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03
こんなに夜を待ち侘びたことがあっただろうか。
部屋にいると壁にかかった時計を何度も確認し、立ったり座ったりそわそわしてると、苛ついたノクシャスにジムに連れて行かれる。
「暇なら鍛えろ、運動しろ。時計の針見たって強くはなれねえんだよ」
「は、はい……っ!」
というわけで、流れから俺は鬼コーチノクシャス監修のもと筋力トレーニングを行うことになる。
モルグとはまた別の方向にスパルタなノクシャスにこってり絞られること数時間。
いつの間にかに集まってきていたノクシャスの部下たちと一緒になって扱かれまくり、気付けば俺はボロ雑巾のように汗だくで床に転がっていた。
「もうへばったのか? ったく、体力がねえな……」
「は、へ……」
「ま、でも部屋で腐ってるよかましだろ。んじゃ飯食いに行くぞ。んで食い終わったらさっきの続きだ」
「え゛」
「え゛、じゃねえよ。なんだ? 今嫌そうな顔したか?」
「い、いえ……っ、でも、もうそろそろ夜に……」
「夜じゃねえ、俺の体内時計はまだ夕方だって言ってる」
言いながらぎゅるると鳴る腹部を擦るノクシャス。
体内時計って腹の虫のことか、いやそれは個人差じゃないのか。
このままでは夜までには体力全て搾り取られ、ボスの前に全身筋肉痛で向かわなければならなくなる。
どうにかしてノクシャスから逃げられないか考えたときだった。
「ああ、良平君。やっぱりここに……って、すごい汗ですねえ」
ジムの自動ドアが開いたと思えば、あまりにもこの空間から浮いた男が現れる。
汗や筋肉とは無縁そうなやや草臥れたワイシャツ姿の男――安生だ。
「安生さん!」
「……チッ、もう時間切れか」
現れた安生に対して露骨に舌打ちするノクシャス。そんなノクシャスと俺を交互に見て、安生は「励んでるようでなによりです」と満足げに頷いた。
「けどそろそろ時間なので良平君は借りていきますよ、ノクシャス君」
「勝手にしろ。……ボスの命令ならしゃーねえからな」
「そう寂しがらないでください、会合を終えればすぐに君を呼ぶでしょうからそれまでの辛抱ですよ」
「ああ? 寂しがってねえよ」
「ノクシャスさん……」
「だから寂しがってねえっつってんだろうが、その目やめろ!」
「にゃ、にゃにもいっへないれふ!」
ノクシャスの大きな手で両頬をむにむにと頬をパン生地のように捏ねられ、解放されたときにはやや伸びている気がした。それをそっと戻してる俺を見て、安生は笑った。
「随分と仲良くなったようですね、流石……」
「流石?」
「……いえ、まあいいでしょう。それよりもその汗と服をどうにかしましょうか。流石にその格好でボスの前にお連れするわけにもいかないので」
言われてから自分の姿に気付く。一応ノクシャスが即席で用意させたトレーニングウェアに着替えていたが、流石にこの汗臭いままはまずい。
「安生さん、でも俺……ちゃんとした服なんて……」
「ご心配なく、こちらで既に手配してますので」
「手配……?」
どういうことだろうか、と思ったときだった。
安生が指を鳴らした瞬間、ジムの扉が開いて数人の男たちが現れた。
いずれもここの社員と同じ制服を身に纏っているが、一目見ればわかるほどの屈強な体つきの男たちに囲まれてみろ。思わず何事かと安生を振り返れば、安生は「それではまた後でお会いしましょう」と微笑んだ。
「え、あの、安生さん?! 安生さ……っ、わ、待ってくださ、今、俺汗臭いし濡れて……っ、わわっ!」
いきなりぽーんと放り投げられたと思えば、そのまま宛ら祭り神輿のように担ぎあげられる。安生、そしてノクシャスと部下たちはそんな俺を見ていた。安生に至っては笑顔で手を振っている。
「た、助け……っ! うぷっ! ひうッ、ちょ、おち、おちる……っ!! 助けてーっ!」
えっさほいさと担ぎあげられる中、俺の情けない声がトレーニングエリアに木霊した。
それからは怒涛だった。バスルームで服を剥かれたかと思えば頭からシャワーをぶっかけられ、ご丁寧に全身泡まみれになるまで洗われたあと丁寧に髪を乾かしブラッシングされる。その間も服を着替えさせられ、あれよあれよと気付けば俺は全面鏡の部屋の中、着たこともないような立派なフォーマル服へと着替えさせられていた。
「う、うわわ……」
「ああ、よかった。やはり丁度よかったみたいですね」
鏡にしがみつき、まるで別人のようにセットされた自分の姿を食い入るように眺めているときだ。
鏡の扉が開き、聞き覚えのあるけだる気な声が聞こえてくる。振り返り、思わず息を飲んだ。
前髪を後ろへと撫で付け、きっちりとスーツを着込んだその長身の男を見て一瞬誰かと思ったが聞こえてくる声は間違えなく知人のもので。
「……あ、安生さん……?」
「ええ、私です。君がドレスアップしてもらってる間私もめかし込んで来ました」
そうへら、と浮かべる草臥れた笑みだけはいつもと安生と変わらない。普段ふにゃっとした雰囲気の安生だが、今目の前にいる安生はまるで別人のようだ。猫背も伸びてるし……。
それよりも、どこかで見たことがある気がする。
「一瞬誰かと思いました……すごい、髪を上げると雰囲気が変わるんですね」
「ええ、よく言われます。昔、機械にも顔面を識別されなかったこともありました」
で、でしょうね……。
寧ろこうしていた方がウケはよさそうなのに勿体ないな、と思いながら見上げていると、安生はふにゃりと微笑んだ。
「そういう君もよく似合ってますよ、その服。髪型も……そうしていると大人っぽくていいですね」
「そうですか? よく迫力がないって言われるので嬉しいです」
「迫力があると感じるかは個人差によると思いますが、私はいいと思いますよ。やはり、ボスの見立てに間違いはありませんね」
「え?」
「その服一式、ボスが今日の日のために仕立て屋に用意させたんですよ」
「…………ッ、へ」
思わず固まった。
なんで、何故。どうして。疑問符が浮かんでは脳裏を埋め尽くしていく。
混乱し、固まる俺。安生は「そう緊張しなくても大丈夫ですよ」なんて言うのだ。
「で、でも……あの、なんでですか? 俺、そんなことしてもらうような覚えは……」
「それは本人の口から聞いてみると良いですよ」
「……っ、あ、安生さん……」
「大丈夫ですよ、そう緊張しなくても。……きっと、君以上にボスの方が舞い上がってるはずなので」
そう楽しげに笑い、安生は「ではそろそろ参りましょうか」と俺の腰をそっと撫でる。距離の近さに驚いたが、今となっては些細な問題だ。
どういうことなんだ。疑問を抱えたまま、俺は鏡の部屋を出て安生とともにボスの部屋へと繋がるエレベーターへと向かった。
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