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08
ベッドに潜り、兄のこととか、ナハトのこと、ニエンテのことや今日食べたご飯のことなど色々考えている内に睡魔に襲われる。
その日は久し振りにぐっすり休んだ気がする。
そして翌朝、部屋の中に鳴り響くインターホンに目を覚ました。
「はい……」と眠気眼のまま扉を開けば、そこには安生がいた。昨夜とは違う、普段の草臥れたシャツを着た安生だ。
それでも、安生のもう一つの顔を知ってしまった俺からしてみると今までどおりでいることはできなかった。
「あ、安生さんっ! お、おはようございます……」
「おはようございます、良平君。昨夜は大丈夫でしたか?」
「え? あ、はい……大丈夫でしたけど……何かあったんですか?」
安生の言葉は兄との再会ではなく、別れたその後のことを指してるように聞こえ、気になって尋ねれば「ああ」と安生は笑うのだ。
「もしかして、あの騒ぎの中ぐっすり眠られてたんですか。ボスに似て大物ですね」
「えへへ、そうですか……って、じゃなくて……その、騒ぎって……」
「まあ知らないのなら気にしなくても大丈夫ですよ。もう終わったことですし。それよりも、昨日話した通り一先ず今日の君の仕事を用意させていただきました」
なんだか上手く躱された気もするが、仕事のことも気になったのも事実だ。まさかこんなに早くに話が進むとは思ってもいなかっただけに、こんな寝起きのまま仕事の話をしていいのかと焦ってきた。
「あ、あの、すみません……俺、寝起きで……服とか、着替えた方が……」
「ああ、お気になさらず。それに、急を要するものでもありませんので。……取り敢えず、そのパジャマから着替えてもらいましょうか」
「は、はい……っ!」
というわけで、俺は安生に部屋で待ってもらい、その間にバタバタ支度をすることになる。寝癖を完全に直すことはできなかったが、あのニエンテをこれ以上待たせるわけにはいかない。ソファーで寛いでいた安生の前へと恐る恐る顔を出せば、いつの間に用意したのかコーヒーカップ片手に安生は「用意できましたか」と目を細めた。
「は、はい……それで、その仕事というのは……」
「説明するよりも実際行ってみた方が早いでしょう。ご案内しますよ」
……というわけで、なにがなんだか分からないまま俺は安生に連れられて自室を後にした。
騒ぎのことも気になったが、今は我が身だ。
連れてこられたのは同じフロアにあるとある扉の前だった。丁度その扉が開き、モルグが現れる。
「やあ、モルグ君。おはようございます」
「おはよ〜安生。と、善家君も来てたんだ? もしかしてえ、君もお見舞い?」
「え? お見舞い……?」
「あれ、なにも知らないの?」
「これから説明するところです」
「あはは、僕知らないよお? ま、じゃあ後はよろしくね〜」
そう「またね」と俺に微笑みかけ、モルグはそのまま俺達の横を通り抜けて通路奥へと歩いていく。
お見舞いとはどういうことなのだろうか。モルグの言葉といい不安になり安生を見上げるが、安生は特になにも言うわけではなくそのまま開いた扉から部屋へと上がる。
そこには無機質な空間が広がっていた。
黒を基調としたモノトーンの部屋の中、一人用のベッドの上。物々しい機械に囲まれながら横になっていたその人物は、「お邪魔してますよ」という安生の言葉に身体を起こした。
「……邪魔な自覚あるなら出ていってくれない?」
そこにいたのはナハトだった。仮面も付けていないナハトの顔色は、いつもよりも青く見えた。そして、安生の後ろにいた俺の顔を見て舌打ちをするのだ。
「み、見舞いってもしかして……ナハトさん、どこか怪我でもしたんですか……っ?!」
「してないし、声でかいし。……てか、なに。なんで来たの?」
「ええ、今日一日善家君には君の身の回りの世話をしてもらおうかと思いまして」
「「え」」
俺とナハトの声が重なった。
そして「なんでお前まで驚いてんの」と頬をむにっと引っ張られる。いひゃい。
「まあいいではありませんか。君も一応安静にしておかなければならない身、かといって一人では退屈でしょう」
「……別に余計なお世話だし。そもそも、こんなの怪我の内に入らない」
「どちらにせよ、今日一日は安静にするようにとボスから言われてたはずでは? ……それに、善家君の見張りも兼ねてると思えばいいではありませんか」
「…………」
ナハトはやはり不満を隠そうともしなかった。
そもそも、ナハトが怪我って。昨夜の騒ぎともなにか関係あるのだろうか。一人で内心慌てていると、「顔がうるさい」とナハトに怒られた。理不尽だ……。
「ということで、善家君の今日のお仕事は彼の面倒を見ること。なにかあれば私やモルグ君に連絡してくださいね」
それじゃあ失礼します、と安生は最後までいつもと変わらない調子のまま部屋を後にした。あっという間のことだった。
残された俺はちらりとベッドに横たわるナハトを見る。ナハトはこちらを見ようともしなかった。それどころか、わざと背中を向けるようにごろんと寝返りを打つのだ。ふて寝、などという言葉が脳裏をよぎる。
「な、ナハトさん……そういうことなので、今日一日よろしくお願いします」
「知らない。てか、いらない。あんたの顔見てたら余計むかつくからやだ」
「う、ご、ごめんなさい……」
「……」
「うう……」
どうしよう。けど、仕事と言われた手前このまま勝手に帰るわけにはいかない。
取り敢えずナハトの機嫌をこれ以上損ねないために俺は言葉を探る。
「そ、そういえばナハトさんは朝ごはんは……」
「いらない」
「じゃあ、何か飲み物は……?」
「そういうのもいいから」
……これは、なかなか難儀そうだ。
なんだか受験生の母親になった気持ちだった。
あまりナハトは怪我のことにも触れられたくないようだ。なにか、話題を反らせそうなもの……と辺りを見渡し、そして閃く。
「そうだ、ナハトさん。ナハトさんがいない間俺、あのゲーム少しだけ強くなったんですよ」
対戦しませんか?とその背中に声をかけたとき、もそり、とナハトの身体が動く。
「……そんな大口叩いておいて一戦目で勝てなかったら罰ゲームだから」
起き上がるナハト。なんだか早まった気がしないでもないが、それでも食いついてきてくれたのは素直に嬉しかった。
どうなることかと思ったが、やっぱりナハトさんはナハトさんだ。ただ安堵した。
――それが、十分前の話だ。
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