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 紅音朱子(くおんあかね)は、俺の親友だった。  過去形になっているのは、中学卒業してからぱたりと疎遠になったからだ。  俺よりも優秀で、有望なヒーローを期待された紅音君は国内でも有名なヒーロー育成高校へと入学した。それから、今の今まで紅音の話を聞くことすらなかった。 「……っぐ、ぅ」 「この怪我……」 「うっわ、ひでえな……善家、大丈夫なのか?」 「簡単な手当くらいでしたら、俺も習っていたので……けど、これは……」  絆創膏と傷薬だけでなんとかなる怪我ではない。  目を背けたかったが、目の前で苦しんでる人がいるのに日和っている場合ではない。 「……善家、俺のことは気にしなくていいから」 「駄目だよ。……ちょっと待ってて、俺の知り合いに医療に詳しい人がいるから」  そう咄嗟に俺は会社から支給されたタブレットでモルグに連絡する。すると、モルグは丁度休憩中だったようだ。ダウンタウンまで来てほしいと伝えれば、『すぐ行くね』と速攻返事がきた。  そして数分後、本当にすぐにモルグはやってきた。 「やほ~、善家君。怪我人ってその子?」 「え、も、モルグ……っ?」  いつもの白衣ではなく、完全プライベートな私服姿で現れたモルグ。そんなモルグを見て、サディークは呆れたような顔をした。  やはりモルグもモルグで有名人なようだ、モルグはサディークをちらりともせずそのまま真っすぐ、俺の側にいた紅音に目を向ける。 「モルグさん、お忙しいところすみませんいきなり。彼の怪我、見てもらっていいですか。応急処置じゃ間に合いそうになくて……」 「……ん~、そうだね。君の頼みだったらお安い御用だよ」  言いながら、紅音の側までやってきたモルグはそのまま座り込む。 「でも、君はいいの?」  そして、紅音を覗き込んだままモルグは問いかける。一瞬、その言葉の意味が分からなかった。  血の気の失せた紅音の顔がほんの一瞬強張ったが、モルグは紅音の返事を待つよりも先に「あ、無理して話さなくていいよ」と言葉を遮る。 「僕としては丁度よかったしね」  そう口にした瞬間、モルグの腕が変形するの見た。まるでサイボーグかなにかのように機械が現れ、「え」と固まった次の瞬間、そのままモルグは手を紅音の腹部の傷に押し当てた。  矢先、なにかが焼けるような嫌な音がしたと思えばまばたきをした次の瞬間には紅音の腹部の傷は塞がっていた。 「す、すげえ」と感嘆の声を漏らすサディークと同様、俺もなにが起きたのかよく分かっていなかった。 「臓器まで傷ついてなくてよかったねえ、君。ぐちゃぐちゃになってたら、流石に中身入れ替えなきゃいけなかったんだけど、流石だね。こんなに鋼みたいな皮膚見たの初めてだよ」  先程までの機械のような部品は音もなく腕の中に収まっていくのを見て、俺は目を疑った。ノクシャスはモルグのことを改造マニアだとか変態改造野郎と言っていたが、まさか自身の体まで改造してるのか。  目を白黒させていると、モルグから「血拭きなよ」と投げられた手ぬぐいを受け取った紅音は腹部を汚していた赤黒い血を拭っていく。血を拭えば、そこには傷跡すら残っていない腹部が現れる。まるで、本当に最初から傷を負っていないかのような皮膚に驚いた。 「……喪黒」  そして、モルグを睨んだままそうぽつりと口にする紅音にモルグはにっこりと笑った。 「違うよ、僕はモルグ」 「間違えないようにね、紅音君」そう微笑むモルグに紅音は複雑そうな顔をする。 「モルグさん、ありがとうございます。紅音君はもう……」 「ん~そだね、一応傷は塞いだけどそういうのは本人に聞いてみたらいいんじゃないかな?」  モルグに言われ、確かにそれはそうだと紅音の元に駆け寄る。 「紅音君、大丈夫?」 「善家、あの男は……」 「あの人は俺の職場の……その、上司? みたいな人で……」 「……職場って、お前……」  紅音がなにを言おうとしているのか、俺にはわかった。けれど、きっとそれはお互い様ではないのだろうか。  そう、「紅音君」とその言葉を止めたとき。紅音の手に腕を掴まれた。 「え」と顔を上げたとき、すぐ側にあった紅音の顔に驚く。 「……帰るぞ、善家」 「待って、紅音君何言って……」 「お前はここに居ていいやつじゃない」  そう、体を抱き締められそうになったときだった。突然、紅音の体が強張った。そして、腹部を抑えたまま紅音は俺の肩越しにモルグを睨む。 「……っ、お前、何を」 「あーあ、駄目だよ君。帰るんだったら、せめて一人で帰ってもらわないと困るなあ~」 「せっかく暫く泳がせてやろうと思ったのに、秒で恩を仇で返すんだもん。