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02
「……っ、はあ……ぜえ……ッ」
「……んー、なるほどなるほど?」
モルグの指示どおり、一通りの器具を使い汎ゆる筋肉を酷使して一時間。どこから取り出したのか、ボードを片手にモルグはうんうんと頷いた。
ようやく最後の一項目を終え、ふらふらとモルグの座るベンチへと近付く。
「あ、あの……モルグさん……結果は……」
「……こうして見れば見るほど不思議なんだよねえ、全てが平均値。飛び抜けた数値もないし、人には誰しも得意不得意があるものなんだけど君の場合は器用貧乏と呼べるほどでもない」
「う゛……ッ」
「なんで君がボスのお眼鏡に適ったんだろう……ねえ、なんでだと思う?」
「そ、それは俺も聞きたいです……」
悪意がない故にぐさぐさとスレートな言葉のナイフが突き刺さる。そのまま隣に腰を掛ければ、「はい、水分」とモルグは流れるような仕草でドリンクを阿拉てくれた。
不思議な人だけど、こういう気遣いは完璧なんだよなあ。思いながら、「ありがとうございます」とそれを受け取った。
そしてストローを咥え、ごくごくと水分補給を行っているとふと思い出したようにモルグはこちらを見た。
「そう言えばさ君、ここから逃げ出したいとは思わないの?」
それはあまりにも当たり前で、そして突拍子もない疑問だった。
思わず「え」と顔を上げれば、いつもと変わらない柔和な笑顔を浮かべたままモルグは思案する。
「君って元々地上の人間なんでしょ? 俺も元々地上にいたから分かるんだけど、普通の人って生活を脅かしてくるヴィランに対して嫌悪感を抱くものだと思うんだよね。けど、君にはそれはない。逃げようとする素振りどころか、積極的に他の皆と仲良くしようとしてるようにすら見える」
「そ、それは……仲良くしろって言われたのもありますけど、皆さん……その、最初は怖かったですけど良い方ばかりで……」
「良い方ばかりねえ。まあ、そうかもね。ヴィランの中でもここにいるやつらはまだ頭があるからね、生きていくためにどうすればいいのかわかってるやつらしかいない。逆に言えば、この施設の外は倫理も知性もない獣みたいなやつらしかいないんだ。君もまた、生き残るための判断力を備えてるということなのかな」
「……えと……」
そうぶつぶつと呟くモルグに戸惑っていると、「ああ」とようやく俺に気づいたように顔を上げる。
「ごめんねえ。これは僕の独り言。思ったよりも君が正しい判断してくれる子で嬉しいよっと話〜。……別に聞き流してくれてもいいから」
「は、はい……」
やっぱり、変わった人だ。
けれど、モルグからしても俺はおかしかったということなのだろうか。モルグの言葉を素直に喜べない自分がいた。
そんなとき、休憩していた俺達のもとに一つの影が近付いてきた。
「ああ、どうもこんにちは。トレーニング中ですか?」
掠れた低い声。顔を上げれば、そこには見覚えのある草臥れたリーマン風の男がいた。
「安生さん」と名前を呼べば、安生はにへらと笑って軽く手を振ってくれた。
「や。どしたの〜? 安生。まさかおたくが運動?」
「いえそんなまさか。たまたま通りかかったらモルグ君の楽しげな声が聞こえてきたのでつい」
安生の言葉に、「へえ? 僕の?」のと僅かに眉を持ち上げるモルグ。安生はええ、と頷くのだ。
「安心しました、ちゃんと面倒見て下さってるんですね。なんだかんだ一番貴方が嫌がりそうだなと思ってたのですが杞憂でしたね」
「……っ!」
そうだったのか、と思わずモルグを見れば、モルグは否定するどころか「ま、そりゃあ僕は他の子たちと違って休みなしだからねえ」と答えるのだ。
「君の場合は仕事と趣味が同じだからでしょう」という安生のツッコミに、モルグは無言で微笑むだけだった。掴みどころのないモルグにも慣れてるのだろう、やれやれと肩を竦める安生もこのやり取りを楽しんでるような気配すらあった。
そして、「それより善家君」と安生がこちらを振り返る。
「あ、は、はい……」
「励むのはいいことですが、後日響かないように気を付けてくださいね。君の体は他のヴィランたちとは違いますので」
「……はい」
心配してもらってるのだと分かってても、なんとなく怒られたように聞こえてしまうのは最早クセのようなものだ。
「それじゃあ、私はこれで」と立ち去る安生に頭を下げ、そして俺は手元に残ったボトルのストローに吸い付いた。
「……本当過保護だよねえ?」
「あ、あのモルグさん……ごめんなさい」
「んー? なにがあ?」
「仕事で忙しいのに……俺の世話なんてしなきゃならなくなって……」
ごめんなさい、ともう一言謝ればモルグは「ふはっ」と噴き出すのだ。そして、頭を傾けこちらを覗き込んでくる。目元に落ちる金髪の下、無邪気な瞳がこちらを見据えた。不思議な色の瞳だ、見つめられると目を逸らすことができない。
「君さあ、僕の話聞いてた? ……僕にとっては君も興味対象なの。だーかーらー、これも仕事の内なんだよ」
「……っ、でも」
「あーそうだ、じゃこれはどう? 君がいいっていうんなら僕の研究室に連れて行くけど?」
「その方が僕も色々捗るしねえ?」と小首を傾げるモルグ。まさかそんな提案されるとは思ってなかった。
「モルグさんの研究室?」
「そ、地下にあるの。……別に秘密にしてるわけじゃないし、凡人には理解できないだろうから君なら特別に案内してあげようかな〜」
「い、いいんですか……?」
「いいよ。それに、君があんまりにも捨てられた子犬みたいな顔するからね。僕は犬が好きなんだ」
え、と聞き返すよりと先に、ぽんぽんとモルグに肩を叩かれる。ノクシャスやナハトとは違う、励ますような優しい手。
固まる俺に、モルグは優しく微笑むのだ。
「じゃあ行こうか、時間は有限だから」
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