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04

 ボスの部屋直行のエレベーターの中、俺は緊張のあまりに言葉を発することができなかった。  長い長い沈黙の中、やがてエレベーターは目的地へと辿り着く。  ゆっくりと開く扉。そこは細い通路になっていた。  他のフロアのように窓やなにもない。光は天井に取り付けられた照明だけだ。  俺のイメージからして、こういうヴィランの親玉はもっとこう……タワーの最上階、全面ガラス張りの部屋で美女を侍らせてるイメージがあったのだが実際はどうだ。 「こ、ここが……」 「ボスはこの先になります」 「俺、変なところないですかね? 大丈夫でしょうか……!」 「うんうん、大丈夫ですよ。それじゃあ行きましょうか」 「あっ、あ……待ってください……っ、まだ心の準備が……!」  何回目のやり取りかもわからない。安生に手を取られる。  思いの外強い力に思わずよろめき、なすすべなく俺は安生によってエレベーターから引きずり出された。  静まり返った長い通路のその奥、扉が現れる。指紋認証となっているようだ。安生は手袋を外し、扉に取り付けられた箱状の機械に触れる。すると、ピ、と小さな機械音とともに扉が開いた。  そしてその扉の奥がボスの部屋――というよりも執務室になっているようだ。  広い部屋の奥、そこにその人物はいた。  ソファーチェアに深く腰を掛け、こちらに背中を向けたまま。その人物が男だとわかったのはその背中の広さからだ。 「ボス、お連れしましたよ――良平君です」  そう安生が声を掛けた時、椅子にその人物はゆっくりと立ち上がりこちらを振り返るのだ。  瞬間、息を飲む。 「……よく来たな、良平」  照明の下、照らされたその男は俺を見て照れ臭そうに微笑んだ。  一瞬、見間違いだと思った。だってそんなことがあるはずがないのだ。  遠い昔の記憶の中のヒーローだった兄と、目の前の多くのヴィランたちを束ねるボスと呼ばれる男が重なるなんて。  けれどその名前を呼ぶ声も、優しい目元もあまりにも似ていた。だから、俺は堪らず駆け寄っていたのだ。 「良平君」と止める安生の声も耳に入らなかった。 「――っ、兄さん」  そう口を動かしたとき、伸びてきた腕に身体を抱き寄せられる。驚くこともしなかった。懐かしい匂いがした、兄の匂いだ。  そのまま掻き抱くように後頭部を撫で回される。変わらない。大雑把だけど温かい、肉厚な兄の掌に包まれるような感覚が好きで、俺は兄に頭を撫でられるのを待っていた。何年ぶりだろうか。 「兄さん……っ、兄さん……」 「……今まで、留守にしてて悪かった。……は、流石に大きくなったな」  聞き間違いでも幻覚でもない、兄が確かにそこにいた。  言いたいことは色々あった。聞きたいこともだ。それでも兄が生きていた、それだけが分かっただけでも嬉しくて、嬉しくて、じわじわと溢れる涙を見て兄――吉次は笑った。 「泣き虫なのは変わらないな」 「う、うう……っ、兄さん……」 「……っ、おっと……安生、ティッシュを取ってきてくれないか」 「はい、どうぞ。……まったく、だから言ったではありませんか、ハンカチの一つくらい用意しないとと」 「……そうだな」 「うう〜……っ、兄さん……っ」 「これは……安生、予約してた店に少し遅れると連絡しておいてくれないか」 「もう連絡済です」 「……はは、そうか。流石安生だ」 「お褒めに預かり恐悦至極」  幼い頃に戻ったようだった。もう二度と会えないと思っていた人が目の前にいる。  泣いてる場合ではないと分かってても、兄の顔を見るだけで、声を聞くだけで感情がとめどなく溢れてくるのだ。安生から受け取ったティッシュ箱を手に、兄は鼻水でずるずるになる鼻を拭ってくれる。 「……遅くなって悪かった」 「本当に、兄さん……?」 「お前……今度は俺を疑うのか?」 「だって、今まで連絡もくれなくて……俺も、母さんたちも皆、もう死んだんだと……」  言いながら、当時の悲しみが込み上げてくると同時に再び湧き上がる再会の喜びで胸の奥がぐちゃぐちゃに掻き回されるようだった。兄は「おいおい」と笑い、それから俺の髪を撫で付ける。 「……そのこともちゃんと話さないとな。そのために、安生には無理言って今夜自由な時間を用意してもらった」 「ぁ……安生さん、ありがとうございます」  慌ててぺこりと安生に頭を下げる。そうだ、すっかり情けない姿を見せてしまったがこの場にいるのは兄だけではないのだ。今更恥ずかしくなり慌てて顔をごしごしと拭えば、安生は「いえいえ」と笑うのだ。 「私もなかなか面白いものを見せてもらいましたからね。お兄ちゃんをするボスとか」 「……安生、お前な」 「分かってますよ、他言無用ですね」  安生はそう笑う。  そう言えば、ここへ連れ去られたときもなにも聞かされなかった。ただボスの命令だと。  けれど、ボスの正体が兄だというのならその理由は――いや、わからない。そもそも何故人気ヒーローだった兄が地下帝国でヴィランの派遣会社など率先して行ってるのか。  謎はあるが、それでもナハトやノクシャス、モルグがボスのことを慕っているのか、その理由だけは分かった。 「取り敢えず、場所を変えるか。……この日のために予約していた店だ。お前もまだなにも食べてないんだろう?」 「う、うん……俺……」  言い掛けて、腹部からキュルキュルと腹の虫が鳴く。その音は兄にも聞こえていたらしい。目を丸くした兄だったが、すぐに破顔する。 「少し着替えてくる、安生と待っててくれ」 「あ、うん……」  そのままでもいいのに、と思ったが兄も兄なりに色々あるのかもしれない。俺は離れがたい気持ちで兄を見送ろうとするが、つい離れていく兄のコートの裾を掴んでしまう。 「良平……」 「あっ、う……ごめん……なさい……」  けど、手を離してしまったらまたどこかに行ってしまうんじゃないか。そんな恐怖があった。  それでもその恐怖を必死に抑えようとしてると、兄は微笑むのだ。 「……一緒にお前もくるか?」 「え?」 「とはいえ、コートを取ってくるだけだけどな」  その兄の言葉に思わず「うん」と頷きかけた矢先だった。「ボス」と見兼ねた安生が兄を呼ぶ。  呆れるような溜息混じりのその声音、その目から何かを感じたようだ。兄は「わかった、皆まで言うな」と俺から手を離す。  そして、俺の視線に合わせるように軽く腰を曲げてこちらを覗き込んでくるのだ。 「少しここで待ってろ、すぐに待ってるから。いいな? ……大丈夫、もう勝手にいなくなることはない」  幼子に言い聞かせるような言葉だった。それは記憶の中の兄と重なる。  ……そうだ、俺も子供ではないのだ。そうぐっと堪え、わかった、と頷けば兄は偉い偉いと頭を撫でてくれた。そして目尻の涙を指で拭う。それから俺が泣き止んだのを確認して兄は俺と安生を残して別の部屋へと向かった。  それから本当にすぐに兄は戻ってきた。本当に早かった。俺と安生が雑談する暇もなかった。

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