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指一本すら動かすことが出来ない倦怠感の中、眼球を動かしてそこで俺は自分が大きなベッドの上に寝かされてることに気付いた。
――やってしまった。
全て夢もしくは記憶違いで済めばよかったのだが、夢ではない。そしてここはノクシャスの自室のベッドだろう。黒いシーツの上、酒の匂いや体液は綺麗さっぱり洗い流されているようだ。ご丁寧に服も着替えさせられているが、サイズからしてノクシャスのものでなないはずだ。もしかしてわざわざ俺に合うサイズを用意してくれたのか。
こんなことしてくれる人、ノクシャスしかいない。が、俺が意識飛ばしてる間にノクシャスになにからなにまでお世話させているとなると、本当にどんな顔をして会えばいいのだ。元より俺が煽ったのが原因なだけに『後処理までありがとうございました』なんて言うのもなんだか、いやでもお礼とか言わないと失礼だしな……。
なんて一人悶々としていたときだった、閉まっていた寝室の扉が開く。そして、そこに現れたのは――。
「おはよぉ〜、善家君。身体の調子はどお?」
「も、モルグさん……っ?! ど、どうしてここに……っ!」
「あ、ここがどこなのかは覚えてるー?」
尋ねられ、「の、ノクシャスさんの部屋……ですよね」と小声で続ければ、モルグは「せいかーい」とぱちぱち拍手してくれる。
「僕呼ばれたんだよねえ、ノクシャスに。せっかく君のふわふわベッドでちょっとお昼寝しよっかなって思ったらノクシャスに起こされてさ、『やりすぎた、白目剥いて動かねえ』ってノクシャス言うからもーびっくりした」
「そ、それは……」
途中から記憶があやふやになっていたと思ったら、なるほど。そんなことになっていたのか。
しかし状況から考えてこれは。
「ま、ただ気持ち良すぎてトんでるだけだから大丈夫大丈夫〜って言ったんだけど、本当ノクシャスって見た目に似合わず変なところ真面目ってか……ふふ、面白いよねえ」
「あ、あの、それで……ノクシャスさんは」
「いるよ、呼んでこようか?」
「いえ、俺もそっちに……」
行くので、と起き上がろうと主に下半身に力を入れようとすれば、モルグにそっと手を取られる。
「薬、まだ効いてるだろうから一人で動くのは危ないよお。ほら、お手をどうぞ」
「ありがとうございます、モルグさん。薬って……」
「流石にノクシャス相手は君の体じゃ負荷が大きすぎるからねえ。寝てる間にちょこっと薬打たせてもらったよ」
「え」
「大丈夫大丈夫、僕天才だから数時間もすれば元の身体に戻るよ。それまでちょっと急に筋肉痙攣したり予期しない動きするかもしれないけど」
「え……?!」
さらっと恐ろしいことを言うモルグに怯えつつ、俺はノクシャスのいるというリビングルームへと向かった。
そして、すぐにその大きな背中を見つける。
「ノクシャスさん」と声をあげれば、ソファーに腰を下ろしてなにかしていたノクシャスは立ち上がり、こちらを振り返った。
「っ、良平……ッ!」
「良かったねえノクシャス、このままボスの可愛い可愛い弟君をヤリ殺しましたってならなくて」
「ぐ、モルグテメェ……っ! ……おい良平、お前寝とかねえで大丈夫なのかよ」
「はい、ちょっとまだ力入らないですけど……その、ノクシャスさんに色々お世話になったのでお礼をしないとって思って……」
「ああっ?」とノクシャスのこめかみがぴくりと震える。怒ってるというよりも理解不能という顔だ。
「あ、あの……色々、汚れてたの綺麗にしてもらったり……服も用意してもらって……」
「チッ、いちいち言わなくても良いんだよんなことは……ッ!」
「ひっ! ご、ごめんなさい……っ!」
「つうか、お前は寧ろ……もう少しだな……」
「……?」
急に大きな声出したと思えば珍しく歯切れが悪くなり、ごにょ、と口籠るノクシャス。そしてノクシャスは「ああ、クソ」と苛ついたように髪を掻きむしった。
「わ……悪かったな、やり過ぎた。お前がクソ雑魚なの忘れてた」
「……っ、の、ノクシャスさん……」
