ……ま、いいんじゃねえの? 俺ら、アクが強いらしいし」
「だね」
食い終わったごみを分別して、キッチンを片付ける後姿を見ながらアルコールの缶を干す。
「りゅーさん……」
「ん?」
「りゅーさんもさあ、もう少し、自分のこと、考えてもいいと思うよ?」
「考えてるけど?」
「うん、でも、わがまま通さないでしょ。僕はりゅーさんがわがまま言ってくれると嬉しい」
「……俺は、そんなにいい人じゃねえと思う」
「うん、いい人じゃないから心配になる。多分、たなさんも一緒だよ」
「ん~?」
わからなかったらいいんだけど覚えておいて、とますみちゃんは手を振って自分の作業室に戻っていった。
片手にはお供のブラックコーヒーが入ったポット。
今夜はマジで徹夜のつもりらしい。
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