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CASE.04『非日常的日常』

 幼い頃、憧れていたヒーローがいた。  いつも泣いてばかりだった俺を守ってくれた。  俺だけじゃない、どんな困ってる人も見逃さずに助けてくれたヒーロー。  ずっと、そんな風になりたいと思っていた。  兄――善家吉次は、俺の憧れのヒーローだった。  それも十年以上昔の話だ。  俺が幼い頃、有名なヒーローだった兄はとあるヴィランとの戦闘の末行方を晦ましたのだ。  ◇ ◇ ◇  微睡む意識の中、部屋に来訪者を知らせるチャイムが響く。体を起こし、扉まで駆け寄り扉を開けば、そこには見覚えのある青髪の男がいた。  ――ノクシャスだ。 「……よお、まだ寝てたのか?」 「……ノクシャスさん、おはようございます」 「もうこんにちはだぞ、あと鏡見てこい。寝癖がとんでもねえことになってるぞ」  ここ、とわしわしと頭を撫でつけられる。  ノクシャスとこうして一緒になるのは前回ぶりなので緊張していたが、ノクシャスの方は至って変わりない。なんだか一人だけ意識してるみたいで恥ずかしくなってくる。  今朝はなかなか寝付きが悪かった。  昨夜ナハトに付き合って夜更ししてゲームしたせいもあるが、自分でも大きな原因はわかっていた。  ――あの夢のせいだ。  兄が生死不明になり、両親はヒーローという職業に対して不信感を持つようになる。勿論、俺がヒーローになりたいと言う度に反対される。俺が向いてないのもあるだろうが、兄の存在があるからこそ余計恐れていることを知ってた。  それでも俺は兄との約束を忘れられなかった。  兄のようなヒーローになりたい。それだけを考えてこの十年間を生きてきたのだ。  ノクシャスに待ってもらい、部屋の鏡で寝癖を直してくる。完全に戻ることはないが、それでも先程よりかはましだと部屋の前で待機していたノクシャスの元へ戻れば、そこには人影が増えていた。 「やあ、おはようございます。良平君」 「安生さん」 「なんかテメェに用だとよ。俺はここで待ってるからさっさと済ませてこいよ」 「そういうことです、ノクシャス君からの許可も貰ったので失礼してもいいですか?」 「あ、は、はい……どうぞ」  用ってなんだろうか。  なんとなく不安になるが、拒む理由もない。  俺は安生を部屋に招き入れた。 「あの、飲み物とかは……」 「ああお気遣い結構。用を伝えにきただけなので」  そう、安生は胸ポケットからなにかを取り出した。それは小さなカードのようだ。硬質なそれを受け取れば、そこにはなにも記載されていない。 「……これは?」 「ボスの部屋のカードです」 「……え?!」 「これを君に渡してほしいと言付けを頂きまして自分がここに来た次第です」 「え、あの……なんで俺に……」 「あー……それは本人に聞いた方が早いかもしれませんねえ、私にもそれは解らないので」  そう肩を竦め、笑う安生。  安生の言葉を聞いた途端まるでカードの重みが変わってくる。 「エレベーターの端末にこのカードを使えばボスの部屋まで行けます。……が、多忙な方なので常に部屋にいるかどうかはわかりません。今晩ならいる、と本人は言ってましたので会いに行くなら今夜ですかね」 「…………」  前々から何者かと思っていたが、急にボスに会える鍵なんてもらってもどうしようもない。  そもそも、俺はまるでボスのことも知らないのだ。  キーを手にしたまま固まる俺に、安生は笑った。 「ああ、でも。その鍵のことは秘密ですよ。ノクシャス君たちならばいいですが……他の社員には言わないように」 「は、はい……わかりました」 「それじゃあ、私はこれで。……ご健闘お祈りしますね」  なんて言い残し、そのまま安生は部屋を出ていった。  そして安生と入れ違うようにノクシャスが部屋へと上がってくる。 「よお、済んだか?」 「の、ノクシャスさん……」 「あ? どうした、んな情けねえ声出して」  どこから言うべきか。安生はノクシャスたちには話していいと言っていたが、そもそも俺は話せるほどの情報もなにもないのだ。  ならば。 「あの、ノクシャスさん……ボスについて教えて下さい」 「うお、なんだよいきなり。……あ、お前まだ会ったことねえのか?」 「はい……」 「そういやんなこと言ってたっけな……。まあいいや、取り敢えず飯食おうぜ。お前もまだ食ってねえんだろ」  はい、と応えるよりも先にデリバリースタッフが「ども、お届け物でーす」とどんどん料理を持って上がってくる。デジャヴ。 