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 ――本社・営業部前。  相変わらず人気のない通路を抜け、営業部の前までやってきた俺は扉を背にナハトを振り返る。 「それじゃあ、ここまでで大丈夫です」 「……ん」 「あの、ナハトさんありがとうございました。ここまで送ってくださって……」 「いいから、さっさと行けよ」  そう、しっしと手を払うナハト。どうやら俺が部屋の中に入るまで見るつもりのようだ。  いい加減でやる気のないように見えて、こういうところはきちんとしているのがナハトらしいというか、なんというか。  もしかして照れてるのだろうか、と思いながらも俺はもう一度「ありがとうございました」とぺこりと頭を下げて自動で開く扉をくぐる。  そして背後を振り返れば、ガラス張りの扉の向こうでナハトがこちらを見ていることに気付いた。  それからナハトはふい、と顔を背けて来た道を戻っていく。  ナハトと別れ、自分のデスクへと向かおうとして部屋の奥から現れた望眼と鉢合わせになった。  まさか望眼がもう出社しているとは。気配がなかったので気づかなかった。俺は慌てて「おはようございます」と頭をさげる。  が、 「……あ、ああ、おはよう」  なんだか望眼の反応はぎこちなかった。  俺と目を合わせようともせず、そわそわと落ち着かない様子で扉の方をちらりと見た望眼。どうかしたのだろうか、と望眼と扉の方を交互に目を向けたとき。不意に視線がぶつかった。  そして、望眼はゆっくりと口を開くのだ。 「――お前、ナハトと知り合いなのか?」  予想してなかった望眼の言葉に、「え?」と思わずアホな声が出てしまった。  どうやらナハトと一緒にいたところを見られてしまっていたようだ。固まっていると、ずい、と更に望眼が迫ってくる。 「今のナハト、だよな。何話してたんだ?」 「え、あの……望目さん……?」 「本社の方でも珍しいのにこんなところにまで来るなんて、しかもなんか親しそうじゃなかったか?」 「あ、えっと……」  捲し立てられ、言葉を返す隙もなかった。  そして呆気に取られていると、望眼はハッとしたように目を開く。それから慌てて俺から離れた。 「……っ、と、悪い……その、ずっと憧れてたんだよ、実は……ナハトに」 「あ、そういうことだったんですね」  なるほど、確かに俺も元兄の同僚の有名ヒーローを前にしたときにガチガチに緊張してしまったこともある。そういうことなのだろうか、と納得しながらも「大丈夫ですよ」と慌ててフォローした。 「ナハトさんとは、その……色々あってお話する機会がありまして……」 「まじかよ、すげえな。あのナハトと?」 「ま、まあ……」  誇らしい気持ち半々、兄との関係を悟られないようにするのが精一杯だった。でも、悪い気はしなかった。心臓にはちょっと悪いけども。 「昨日のヒーロー襲撃で上層部全員駆り出されてんのかと思ったけど、ナハトは残ってたんだな」 「え、」  これはもしかして『ナハトがヒーロー襲撃よりも俺を優先させてる?』疑惑が浮上するのでは、とひやりとしたが杞憂だった。 「やべ、まさかここでナハト見かけるとは思わなかったからサインしてもらうの忘れてた……」とすぐに別のことで落ち込む望眼にほっとしつつ、俺も出勤して自分のデスクへと向かうことにした。 「そういや、あの後サディークとはどうだった?」  椅子に腰を下ろしたまま、そのままキャスターを転がしながらやってくる望眼。その言葉に、思わず「あ」と声が漏れた。  昨夜ナハトに言われてから今の今までサディークのことを忘れていた。返信、放置したままだったと慌ててタブレットを取り出す俺に「どした?なにかあったのか?」と望眼も心配そうに覗き込んでくる。 「あ、いえ……お話は結構いい感じにできたと思うんですけど……その、肝心のお返事するのを忘れてしまっていて」 「ああなんだ、そういうことか。それくらいよくあるよくある。ま、無視しなけりゃ大丈夫だろ。よっぽど取り扱い禁止物件じゃなけりゃあ」 「う……一応謝罪文もつけておきます」 「はは、そんな気にすんなって。真面目だな、良平は」  真面目……なのだろうか?  