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07
思い出の中と変わらない眩しい笑顔。
まるで、ではなく間違いなく兄は俺のことを子供のままだと思ってるのだろう。「兄さん」と、頬を撫でる兄の手をそっと掴む。
「……兄さん、俺、兄さんたちに甘えっぱなしなのは嫌だ。俺も、俺も兄さんの手伝いしたいよ」
まだ、頼りないかもしれないけど。
そう本心を告げれば、兄は「良平」と呟く。まさか俺がそんなことを言い出すとは思っていなかったのだろう。寂しそうな、複雑そうな色が兄の表情に浮かぶ。
「……手伝いか。でも、お前を連れてきたのは俺の勝手だ。それなのに、お前を働かせるのは……」
「まあまあ、いいではありませんかボス」
渋る兄に声をかけたのは安生だった。安生はこちらへと視線を向け、垂れ目がちなその目を細めて微笑みかけてくる。
「君達はやはり兄弟ですね、よく似てらっしゃる。だからこそ余計お互いを思いやる気持ちが強くなってしまうようだ」
「安生……」
「簡単な雑用くらいならいいんじゃないですか? 貴方がいない間、自分で良ければ面倒くらいは見れますよ。人前に出ずともできることはありますからね」
あなたのように、と安生は兄に目を向けた。その言葉になにも言い返せなくなったようだ。最後まで兄は少し心配そうだったが、「お願い、兄さん」と覗き込めば兄は言葉を飲む。
「兄さん、駄目かな……」
「……良平、俺はお前を守るつもりではいるがいつでも一緒にいれるわけじゃない。もちろん、見張りはつけるけど。……それでもまだ心配で心配でたまらなくなるんだ、分かってくれないか」
「……それは、わかるよ。兄さんの心配も嬉しい、けど……」
「……良平」
「……やっぱり、駄目かな……?」
恐る恐る兄を覗き込めば、兄は徐に俺から視線を反らす。そして、「ああ、もう」と俺の頭を抱き締めるのだ。
「わっ、に、兄さん……?」
「……危険な真似は禁止だ。俺が許可した社員以外の接触も禁止。……仕事内容は事前に全て俺がチェックする。が、基本evilの外へ出ることはないと思ってくれ」
「それでもいいか?」そう、兄は真面目な顔をして尋ねてくる。なにも迷うことなどなかった。
「っ……! うん、ありがとう兄さん……っ!」
兄が許してくれたことが嬉しくて、思わず俺は目の前の兄さんに抱きつきそうになったところで安生の咳払いにはっとした。
……そうだ、二人きりではないのだ。再会したときはつい感極まってしまっていたが。
すす、と兄から離れた俺は安生へと向き直った。
「あ、安生さん……っ! ありがとうございます! あの、改めてお世話になります……っ!」
そうぺこぺこと頭を下げれば、安生は「いえいえ」とへらりといつもの笑顔を浮かべるのだ。
「こちらとしても人手が増えるのはありがたいことですからねえ。これからは同僚としてよろしくお願いしますね、良平君」
「は、はい……っ!」
そう安生にも改めて挨拶をする。
これからどうなるのだろうかと先行きの見えなかった生活に光が差した瞬間だった。
……俺も、兄みたいになれるだろうか。
ヒーローやヴィラン関係なく困った人々に手を差し伸べられる人間に。
食事を終え、俺達は店を後にする。
安心しきったせいか、ついお腹いっぱいに食べてしまった俺は膨らんだ腹を擦る。
兄は今夜は空いてるといっていた、ということは会えなかった間の色んな話を聞くことができるのだろうか。そんな風にわくわくしていたが、evil本社へと戻る途中、兄が不意に立ち止まる。
「……っと、悪い」
どうやら連絡が入ったらしい。そう、断りをいれ通話端末を起動させ兄はその連絡に応じる。
「先に中で待っていましょうか」と安生に声をかけられたときだった。
「なんだって? ……ナハトが?」
兄の口から出たその名前に思わず立ち止まった。
その表情、声色からなんだか胸の奥がざわついた。けれど、相手の声は聞こえない。
「ああ、分かった。……そのまま待機してろ。すぐに様子を探らせる」
なんだ。何かあったのだろうか。
