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 それから営業部署の施設や機材の説明などをそれとなく教えてもらう。殆どは地上にあるものと相違ないので困ることもなさそうだ。  そして一頻り望眼の話を聞き終えたときだった。 「それじゃあ、私は一旦失礼します」 「え、」 「後のことは望眼君にお任せしますね」 「え、ちょ……専務?!」 「……ちょっとした急用が入ったみたいですね、まあ、きっと君たちなら大丈夫ですよ」  なんて言って安生はそのまま踵を返し、営業部署を後にするのだ。  ずっと一緒にいてくれるものだと思ったが、よく考えれば安生は専務だ。暇ではないのだろう。  急用というのが気になったが、今は自分のことだ。  ちらりと望眼を見上げれば、望眼は溜息をつくのだ。 「普通こういうのって下っ端の俺に任せるかなー」 「あはは……」 「ま、いいや。けどやっぱ正直、上の人らいない方が楽っちゃ楽だしな」 「良平、お前も緊張しなくていいからな」なんて望眼は笑うのだ。その軽い態度に親近感が沸く。  もしかしたら望眼も望眼で安生の前だから緊張してたのかもしれない。 「そういや、少し気になることあんだけど聞いていいか?」  なんて思ってると、不意に望眼に尋ねられる。  こそこそと近づいてくる望眼に「なんですか?」と聞き返せば、望眼は俺の耳元に顔を寄せるのだ。  そして誰もいないというのに小声で尋ねてくる。 「お前って……あのナハトさんと仲いいの?」 「……へ?」 「や、だってさっきの食堂で一緒にいたのってあれ、ナハトさんだろ?」 「……あーっ、えと……それは……」 「俺、初めて見たんだよな。オフのナハトさん!」  なんのために声を潜めたのだろうか、興奮したみたいに声が大きくなる望眼に思わず気圧される。  そういえば、と安生の話を思い出した。ナハトは有名人と聞いた。 「普段何してるかわかんねーだろ? それに、専務以外の社員とも会わないし……なに? どういう関係っ?」 「え、いや……その……」  なんと答えてもボロが出てしまいそうだ。  ナハトの不機嫌な顔を思い出す。ここはなるべく波風立てないようにしたい。 「その、俺もあまり知らないんだけど、たまたま安生さんと一緒になって……」  これならどうだ!と考えた末、言葉を絞り出せば望眼は「なんだ、そういうことか」と納得したように頷いた。 「やっぱそうだよな、なんつったって高嶺の花だし。……でもお前、すげえツイてるじゃん。あの人まじですげーから! 仕事人って感じでかっけーよな!」 「あ、はは……」  普段人のベッドを占領してはスナック菓子をぼりぼり食べてるナハトが浮かぶ。  素のナハトを知ってる分、どう反応していいのか分からない。 「……でも、望眼さんって詳しいんですね」 「詳しいってか、ここで生きてりゃ嫌でも情報入ってくるだろ?」 「あーっ、えと、そうですね……確かに……」 「まあ、でも確かに他の人たちにも言われるんだよな。ヴィランマニアってさ」  しまった、と後悔したが、どうやら上手い具合に話を逸らせたようだ。「ヴィランマニア?」と聞き返せば、望眼は少し恥ずかしそうに笑う。 「なあ、お前って特技とか能力とかってあるか?」 「……いえ、特には……」 「そうなのか? ……俺と同じだな」 「望眼さんも?」 「そ。他の奴らはなにかしら秀でてるものあんだけど、俺は特にそういうの無し。だからかな、余計憧れるってか、なんつーか……」  言いながらもどんどん望眼の語気は弱まっていく。それから照れたように咳払いをし、「悪い、新人に向かって何言ってんだろ。俺」と慌てて言い直すのだ。 「なんか恥っず、聞かなかったことにしてくれね?」  そう笑う望眼に、ついいつの日かの自分と重なった。そして俺は我慢できず、つい望眼の手を掴む。 「うおっ、なに?」 「は、恥ずかしいことなんてないです……っ!」 「……え?」 「お、俺も……すごい分かります、望眼さんの気持ち……っ!」  モルグに弱音を吐いたときのことを思い出す。  ヒーローになることに憧れていた。頭の片隅で無理だとわかってても夢諦めきれなかった。そんな自分を肯定してもらえたときの喜びを望眼にも知ってもらいたかった。  けれど、俺はモルグのように言葉が上手いわけでも褒め上手なわけでもなく、ぎゅうっと手を握ることが精一杯だった。 「そ、その……だから、その……えーっと……」  目を開いたまま、望眼はぱちぱちと瞬きをする。  なにか、なにかもっと気の利いたことを言わなければ。そう必死に言葉を探すが、出てこない。  そのまま勢いを失った俺に、今度は今更とんでもなく生意気なことをしてしまったという恥ずかしさと後悔が込み上げてきた。 「……っぶは!」  そんなときだった。目を丸くしていた望眼が吹き出した。 「も、望眼さん……?」 「悪ぃ、笑って……お前なりに俺のこと元気づけようとしてくれたんだよな?」  ありがとな、と望眼に頭を撫でられる。大きな手に思わず目を細めた。 「ご、ごめんなさい、何も知らないくせに生意気なことを言ってしまって」 「いいよいいよ、つかすげー嬉しいし。……反面、情けねえな俺」 「望眼さん……」 「大丈夫、心配すんなって。確かに俺はなんもねーけど今の仕事向いてるって思ってるし? ……おまけに、ようやっと可愛い後輩もできたんだしな」  わしわしと犬みたいに頭を撫でられ、「わ、わ」となる俺に望眼はいたずらっ子のように笑った。そして手を離す。 「専務の眼は流石だな。……お前って、人を癒やす力でもあんのかもな」 「そ、それは流石に言いすぎです」 「はは、謙遜すんなって! けど、ありがとな」 「……」  なんとなくだけど、望眼の手が離れていくほんの一瞬その視線が気になった。笑っているのに、まるで笑っていないようなそんな気がしたのだ。  明るくて爽やかだけど、やっぱり何かしらあるのだろうか。何も知らない、知り合って間もない俺があまり口出しするのはよくないのかもしれない。  そんなことを悶々と考えながら、俺は「いえ」とだけ応えた。

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