取り敢えずサディークに急いで返信することにした。  驚くことにサディークからはすぐに返信が返ってくる。他愛無い内容に混ざって、今日どこかの時間で会えないかという誘いの一文も添えられていた。  丁度いい機会だ、俺はそれを承諾する旨を返す。  それにしてもサディークさん、返信早いな。なんて考えてる内に再びサディークから返信が来る。そして、サディークと昼飯の約束を取り付けることになったのだが。 「サディークから返事があったのか?」 「はい、昼食を一緒に取ることになりまして……」 「へえ、随分と仲良くなったんだな。写真見た限り、そんな社交性があるようには見えなかったけど」 「ちょ……望眼さん、言いすぎですよ。それに、確かに少し気難しそうな方でしたけど悩んでいるように見えましたので……」 「なるほどな、それに気付けるってのはすごいぞ良平」 「えへへ、そうですかね……」 「けど、親身になりすぎるのもほどほどにな」 「お前、優しいから余計心配になるんだよな」そう言ってキャスター転がしながら自分のデスクへと戻る望眼。  どう反応したらいいのだろうか、褒められることが嬉しい反面そんなに自分は危なっかしいのだろうかと不安になってくる。 「でもま、初回早々一緒に行けなかったから心配してたんだけど余計なお世話だったかもしれないな」 「い、いえそんなことは……でも、望眼さんには色々教えていただいていたのでなんとかなりました」 「そうか? ならよかった、俺もいい後輩に恵まれたな」  たはは、と照れたように望眼は髪を掻き上げる。  お世辞などではなかった。それに、今回は初回でサディークを宛がってくれた貴陸のお陰であるだろう。 「……と、そういえば貴陸さんはまだ出勤してないみたいですね」 「あー、よくあるんだよ。あの人基本重役出勤だし、他のやつらも日が暮れてから来る連中もいるからな」 「そうですか……あの、俺なにをしたら……」 「あーそうだったな、基本は複数人担当いるからそれぞれに連絡したりがあるんだが、まだお前は一人だから……そうだ、じゃあ今日は俺の担当回りについてきてもらおうかな。午前中に一件だけ予定入ってるから、多分約束の時間までには済むだろ」 「はい、わかりました!」  というわけで、サディークとの約束の時間まで俺は望眼と一緒に仕事することになる。  とはいえ、邪魔にならないように置物になりつつも望眼と担当社員のやり取りを見るのが主になったのだが、俺は自分が相当優しい部類の派遣社員を担当にしてもらってると知った。  そしてなかなかアクの強い望眼の担当社員と望眼の攻防戦をはらはらと見守ってる間に時間はあっという間に過ぎるのだ。  望眼の担当社員との会合を終え、一旦俺たちは営業部へと戻ってきていた。 「ふう……今回は大分素直だったな」 「え? あれで素直なんですか? 途中掴みかかられたときは警備員さん呼ぼうか迷ったんですけど……」 「ああ、大丈夫大丈夫。あれはまだ全然いい方。中には出会い頭にぶん殴られる社員もいたらしいからな」 「え……?!」 「ま、今では警備部が大きくなったお陰で大分社内の治安も良くなった方だけどな」 「ぶ、ぶん殴られ……」 「おーっと、そんなにビビんなって。ついでにいうとあれも愛情表情ってか、仲良くなった証みたいなやつだから」 「そ、そうなんですか……」  そういう性質なのだろうか、ヴィランの人たちっていうのは。  けど怒らせないように気をつけないとな。改めて俺はひっそりと決意する。 「そういや、もうそろそろサディークとの予定なんだろ? 俺もついていこうか?」  そう聞いてくる望眼に俺は「大丈夫です」と返す。サディークの性格からして、あまり人好きする性格のようではないみたいだし、ここは前回同様一人で会った方が無難だろう。 「そうか? けど、なんかあったらすぐ連絡よこせよ。俺も今から昼休憩入るから」 「はい、ありがとうございます」 「おう」  というわけで、望眼に改めて挨拶した俺はサディークとの約束である本社ロビーへと向かうことにした。

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