通話はすぐに途切れた。が、次にこちらへと振り返った兄は先程までとは違う――このevilのCEOの顔をしていたのだ。
「兄さん……」
「悪い、急用が入った。……このあとのことは安生、お前に任せてもいいか?」
「ええ、大丈夫ですよ。予定通り良平君は私が責任持って送り届けます」
至っていつもと変わらない様子で笑う安生。通話の雰囲気から薄々察していたが、一緒にいられないことに憂うよりもその通話の内容がひっかかったのだ。
「兄さん、ナハトさんは……」
そう恐る恐る声を掛ければ、兄はいつもと変わらない笑顔を浮かべて俺と目線を合わせるのだ。
「――……大丈夫だ、お前が気にすることはなにもない」
優しく撫でられる頭。安心させるための口上だと分かっていたからこそ、素直にその言葉に身を委ねることは出来なかった。それでも、兄ならば……。
兄と別れたあと、俺は安生に連れられて本社へと戻ってきていた。
夜も深い、それでもヴィランたちは夜行性が多く、昼間とはまた違う賑やかな空気が社員寮に流れていた。
俺達はそんな他の社員たちの目を避けるように裏口から部屋へと戻っていた。
そして、二人きりのエレベーターの中。
「……安生さん、なにかあったんですかね」
「まああったんでしょうが……大丈夫ですよ。なんたってレヴェナント――いえ、ボスが向かうんですから」
「レヴェナント?」
「ボスのこの地下での通名ですよ。……本人はあまり使いたがらないですがね」
レヴェナント――幽鬼か。
何故兄にそんな通名がつくのかあまり想像つかなかったが、俺の立場からしてみれば確かに帰ってきた人ではある。
「そういえば、安生さんもヴィランネーム? とか、通名とかあるんですか? 多分、本名ですよね……?」
「ええ、昔はありましたよ」
「昔?」
「ええ、実は私昔大怪我をしてからは前線からは退いた身なんですよ」
「け、怪我ですか? 今は大丈夫なんですか?」
「ええ、モルグ君も来てくれたことで大分回復はしましたが……それでもやはり他の方々と比べるとですね。それに、どうやら私は事務の方が向いてるみたいなので」
今思えば安生のこと、なにも知らなかった。
聞いたことのない話ばかりに驚いたが、それでも今の安生はどこも怪我人のようには見えない。でも普段草臥れたスーツ着てるからだろうか、確かに安生が前線で戦ってるのは想像できないな。
「そういえば、安生さんの能力とかも俺……想像つかないかもです」
「はは、でしょうね。よく言われるのは、コーヒーを美味しく淹れられる能力……とかですかね」
「はは、それいいですね」
エレベーターが目的のフロアに到着する。安生といると時間があっという間だ。
本来ならば幹部――重役専用フロアになっているその階は他のフロアと違い静かだった。扇動する安生に連れられ、とうとう俺は自室まで戻ってきた。
「安生さん、今夜はありがとうございました」
「いえ、今夜はバタバタでしたからね。……貴方の仕事についてはまた後日話がまとまり次第ご連絡させていただこうかと思います」
「わかりました。……あ」
「どうしましたか?」
「安生さんの昔の通名、聞いてませんでした」
安生は「おやおや、残念。覚えてたんですね」と少し意地悪に笑う。そして玄関の扉の前、立った安生は俺の耳元に唇を寄せた。
「――ニエンテ」
それは、俺にだけ聞こえる声量だった。
一瞬、聞き間違いかとも思った。
「《無》なんて、あのときの私は大分若かったからですね。……恥ずかしいので他の方々には秘密にしててくださいね、良平君」
そう唇に人差し指をつけ、微笑む安生。
確かにほんの一瞬、髪を整えた安生はどこかで見た顔だと思った。それでもまるで、モニター越しで見ていたニエンテと目の前の男は結びつかない。
唖然とする俺を残したまま、安生――ニエンテは「ではよい夢を」と微笑み、扉を閉めた。
一人になったあとも暫く、俺は衝撃の事実に暫くその場から動くことはできなかった。
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