若い子って薄情だよねえ」びっくりしちゃった、と笑いながらそのまま膝をつく紅音を掴んだモルグ。 「悪いけど、善家君に手を出すのは看過できないよ」 「ま、待ってください! モルグさ……」 「ってことで予定変更~」  そうモルグはぱちんと指を鳴らしたと同時に、黒い拘束具が現れ紅音を捉える。それを躱そうとする紅音だったが、先程と同じように急に紅音の動きが鈍くなる。そして、呆気なく捕らえられた紅音は、騒ぎを聞きつけたのかどこからともなく現れた黒服たちに周囲を囲まれた。 「レッド・イル、確保」  そして、モルグが口にしたと同時に視界が眩む。  ――待って、今なんて言ったんだ。まさか、紅音君がレッド・イルだって?  あまりの眩さに目が潰れないよう慌てて顔を腕で覆う。それからようやく視界が慣れてきたと思ったとき、晴れた視界の先に紅音の姿はなかった。  数名の黒服の姿もなくなっているようだ。ようやく静けさの戻った裏路地、コンクリを背に「もう大丈夫だよ」とモルグは笑いかけてきた。 「……っ、モルグさん、紅音君は……」 「ああ、本社に転移しておいたから多分丁重に扱ってもらえてると思うよ~」 「そ、そうじゃなくて、レッド・イルって今……」  聞き間違いじゃないのか、とモルグに詰めよれば、「まあまあ落ち着いて」とモルグによしよしと頭を撫でられる。そして、モルグはどこからともなく取り出した飴玉を咥えるのだ。 「というか、善家君本当に気付かなかったんだねえ。あの傷、大分ダメージは緩和されてはいたけどノクシャスに殴られたときの傷付き方だったし一目瞭然だったよ~」 「……っ、……そ、んな」 「あは、大丈夫大丈夫。そんなに酷い目には合わせられないって。――寧ろ、貴重なデータだからね」  そう笑うモルグ。その笑顔は普段俺に見せているものとは違って見えた。  とはいえど、レッド・イルは捜索隊まで作られていた指名手配犯みたいなものだ。  これからのことを考えると胸の奥がざわざわと不安になって、いても立っても居られなかった。 「す、すみませんサディークさん、俺……会社に戻ります……っ!」 「あ、おい、一人じゃ危ねえって! 帰り道わかんねえだろ!」 「あ、そうでした……」 「あは、本当にかわいいよねえ善家君。……じゃ、まあいいや。僕の転送装置使わせてあげるよ」 「え……」  転送装置って、と言いかけた矢先だった。いきなり路地裏が青白い光に照らされる。先程よりも光度はないものの、それでも身構えて目を拵えると視線の先、モルグの隣の空間に青白い扉が浮かび上がる。 「これって、昔テレビで見たことある……ッ!」 「ま~~細かいことは置いといて、ほら通って通って。ほら、ついでにそこの君も大量出血サービス」 「お、わ、おい、押すな……っ!」  そう言って俺とサディークを扉へと詰め込むモルグ。せめてもう少し優しく押してください、と言いかけた矢先、扉へと一歩踏み込めば、そこには見覚えのある空間へと繋がっていた。  ――汎ゆる試作品のコスチュームが並んだそこは確かモルグの研究室だ。 「っ、うわわ、わ、」  扉を抜けた先、足元に置かれた謎の器具に躓きそうになったところを「大丈夫か」とサディークに抱えられる。 「す、すみません……ありがとうございます」 「って、ここ……」 「僕の趣味の部屋だよ~」  そして、最後に扉を潜り抜けてきたモルグは壁に浮き上がった青白い扉に触れる。瞬間、光の扉は霧散するように消えた。  研究室が趣味の部屋扱いされていることはともかくだ、初めての体験に俺はまだ心臓がドキドキしていた。  転送装置なんて、初めて使った……。  なんて呆けていた俺だったが、はっとする。 「そ、そうだ、紅音君は……」 「ん~? 大丈夫大丈夫、」 「も、モルグさん……」 「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。うちのボスは鬼じゃないからねえ」  ……そうだ、兄さんなら。  そのモルグの言葉にようやくほっと体の力が抜けた。  兄さんならば、きっと紅音の気持ちも汲み取ってくれるだろう。  それにしても、色々起きたおかげで今更どっと疲れが出てきた。 「取り敢えず、少し休んでいきなよ。飲み物くらいならうちにも置いてあるはずだから」  そう、ソファーに脱ぎ捨てられていた白衣を羽織ったモルグは俺たちに笑いかけるのだ。  その言葉は素直にありがたかった。俺とサディークはお言葉に甘えることにした。

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