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08
「サディークさん、今日はわざわざ来ていただいてありがとうございます! えと……」
しまった。あれだけ練習したにも関わらず、本人を前にすると全部吹っ飛んでしまった。
「えと、その……至らぬ所があるかもしれませんが、精一杯頑張りますので今後ともよろしくお願いします!」
取り敢えず挨拶は大事だ。そう慌てて頭を下げれば、サディークはぎょっとする。
そして辺りをキョロキョロと見回し、それから「君、声でかすぎない?」と小声で突っ込んでくる。先程のサディークには負けると思うが、なかなかの声が出てたらしい。はっとし、すみませんすみませんと頭を下げた。
「てか、……なんだ。もしかして君、新入社員?」
そして、サディークは俺の態度を見るなり先程までのおどおどとした態度とは打って変わって砕けた態度になるのだ。
「あ、はい。ですが気持ちでは負けませんので……」
「あー、わかった。良いからそう言うの。……けどよかった、どんなおっかないの来るかと思ったら全然『普通』ので」
「う……」
打ち解けた証……なのか?
なんとなくサディークの言葉の端々が鋭く感じるが、サディークは悪意があるようには見えない。眉尻を垂れさせたまま、どこか眠たげな眼をこちらへと向ける。
「……取り敢えず、お腹減っどっか入らない?」
「あ、食事ですね。お付き合いします!」
「……まあ、そういうこと」
じゃあ行こうか、とサディークはスタスタと先を歩いていく。背の高い、猫のように丸まった背中を見失うことはなかったが、置いていかれそうだ。俺は小走りでサディークの後ろについていく。
ロビーを抜けて、社員用の喫茶店に入る。
どこか退廃的な雰囲気の落ち着いた店内にいる客層はサディークのようなタイプの社員たちが多くを占めていた。
狭くはない店内の奥、サディークは一番隅の角にあった四人用掛けのボックス席に座る。
二人だけなのに使っちゃって良いのだろうかと気になったが、店員もなにも言わないし店内もそれほど混んでるわけではない。なんだか悪いことをしてるような気持ちを抱えつつ、俺はサディークの向かい側に腰を掛けた。
「……それで、良平君が俺の担当になるってこと?」
「はい、そういうことになりました」
「……まあ別にいいけど。君も大変だね、俺みたいなの押し付けられて」
「……え?」
「……」
運ばれてきたジュースを受け取る。サディークはなにやら黒い液体の入ったカップに口をつけるのだ。
「それで、具体的にどうしたらいいの?」
「あ、そうですね……定期的に連絡を取ったり、なにか仕事に対しての不安等がある場合はその、俺に言っていただければ環境改善できるように努めさせて……」
「……不安」
「はい、どんな些細なこととかでも聞きますのでどんどん言ってくださいね!」
……と、口にしてからハッとした。しまった、あまり強引に行くべきではないのかもしれない。
ずっとカップにストロー挿してブクブクと泡を吹いていたサディークはこちらを見ようともせず、譫言のように「不安」と繰り返すのだ。
「サディークさん……」
「……」
もしかしたらこの顔色の悪さも滲み出る不健康そうな容貌も、本当になにか大きな悩みを抱えてる証拠なのかもしれない。
そう思うと胸の奥がざわついた。
しかし初対面、しかもついさっき出会ったばかりの人間が踏み込んでいいのかという疑問が過る。
そうだ、望眼が言っていた。グイグイ行き過ぎると引いてしまうようなタイプには、自分から話しやすくなるように雰囲気を作るのだと。
……雰囲気ってどうやって作るんだ。
とにかく、別の話題を変えてみよう。
「サディークさん、そういえば今日はお仕事帰りだったんですか?」
「……は? いや、別に。散歩してただけ」
「お散歩好きなんですね、俺もよくお散歩してました! 夕方とかが一番……」
空気が良くて、と言いかけたときだった。「夕方?」とサディークが片眉を釣り上げた。
しまった、この地下世界には夕方という概念が存在しなかったのだ。これでは元々地上暮らしだとバレてしまう。
「ち、地上に出る用帰りに夕日を浴びるのが特に気持ちいいんですよねっ!」
「……え、君もヴィランだったわけ?」
「え、あ……ま、まあ……」
「それなのに今は裏方に回ってんの? なんで?」
「え、えと……成り行きで……」
まずい、誤魔化そうとすればするほどボロが出てしまう。全身に冷や汗が滲む。しかし、サディークは疑っているわけではないようだ。
「あーそういうこと。君も落ちこぼれか。……ま、無理もないか。ただでさえ指名率が大事な人気商売だからな」
……なんとか誤魔化せたようだ。
けれど、サディークの口から出た言葉に少し引っかかった。
「君もっていうことは……」
「……なんだ、君、営業部なのに俺のことなにも調べなかったの? ここ最近の活動記録見た?」
「あ、はい……一応見させいただきました」
「ならわかるだろ。俺、ここ最近はなんもやってないんだよ。実質無職」
「……それなのに、追い出すどころか営業部けしかけてくるんだもん。本当余計なお世話だわ」口の中で呟きながらサディークは髪を掻き上げた。
貴陸さんはサディークのことを俺にお誂向きと言っていたが本当にそうなのか。
ソファーに深く凭れかかり、沈んでいく男を前に俺は早速試されている気がしてならなかった。
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