「の、ノクシャスさん、これ……」 「任務帰りでまだ食えてねえから腹減ってんだよ。……あ、酒は頼んでねえから安心しろ」 「……は、はい……」  というか、やっぱり覚えてたのか。  思わず声が上擦ってしまうが、ノクシャスは至っていつもと変わらない様子で運ばれていく飯たちを眺めていた。  そして数分後、いつぞやと同じように部屋の中はあらゆる飯で埋め尽くされる。 「そんで……ボスの話だったか?」  何枚目かのピザを丸めて一口で食すノクシャスに呆気取られそうになりながらも、俺はこくこくと頷き返した。 「つってもな、ボスはあんま人前に出ることを嫌がるんだよ。……お前みてーなよくわかんねえのはともかく、立場が立場だからな。ま、そこらの雑魚に狙われてヘマするような弱え人じゃねえけど」 「こ、怖い人なんですか……?」 「バーカ、お前……無法地帯だったこんな会社作ろうとした人だぞ。……ま、そういう意味じゃあある意味怖えかもな」  そう話すノクシャスは楽しそうだ。  見ててノクシャスが『ボス』のことを慕っているのだとよく分かった。  悪い人じゃなさそうで一先ずは安心し、俺は目の前のピザを一切れ頂戴した。……ノクシャスのマネをして一口で食べようとしてみたが無理だ、大人しく五口に分けて咀嚼することにする。 「んぐ……そういえば、ナハトさんもボスの言うことはちゃんと聞いてるみたいですしね」 「ハハッ! たしかにな、あいつがボス以外の命令素直に聞いてるところ見たことねえわ」 「人望が厚い方なんですね……それ聞いてちょつと安心しました」 「ああ、まずいきなりとって食われることはねえだろうな」  だったらなんでそんな人がヴィランサイドにいるんだろう。不思議だが、まあ色々事情があるのかもしれない。  そんな風に思えるようになったのも、ここで生活するようになってからだ。 「ま、モルグよりかはよっぽど善人だ」  そうノクシャスが炭酸ジュースの缶を開けながらつぶやく。その一言に思わず手に取ろうとしていたグラスを零してしまった。そして中に入ってたお茶が勢いよく床にぶちまけられる。 「あ゛……ッ!」 「おい、なにやってんだ」 「す、すみません……っ! すぐ拭きます……!」  そう慌てて布巾を用意し、濡れた床を拭う。  まだ記憶に真新しいモルグとのアレコレを思い出してしまったせいだ。  落ち着け、平常心だ。そう自分に言い聞かせながらも床を拭いてると……。 「そういやモルグがお前の面倒を見てたらしいな」 「……へっ?」 「何か妙なことされなかったか?」  ぎくりとした。というかなんでそんなことを聞かれるのか分からず、それでも脳裏に例のマッサージが過り顔が熱くなる。  ノクシャスの顔をまともに見ることができず、「いや、まさかそんな。滅相もございません」と誤魔化そうとした矢先。伸びてきた大きな手のひらに肩を掴まれる。 「ひえ……ッ!!」 「……されたのか?」  鼻先数センチ。テーブルを乗り越えこちらへと距離を詰めてくるノクシャス。  あまりのその距離の近さに口から心臓が飛び出そうになる。目を逸したくても逸らせない。近い。近すぎる。 「っ、さ、されて……ないです、その、マッサージは……してもらいましたけど……ッ!! そんな、そんな変なこととかは一切……っ!!」  そうだ、あれは疚しいことではない。そう自分に必死に言い聞かせながらもはそうぶんぶんと首を横に振り、否定する。 「本当か?」と訝しむノクシャスに、俺は更にうんうんと頭を縦に振った。  するとやや間があって、ようやくノクシャスは俺から手を離す。そしてそのままどかりと再びソファーに腰を沈めるのだ。 「……ならいいが、あいつは変態だからな。人を実験対象としか見ていねえ」 「た、確かにそれは……」 「つか……マッサージなあ。あいつがねえ? 珍しいこともあるもんだ。寝てる間に妙なもん仕込まれたり改造されてねえのか?」 「え……?!」  まさか、と咄嗟に自分の体を触ってみるが異変はない……はずだ。というか、ノクシャスの口ぶりからしてモルグには前科があるようだが……。 「ま、あいつは変態だけど腕は確かだしな」 「その、前に何かあったんですか……?」 「俺じゃねえけど、モルグと飲みに行って酔い潰れたりでもすりゃ次に目を覚ましたときは半身が機械になってたりよく分かんねえ薬の投薬されたりってのがしょっちゅうあんだよ。あいつはその度に『おかしいなあ〜ちゃんと事前に許可はもらったんだけどねえ〜?』って酔ってるときに書かせた誓約書出すんだけどな」 「そ、それは……」  怖すぎる……。