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なんだか安生の言葉に含みがあるような気がしてならなかった。
「ぬくぬくって……」
「そのままの意に捉えていただいて結構ですよ。我らがボスが望んでいることはただそれだけですので」
「ボスからも言われたのではありませんか」と安生は続ける。
図星を刺されて答えあぐねていると、安生はぱっといつもの笑みを浮かべるのだ。
「君はボスの宝物ですからね、我々としても丁重に扱わせていただくだけです」
ほんの少しでも打ち解けたと思ったが、恐らくそれは俺だけなのかもしれない。
それは明確な壁だった。以前だったらあまり気にならなかっただろうが、安生がニエンテと知ってからその違和感はハッキリと形となって現れる。
ナハトやノクシャス、モルグたちとはまた違う。安生は最初から俺を一人の人間として接していない。
「……わかり、ました」
「ありがとうございます。君には面倒掛けますが、暫くお付き合い願いますね」
「……はい」
ビジネスライクが悪いとは言わないし、不満もない。けれどやはり寂しさを感じないと言えば嘘になる。
それから朝食を済ませるが、途中から何を食べても味がしなかった。安生はというと、手持ち無沙汰にタブレットでなにかを弄っていた。
ああは言ってたものの、やはり安生も忙しいところに来てくれたのだろう。
「あの、俺、ちゃんと今日一日部屋で大人しくしてます。だから、その……」
「どうしたんですか? もしかしてさっきの話気にしてます?」
「いえ、えと……忙しいのかと思って」
「ああ、大丈夫ですよ。これは趣味――いえ、日課のようなものなので」
そう、安生がタブレットを操作すると空中に浮かび上がる大きな映像。
「これは……」
「地上のニュースですよ。見ますか?」
「見ていいんですか?」
「ええ、勿論。地上が恋しくならなければの話ですけど」
そんな試すような物言いについほんの一瞬固まってしまいそうになるが、俺は「わかりました」と首を縦に振る。
そして俺は安生の隣に座り直した。
見慣れた映像、それから次々と切り替わるニュース。『繁華街で起きた暴動事件!』や『英雄党議員ヴィラン組織と癒着か?』など、基本は地上で見ていたものと変わらない。変わったのは俺の視点だろう。
「因みにこの議員はうちのお得意先ですよ」
「え」
「あ、今のはオフレコでよろしくお願いしますね。ボスに始末されてしまうので」
「き、聞かなかったことにします」
「はは、冗談ですよ」
「……」
この人、やっぱりたちが悪いな……。
ニュースというよりも昼のお茶の間番組であるが、VTRの中によく知った顔や社内で見かけたことのあるヴィランもちらほらと映し出される。普段は穏やかな人とかも極悪ヴィランみたいに放送されてるとなんだか変な感じだ。
そんな映像と見出しがいくつか続いたとき、『大型新人ヒーロー大活躍!』という派手なポップアップとともに特集に切り替わる。
今年からヒーロー協会に所属することになった多くのヒーローたちについての特集のようだ。
彼らのここ最近の活躍を纏めたVTRが映し出されたあと、映像はスタジオに切り替わる。そこにはキャスターの合図とともにヒーロー協会の代表者という男が現れた。その男を見た瞬間、ほんの一瞬安生の表情が強張った。
『というわけで、スタジオにはあのヒーロー協会初代会長――|大帝《おおみかど》会長にきていただきました』
『ご紹介お預かりいただきました、大帝誓でございます。日頃から当協会に多大なるご支援、ご鞭撻をいただき誠にありがとうございます』
映し出される男は年齢不詳の柔らかい雰囲気の男だった。この男のことは俺でも知っている。
ヒーロー協会会長、大帝誓。物腰が柔らかく容姿も際立って華やかなためメディア露出も多く、主に主婦層から多大な人気のある人物で――そして、兄さんの元上司に当たる男だ。
『今回はヒーロー協会に所属する精鋭のヒーローたちのご紹介ということで会長自らこのスタジオまで来ていただくことになりました。先程VTRでもあったように今年は特に豊年だそうで』
『ええ、中でもやはり突出しているのは彼――レッド・イル――ああ、僕は彼をイルと呼んでるんですが、彼はとても優秀なヒーローですよ』