さっきのはモルグの誇張表現ではないのかと思っていただけに、あのノクシャスにこうして面と向かって謝られるとどんな反応をすればいいのかわからなかった。けど間違いなく悪い気持ちではない。ただの怖くて凶暴で死体を並べてメディア陣を前に高笑いするヴィランではないのだ――いや改めて考えたら怖いのでこれ以上深く考えることはやめておく。
「うわ、ノクシャスって謝れるんだー。僕には謝罪はないの〜?」
「なんの謝罪だなんの」
「僕と善家君のえっちは邪魔してキレ散らかしたくせに、そのあと速攻で善家君とえっちしまくった挙げ句僕の仮眠邪魔したしゃ・ざ・い」
「あるわけねえだろ、テメェのは仕事だろうが」
即答である。せっかく朗らかな空気が流れ始めたと思った矢先、早速ギスギスし始める部屋の中。「僕は医者じゃなくて研究者なんだけどなあ〜?」と頬を膨らませるモルグを睨みつけ、ノクシャスは「んなことより」と更に目尻を釣り上げてモルグに詰め寄った。
「テメェ、分かってんだろうな」
「んん? なにがあ? もしかして、ノクシャスが善家君とえっちした挙げ句善家君のお尻の穴ガバガバにしちゃったからわざわざ僕が元に戻してあげたってことをボスに言うなって話?」
「そ……そこまでは言ってねえだろ!」
思わずノクシャスもツッコミを入れていた。
咄嗟に尻を触って確認するが、通りで下半身の感覚が麻痺してるのか。うっすらと恐怖を覚えたが、モルグの腕前を信じることにしよう。
モルグに向き合ったノクシャスは、「言うなよ」と念押し釘刺しをする。
「元々僕は言うつもりはないって〜。てか、別にいいじゃんとも思うけどねえ」
「ね、善家君」とどさくさに紛れてモルグに肩を抱かれそうになるが、ノクシャスがすかさずその手を振り払っていた。
「ちょ、痛いんだけど〜?」
「何が痛いだ、真人間のフリしてんじゃねえよ。……分かってんだろうな」
「分かってる分かってる。本当ノクシャスはボスに対してはヘタレなんだねえ」
「あ゛あ゛?! 誰がヘタレだって?!」
「の、ノクシャスさん落ち着いて……っ! も、モルグさんも……仲良く……っ!」
咄嗟に止めようとすれば、モルグは「あはっ」と楽しげに笑い、そして俺の頭を撫でる。そしていい子いい子と撫でるのだ。
「いやいや、大丈夫だよぉ善家君。びっくりしちゃったねえ、ノクシャスの大きな声に。ほらノクシャスごめんなさいしなきゃ」
「しねえ、つうかテメェ喧嘩売ってんのか?」
「僕は嘘は吐いてないんだけどなあ。いくらボスとはいえ、流石に実弟の性生活まで口出してくると思う?」
「出すだろ。少なくても俺なら相手で反対する顔ぶれだぞ」
「特にテメェだ、モルグ」とびしっとモルグの鼻先へと指を突き付けるノクシャス。指摘されたモルグはというと「え〜」と不服そうだ。
俺は少しだけ意外だった。ノクシャスにも倫理観、いや常識があったのだと。ただモルグとウマが合わないだけかもしれないが。
「ま、大丈夫大丈夫。僕も君も共犯ってことでさ。僕からは口外しないし、でもま、なるときはなるって感じでいこうよ」
「僕もまだ善家君とは仲良くしていきたいしねえ」なんて、こちらを振り返り微笑みかけてくるモルグ。
その言葉に別の意図が含まれてる気がして、「あ」と喉元まで出かかった声を思わず飲み込んだ。顔が熱い。
「あらら照れちゃった〜。鈍感で初心な君でも流石に分かってくれたんだねえ」
「も、モルグさん……」
「おいコラモルグ、人の話聞いてたか?」
「聞いてるよ、でもバレなきゃいいんでしょ〜? ま、僕は僕で好きにさせてもらうからさ。ノクシャスも善家君に無理させない程度に好きにしたらいいじゃん、うち社内恋愛ありだったでしょ?」
「ぐ、な……っ、テメェ何言って……」
開き直るモルグに今度はノクシャスが圧される番だった。そしてすぐ、モルグは羽織っていた白衣から端末を取り出した。
「うわ、医務室から呼び出しきたんだけど〜」
「い、医務室って……」
「また不死傷者多数って。ねえノクシャス、君が単騎で働いた方がよっぽど効率いいんじゃない〜?」
「うるせえ、さっさと行け」
舌打ちするノクシャスに、やれやれとモルグは肩を竦める。それから「それじゃあまたね、善家君」とモルグはノクシャスの部屋を後にした。
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