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05
「それで、ナハトさんは……」
「今日から任務復帰してるはずだよぉ」
「え? もうですか?」
大丈夫なんですか、と尋ねればモルグは「大丈夫だよ」とあっけらかんとした態度で即答した。
「寧ろ元気になってるし、あのまま部屋に閉じ込めてた方が多分ストレス抱えるからねえ。ああいうタイプは特に」
「でも、怪我は……」
「まあ死ぬほどじゃないし大丈夫でしょ。それに、その辺はナハトも分かってると思うよ〜。無謀なタイプでもないし、あいつも自分の状態とできることくらい見極める能はあるはずだよ」
言われて納得する。が、心配が完全になくなったわけではない。
「ま、けどあの調子だと根深そうだけどねえ。それにナハトは初めてのしくじりだったから」
「僕からしてみればここまで完璧にこなしてきたナハトも偉いと思うんだけどねえ」とモルグは大きく伸びをし、俺の隣に腰を掛ける。
完璧主義なナハトのことだ、相当プライドが傷付けられたのだろう。少しでも慰めることができれば、と思ったが俺なんかがどうにかできる問題ではないのだ。
「レッド・イル……」
そう、思わずその名前を呟いたとき。モルグの目がこちらへと向いた。
「あれ〜? 善家君、もしかして知ってるの〜?」
「あ……えと、安生さんにニュースで見せてもらったんです」
「ふーん? ……安生がねえ」
そう、なにやら考え込むモルグ。
もしかして俺、余計なこと言ってしまったのだろうか。
「ま、いーや。ナハトのニュース、どこまで知ってるの〜?」
「えと……ヒーロー協会の研究室に忍び込んだって……」
「それだけ?」
姿はカメラに捉えられたが、目的は果たした――そう安生から聞いたが、そのことをモルグに話していいのか一瞬迷った。時折『他の人には秘密ですよ』みたいな調子で話してくる安生だ、どこまで口外していいのか分からず、取り敢えずニュースで見た部分だけモルグに伝える。
「やっぱ結構話題になってんだね〜」
「はい。レッド・イルについては特番になってましたし……」
「そりゃ新商品だもん、油乗ってる内に宣伝してスポンサーつけないとってヒーロー協会も必死なんだよねえ」
「そのせいで、ウチの株は大暴落してんだけど」モルグの何気ない言葉に、ああ、と思った。
外部からの依頼の仲介を主にした会社だ、その稼ぎ頭の失態は大きな影響を及ぼすのだろう。
「ま、でもナハトが珍しくやる気になってるからねえ。レッド・イルに対して絶対に身ぐるみ剥いで無様な姿をカメラに映させてやるって息巻いてたよ〜」
「そ、それは……」
何はともあれナハトが元気そうならいいのかもしれない。
どんな形であれ本人が前向きなのに第三者である俺が憂うのもお角違いだ。モルグの話を聞いてホッとする自分がいた。
「でもライバルってやっぱり大事だよねえ。……ナハトは特に他のやつらに比べて目立つことはなかったから、競争相手が見つかってあんなに炊きつけられるんだもん。ボスたちには悪いけど、僕はいい傾向だと思うよ〜」
「モルグさんって、結構人のこと見てるんですね」
「勿論、それが僕の仕事だからねえ」
ただの生活能力がない人ではないのだ、やはり。
「勿論、君のこともね」と頬を撫でられ、驚く。
「善家君さぁ、ナハトとなにかあったでしょ?」
そして、こちらを覗き込んでくるモルグの言葉に思わず息を飲む。
「ああ、ほら。目が泳いだ。右上を見たのはなにか言い訳を考えてるのかな?」
「べ、別に……いつも通りです……っ」
「声が震えてるよぉ。大丈夫、別に僕は面白おかしく囃し立てるつもりはないしねえ」
「……ッ、……」
ドッドッと心音が速まる。嫌な汗が滲んできた。
どうしよう、ナハトがいない間に下手なことを言ってみろ。本人に知られたら何されるかわからない。顔から火が吹き出そうなほど熱くなる。
「喧嘩でもした?」
「俺の自慰を手伝ってもらったくらいで、その…………えっ?」
「えっ?」
「…………………………」
「えっと……もしかして、えっちしたの?」
叫び声にもならなかった。まさか予想外の答えが返ってきて目を丸くするモルグに、俺はやってしまったと頭を抱えた。
「す、すみません……違います、これは……」
「待って待って、善家君どこに行くのぉ?」
「か、帰ります!」
「君の部屋ここでしょ〜?」
「でも、帰りますっ! お、俺は……モルグさんたちと合わせる顔はありません……っ!」
恥ずかしくて、それとこの失態をナハトに知られたらという恐怖で震えていると、「ぷはっ」とモルグは笑い出した。