そして地味にノクシャスのモルグのモノマネが似てる……。 「モルグさんとお酒飲むときは気をつけます」 「ああ、それがいいな」  と、言い掛けてノクシャスが動きを止める。  その顔がややばつが悪そうなものになるのを見てしまい、俺はノクシャスがなにを考えてるのか分かってしまう。 「……っと、その……だな。この前のことなんだが……」  言いにくそうにするノクシャス。お互いに触れないようにしていたのに、まさかノクシャスからこうして触れてくるとは思わず戸惑う。  今このタイミング、しかもあのときと似た状況である今こうして切り出されるのはあまりにも恥ずかしくて、咄嗟に俺は 「あの、ノクシャスさん!」と立ち上がった。 「うお……、なんだテメェ。声でけーな」 「お、俺は……その、全然気にしてないので……っ!!」 「…………は?」 「だから、その……あのときは俺もノクシャスさんも酔ってて、それで、不可抗力というか……っ仕方なかったと思います……っ!」 「………………………………」  沈黙。  勇気を出して先手を打ったが、ノクシャスの反応はあまりにも鈍かった。 「……あ、あの……ノクシャスさん……?」  俺、なんか言っちゃいましたか?  そう恐る恐る顔を上げると同時に、ノクシャスは手にしていた缶を片手でめきょりと捻り潰す。ぎょっとしたとき。 「……俺、お前になんかしたか?」 「………………へ?」 「記憶がねえんだ」  ――あの日、お前の部屋に上がったあとの記憶が。  そうポツリと口にするノクシャスに今度は俺が固まる番だった。 「お、覚えて……ないんですか……?」 「お前のその言い方……俺、まさかまたやっちまったのか?」 「えっ、い、いや、その……ッ」 「おい。誤魔化すんじゃねえ、洗いざらい吐けよ」 「え、えええと……っ」  なんで俺が迫られてるのか。  いや、これは寧ろ言わない方がノクシャスのためではないかと思うが「おい! 吐け!」と胸倉を掴まれれば迫力のあまり「分かりました! 吐きます! 吐きますので許してください!」とこの口から勝手に言葉が出てしまう。 「よし、言え」 「で、でも本当に大したことはされてないので……本当に……お互いお酒入ってたくらいで……」 「御託は良いから早く言えっつってんだろ」 「は、はひ……っ!! え、ええと……その……ほんのちょっと、触られたくらいで……その、俺も触ったのでおあいこというか……っ!!」 「……ッ!!」  ノクシャスの顔が青ざめる。  しまった、余計なこと言ってしまったか。 「あ、で、でもあの! 俺も気持ちよかったので……っ!」 「き、気持ちよかっただと……?」 「あーその、違います……その、無理矢理とかじゃなくて……その、えーと……っみ、未遂ですので……っ!」 「未遂……っ?!」  これも駄目だったか。みるみるうちに顔つきが変わり、更に潰されていく缶だったものに息が停まる。  どうしたら、どうしたらいい。ノクシャスのプライドを傷つけずにこう、穏便に済ませるには……。  考えろ、考えろ。と今日一脳味噌を回転させ、閃く。俺はわなわなと震えるノクシャスの隣に移動し、その逞しい腕を掴んだ。 「お、俺から……誘ったことだったので……その、だから気にしないでください」  そう耳打ちをすれば、ぴくりと手のひらの下の上腕二頭筋が反応する。ぎろりとノクシャスの鋭い目がこちらを睨み、一瞬怯みそうになったが堪える。 「っ、お……まえ……」  そう、ノクシャスの顔が僅かに赤くなる。  そして、その唇がなにかを言いかけた矢先だった。  本日二度目の来訪者を報せるインターホンが鳴り響いたのだ。  今日は客人が多い。……が、このタイミングで来てくれるのはありがたい。俺はノクシャスから逃げるように立ち上がり、「ちょっと行ってきます」とノクシャスに告げて玄関口へと向かった。  ノクシャスの反応が恐ろしすぎて、後ろを振り返ることはできなかった。  そして玄関の扉を開けば、そこには。 「やあ良平君、おはよ〜」  噂をすればなんとやらだ。  そこには珍しく私服姿のモルグが立っていた。 「モルグさん……? おはようございます。あの……」 「んー? ちょっと通りかかったから顔見に来ただけなんだけど〜、今日の当番はノクシャスだっけえ?」 「あ、は……」  はい、と言いかけたとき。背後から伸びてきた腕が扉のドアノブを掴む。そして、モルグの目の前、勢いよく閉められる扉にぎょっとして振り返れば、背後にはノクシャスが立っていた。

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