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あいつとおかえり

 そっと。  遠慮するように肩を撫でられて、ふ、と意識が浮かび上がる。  また寝てたんだな、と認識する。  それにしてもえらく優しく起こされてるな。  いつものシャチョーなら拳骨の一発や二発、ふってきそうなものなのに。 「……大丈夫?」  囁くように問いかけられる。  聞こえる声にとうとう幻聴が始まったのかと思った。 「りゅーさん?」 「……て、つ?」  そんな訳ない。  あいつの――木下哲史の声が、今ここで聞こえるわけがない。  ってことは、これは夢。  てつがここにいるっていう夢を見ている夢に違いない。  夢の中で夢を見るっていうのは疲れるから嫌なんだけど、自分でコントロールできないんだから、仕方ないと思うしかないのか。  夢でなければ、幻聴・幻覚。  こんな状態で声を聞くなんて、未練たらたらだな俺。 「熱はないよね。転倒したわけじゃないんだろ? りゅーさんが自主的に飯食うわけないけど、水分くらいは摂って……ないっぽいね」  夢の中の筈なのに、妙にリアルにてつがため息をついて立ち上がる。  玄関の方向に向かう背中を見つめた。  中肉中背と呼ぶにふさわしい、体格。  清潔に奇抜ではなくきちんと手を入れられた髪。  真っ直ぐな背骨。  全体から受ける印象とは違って、抱きしめたら意外と骨っぽいのを知ってる。  三年前と変わらない、後姿。  玄関に置いてあったのだろうコンビニの袋を持って、てつが戻ってきた。  首筋に手を当てられて熱を確かめ、袋の中から取り出したゼリーパックを渡される。  やっぱりリアルなてつの体温とひんやりとしたゼリー飲料の感触。 「飲んで」 「てつ? マジで? ……てか、何で?」 「いいから。まず、飲め」  押し付けられた経口補水液のゼリーをみて、一日半ほど飲まず食わずだったから脱水状態なのかと納得する。  大人しく口をつけてゆっくりと飲みこんでいると、ぱたぱたと、水のこぼれる音がした。  俺の隣に膝をついて覗き込んでいるてつが、無言のまま大粒の涙をこぼしている。  ぎゅっと膝の上で握られている拳。  夢や幻覚じゃないと納得した瞬間、こみ上げてきたのは多分、愛おしいという気持ち。  追いかけなかったけれど。  ずっと立ち止まっていたけれど。  気持ちが冷めたわけじゃない。 「てつ……どうした?」 「どうしたじゃねえだろ。こっちはいろんなこと考えてたなさんのスカウトもさんざん迷って、決死の思いで」 「ああ、人増やすって言ってたっけ。お前になったんだ」 「今更って思った、ものすごく。身勝手だって自分でもいやんなった。でも忘れられなかったから、この話も断りきれなくて、やっぱ、りゅーさん好きで、顔見たらどうやって話をしようとか、ぐるぐる考えてたのに、りゅーさんぶっ倒れてて、そんなんどっか行っちまうし」 「あー……それは、申し訳なかった」 「今日から出勤で事務所いったら、たなさんが『りゅーさん行き倒れてるから救出に行け』って鍵渡してくるし、ここ来たら人気ないしマジでりゅーさんひっくり返って目ぇ開けないし開けたら開けたで寝とぼけてるし、オレ……」 「夢だと思ったんだ。じゃなきゃ、幻だって」 「夢でも幻でもねえよ。オレは、ここにいる」  てつがきっぱりと言い切ってくれたから、笑いがこぼれた。 「ああ。おかえり」 「そんだけ?」 「なんで?」 「他に言いたいこともあんだろ? オレ、勝手に消えたし何にも言わなかったし、りゅーさんほっぽってったし、その間にも……その間にも、他にも……」 「もう、いいよ」  言い淀むてつの頭に、手を乗せる。  気にしてほしいと言われたり聞いて欲しいといわれるなら、そりゃあ、言い訳くらいいくらでも聞くけど。  別に言いたいわけではなさそうだし。  むしろ言いたくなさ気だし。  それならどうだっていい。  そんな嬉しくない言葉よりももっとずっと大事なのは、てつがいるってこと。  ここに。  俺の手の届くところに。 「いいんだ。お前は戻ってきたんだろ?」 「りゅーさん」 「おかえり、てつ」 「ごめっ……ごめん、りゅーさん……オレ、怖くて。りゅーさんずっと年上だし仕事できるし皆も認める特別な人で、オレ何にもできなくて、でも離れらんなくて、就職口実に逃げるしか思いつかなくて」 「俺……? 何にもできないよ? こうやって助けに来てもらってるくらいだからさあ」 「……あん時、テンパっててりゅーさんに生活能力がないって、忘れてた」 「じゃあ、思い出してくれよ。そんで忘れないで」 「忘れない。……なんともなくて、よかった……」  ぼろぼろと涙を流しながら、俺の上にてつが伏せる。  りゅーさんが……りゅーさんと話ができる状態になってよかった、と。  あんまりおいおい泣いているから、それも何とか聞き取ったくらいなんだけど。

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