「っふ、ふくく……なに、いいじゃん別に。社内恋愛なんて珍しいことでもないでしょ〜? まさか、あのナハトが君とっては驚いたけど」
「れん……あい……?」
「え? 付き合ったとかっていう話じゃなくて?」
「……………………」
「……ワンナイト?」
モルグの口からワンナイトなんて言葉が出てくるのは聞きたくなかった。指摘され、ぐうの音も出ない。ただ顔が熱くなって、モルグの顔を直視できずに顔面を手で覆い隠す。
「い、言わないでください……っ」
「え〜、いいじゃん。僕結構人のそういう話嫌いじゃないよ〜」
「ぜ、絶対面白がってるじゃないですか……っ!」
「違うよ〜。でも善家君はナハトのこと好きなの〜?」
「う、す……好き……ですけど……」
「えっち気持ちよかった〜?」
「も、も、モルグさん……ッ!」
「あはははっ! ごめんごめん〜、君って本当いい反応するよねえ」
腹を抱えて笑うモルグに、なんだか俺はもう生きた心地がしなかった。ソファーの上、膝を抱えてうなだれる俺にモルグは「ごめんねえ」と抱き締めてくる。
「でもさあ、それって脈ありじゃない〜? あのナハトのやつが他人と関わるなんて珍しいからねえ」
「それは……」
「でも分かるよお、君ってなんか不思議な雰囲気あるもん。ヤラせてくれそうだなって」
「モルグさん……っ!」
「もしかしてこれ、ボスに怒られちゃうかな〜?」
「に、兄さんにこんなこと言えませんよ……それに、お、俺はそんな……っ」
人のことをなんだと思っているのだ。あまりにも心外だったのでついムキになってしまったが、正直これまでのあれこれを思い出しては否定できない自分がいるのが歯痒い。
「お、俺は……」
「ん〜? 俺はァ〜? なになに〜聞かせてえ?」
対するモルグは完全に居酒屋の呑みの席のノリだ。それもたちの悪い。
宥めるように肩に回された手に腕を撫でられ、思わずモルグを見上げる。「どうしたのぉ?」と頬を撫で上げられ、ぴくりと体が震えた。
「……も、モルグさん……」
「ん〜〜?」
「な、なんか……変じゃないですか……?」
「なにがぁ?」
「この体勢……あと、この肩の手とか……っ」
何よりも距離が近い。先程までのじゃれついてくる距離感ではないのだ。触れてくる指先には明らかに別の意図が含まれてる。
「善家君とナハトは別に付き合ってないんだよねえ」
「え……まあ……というか、多分ナハトさんはそういうのはないと思いますし……」
「じゃあ僕ともしてみない?」
「は?」
一瞬、耳を疑った。いや、聞き間違いだった方がまだ幾分もましだ。
何を言ってるんだこの人は。
「も、モルグさん……ッ」
「僕、ここ最近全然処理できてなくて溜まってたんだよねえ〜。善家君も性欲強そうだしお尻の穴平気でしょ?」
「な……ッ」
本当に何を言ってるんだ。
手を掴まれ、躊躇なく自分の股間へと持っていくモルグに硬直する。指先に硬くなったモルグのものが触れ、ひっと息を飲んだ。
「や、な、お、おちっ、落ち着いてくださいモルグさんっ!」
「言っておくけど、僕、君よりも落ち着いてる自信はあるんだけどなぁ?」
「こんな駄目です……っ、軽々しく……!」
「もしかしてボスにもえっち禁止されてたりする〜?」
「そ、そんなことはないですけど……ッ!」
「じゃ、善家君は僕のこと嫌い〜?」
「う……っ」
なんだ、なんでこういうときだけちょっと可愛く落ち込んでみせるのだ。思い出せ、今までの怠惰なモルグのことを。
ぐっと傾きかける理性を堪える。そう、今は昼間だ。それに皆が大変なときに、そんな。
「嫌いなのぉ?」
手を握られ、囁かれる。手を握られ、爪先から指の谷間まで絡めるように指を這わされれば呼吸が上がっていく。
意識してはならないと思えば思うほど臍の奥が熱くなり、いつぞやのモルグとの行為が蘇るのだ。
「……き、嫌いなわけ……ないじゃないですか……ッ」
「だよねえ、よかった〜」
「っ、待って、モルグさ……ッ」
伸びてきたモルグの手に、衣類越しに股間を揉まれる。待ってくれ、という俺の声を当たり前のように無視し、そのままモルグは固くなり始めてたそこを指の先で優しく撫でるのだ。そのあまりのもどかしさに呼吸が乱れ、息を飲む。
「せっかく邪魔いないんだし、僕たちも楽しもうよ。あ、ナハトとの不義理とかそんなこと考えなくていいからねえ?」
「君みたいな危なっかしい子をさっさと自分のものにしておかないナハトが悪いんだから」耳朶を舐められ、息を吹きかけられる。甘く優しいモルグの声が、今だけは劇薬のように思えた。
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