そうカメラに向かって微笑む大帝、そのバックの巨大なスクリーンに映し出されるのは先程のVTRでも数多く登場していたヒーローだった。
顔出しや露出の多い他のヒーローたちに比べ、今どきのヒーロー界隈では珍しく顔を赤い仮面で隠したレッド・イル。昔モニターにかじりついて見ていたヒーロー映画に出てくるヒーローのようで、ほんの少し胸が踊ってしまう。
『レッド・イルといえば、先日ヒーロー協会の研究施設に現れたナハトを負傷まで追いやったという?』
そんな中、キャスターの言葉に耳を疑った。
そしてその疑いもすぐに晴らされることとなる。モニターにはそのときのニュースの映像だろう、多くの報道陣の前、レッド・イル筆頭に多数のヒーローとナハトが対峙したときの映像が表示される。
「安生さん、これって……っ!」
「ああ、そうそう。ナハト君の怪我の原因ですね。この後ボスがカメラを壊しに回ったのですが、どうやら漏れがあったようでナハト君の姿が流出してしまったんですよ」
「…………」
何も知らなかった。こんなことがあったなんて。
すぐに動画はノイズとともに切れた。ブレまくった荒い動画でも、こんなにハッキリとナハトの姿が地上波に流れるのは初めてではないだろうか。
特徴的な仮面のことは知っていたし、悪い意味で名を馳せるヴィランでもあるが、ナハトのその主だった任務内容はほとんどが暗殺や侵入、所謂隠密だ。
「連中も新人がうちのナハトに傷を付けることができたと舞い上がってるんですよ」
「これって、大丈夫なんですか……その、ナハトさんは……」
「問題はありません。それに、今回ばかりは危険を伴うものと彼も承知の上です。敵の腹に踏み込むわけですから」
ヒーロー協会の研究施設なんて、それこそヒーローたちの巣窟のようなものだ。そんなところにナハトは単身で忍び込んだのか。
「それに、彼もしっかりと仕事はしてくれました。……『レッド・イル』については想定外でしたが」
「レッド・イル……」
顔も素性も知らないヒーロー。
昔は俺も憧れていた。兄さんもそうだ。売名行為よりも、本当に人助けのために働いてるように見えてかっこよく見えた。
けれど、今はどうだろうか。ナハトを傷付けた敵として自分の目に映ってしまうのだ。
「たまにいるんですよね、湧いて出たように優秀な子が。……貴方のお兄さんもそうでしたよ、良平君」
俺の表情からなにかを察したのだろう、安生はそう微笑む。けれど、俺はその笑顔に上手く返すことができなかった。
「……ヒーローって、正義の味方なんだってずっと思ってました。けど、こうして話を聞いてると……」
「何故君が落ち込んでるんですか?」
「わ……わかりません。けど、なんだか昔みたいにヒーローがかっこいいって思えなくなってしまって」
あんな多勢に無勢、やり過ぎではないか。なんて思ってしまうのだ。そんな俺を見て安生はおかしそうにからからと笑った。愛想笑いではなく、恐らく素の笑い。
「――やはり、兄弟ですね」
「……え?」
「これは失敬。ボスと同じことを仰るもんだから思わず笑いが止まりませんでした」
「兄さんが……」
「ええ、君たち兄弟は甘すぎる。特に君はボスよりも未成熟ときたもんだ。ボスが閉じ込めておきたくなるのも無理もありませんね」
褒められてはいないのだろう。
安生はこちらをじっと見据え、そしてわし、と髪を撫でてくる。
「独り立ちしたいのならばまずはその甘い性格を矯正し、ボスを安心させなければなりませんね」
「きょ、矯正……?」
「ええ、冗談ですよ」
嘘だ、絶対本気だ。もういっぱいコーヒーをお代りしに行く安生の後ろ姿はどことなく楽しそうだ。鼻歌混じりに遠ざかる安生の丸まった背を一瞥し、俺は目の前の映像に再び目を向ける。
その後も大帝によるレッド・イルの能力についての解説やスーツの機能についての話が続いていた。他のヒーローも数名出てきたがそれほど触れられることなく、やはり大半を占めていたのはレッド・イルだろう。おかわりのコーヒーカップを手にして戻ってきた安生はそのままチャンネルを切り替え、また別のニュース番組を見始めた。
――それにしても、レッド・イルか。
ナハトさんにはイルについては触れない方がいいかもしれないな。なんて思いながら俺は、安生が用意してくれたミルクと砂糖たっぷりのコーヒーをいただくことにした。
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