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 それから、俺とサディークは研究室で待たせてもらうことになったのだけれども。  モルグはああ言っていたが、レッド・イルと言えばここ最近社内を騒がせていた人物だ。  どうして紅音が、と思ったが、正直納得する気持ちもあった。  紅音は学生時代から将来有望と言われていた優秀な生徒だった。  そんな彼と仲良くなったのは兄の存在があったからだ。紅音が、兄――イビルイーターのファンだということをきっかけに交友が始まった。 「……」 「……ねえ」 「…………」 「ねえ、良平君」 「……え?!」  耳元で名前を呼ばれ、ハッとする。  顔を上げればサディークが困惑した顔でこちらを見ていた。その手元には二人分のグラスが置かれている、中身はお茶だろうか。もしかしたら俺が考え事をしてる間にモルグが用意してくれたのかもしれない。 「大丈夫? ……さっきからずっと変だよ」 「あ、ああ……すみません。少し考え事してて」 「……レッド・イルのことか?」  ここまで気付かれてるのならばわざわざ隠す必要もない気がして、「はい」と頷き返す。 「俺も、君は聞きたいことがあるんだ。……君、レッド・イルと知り合いってどういう関係なんだ? あいつ、最近出てきたやつだよな」 「……あ」  聞き返され、しまった。と後悔する。  そうだ、そういうことになっていた。 「それも、昔の知り合いみたいな感じだったけど」とサディークに追い打ちをかけられれば、更に頭がぐるぐると回り出す。  し、しまった。これでは俺が元々地上の人間だとバレてしまう。……いや、バレてもいいのか?どうすればいい?  そう「えーと、そのですね……」としどろもどろ言葉を探っていたときだった。 「ヒーローもヴィランも色々あるんだよ、えーと……サディーク君だったよね。僕だってヒーローの友達くらいいたしね」  なんて言いながら俺の隣に腰をかけてくるのはモルグだ。自分用のコーヒーを用意してきたらしい、愛らしいマグカップ片手にソファーに座るモルグはサディークに笑いかける。 「アンタは……確か元々地上の人間だって聞いたことがある」 「え? そうなんですか?」  それは初耳だった。モルグが地上で暮らしていたってことは知らなかった。 「そーそー、ヒーロー協会の研究施設で働いてたんだけどあそこ束縛激しいしつまんなくなってさー抜け出してきちゃった」 「え、ひ、ヒーロー協会?!」 「あは、本当に何も知らないんだねえ良平君。……でもま、君がまだちっさいときの話だろうから仕方ないかな?」  なんて言いながら笑うモルグ。  そういえば、紅音がモルグのこと別の名前で呼んでいたことを思い出す。 「い、良いんですか? そのこと、俺が聞いても……」 「あー別にいいよ、俺は隠してないし。それに知ってる人は知ってるって感じだしねえ」 「まあ……モルグは地下じゃ有名人だしね、良くも悪くも」  ぼそっと吐き捨てるサディークに、「君、言うねえ」とモルグは楽しそうに笑う。  モルグが元々地上で住んでいたなんて……っていうかじゃあ何歳だ?俺が子供のときに既に研究施設に働いていたってことは……と考え出して余計知恵熱が出そうになった。  ヴィランの人たちは見た目と年齢が噛み合わない人が多い――兄も例外ではないが。 「それより、少しは落ち着いた?」 「……へ?」 「デート中に災難だったねえ、これからどうするの?」 「デ……ッ」  そういえばこれからのこと考えてなかったな、とぼんやり考える俺の横、サディークがお茶を吹き出していた。 「で、デートじゃない……ッ!」 「えー、デートじゃなかったんだ? ふーん、じゃあただのお出かけ?」 「モルグさん、サディークさんは俺の担当の方で今回はお食事に付き合ってもらったんです」 「へー、ほ~~ん。なるほどねえ」  ニヤニヤと笑いながら俺を挟んでサディークの方をじっと見るモルグ。対するサディークは何やら顔色が悪い。いや元より悪いが。 「善家君って結構タラシだよねえ」 「……え?! お、俺がですか……?」 「君以外いないでしょ」  なんだか誂われてる気がする。  落ち着かなくなりソワソワしてると、どうやらモルグの端末に連絡が入ったようだ。「あ、ちょっとごめんねえ」と席を立ったモルグは「はいは~い」と言いながら研究室の奥の扉へと向かっていく。  そして再び俺はサディークと二人きりになったのだけれども……。 「アンタ、モルグとどういう関係なんだよ。しかも善家って……」  なんだかどんどんサディークの俺に対する心象が悪くなっている気がする。  向けられる目になんだか疑いの色を感じ、俺は内心冷や汗だらだらになっていた。  どうしよう、どうすれば穏便に怪しまれずに済むのだろうか。とはいえ変に取り繕ってもおかしな気がするし、そもそもヴィランたちの一般常識が分からない今下手なこと言ってしまえば墓穴に成りかねないわけで。 「あ、えと……善家ってのは俺の名字です。その、モルグさんには色々お世話になってて……」 「アンタ、あのノクシャスとも知り合いだったよな。……本当にただの営業部か?」 「た、ただの営業部です! 本当、右も左も分からない新人で……お二人にはその、たまたま、偶然お世話になってるというか……」  駄目だ、何を言ってもサディークの疑いの眼差しが痛い。 「さ、サディークさん……」 「わ、分かったから! 分かったからその目やめろ……っ!」  俺は本当にただの一般社員なんです、と目で訴えかければどうやら伝わったらしい。  慌てて俺の肩を掴んで引き剥がしてくるサディーク。その長い前髪の下で目は忙しなく動いていた。  ――動揺してる? 「サディークさん、あの……」 「まあ、たまにいるしな。本人は普通のくせに人脈だけは謎に濃いやつ……」  確かにサディークの立場からしてみれば俺の何者だ感は拭えないだろう。それでもサディークが信用してくれるだけでも嬉しい。  ありがとうございます、と頭を下げれば、サディークは「変なやつ」とばつが悪そうに口にするのだ。 「ここまできたら、俺、また疑われてんのかと思ったんだけど……そうだよな、それならもっと向いてるやつがいるか」  ――疑われる?  サディークの言葉に引っかかったときだった。奥の扉が開き、モルグが戻ってきた。 「レッド・イル君の尋問今から始まるんだって。開放されるのは結構後になるかもねえ」  一緒に持っていっていたらしいコーヒーカップに口をつけながら、モルグは「よっこらせ」と俺の隣に腰を下ろす。 「一応俺は念の為にここで待機なんだけど、君たちはどうする? デートに戻るの?」  尋問という響きからしてなんとなく嫌なものを覚えたが、やはり気にならないといえば嘘になる。 「だからデートじゃねえですって」と半ばヤケクソに返すサディークの横、俺は少し考え込んだ。 「……俺も、ここで待ってていいですか?」  そうモルグに尋ねれば、モルグはそのまま流し目を向けてくる。 「いつ開放されるかも分かんないんだよ?」 「それでも……その、紅音君と話したいことがあって」 「……そっかあ、お友達って言ってたもんね。そりゃ心配だよねえ」  よしよし、と頭を撫でてくるモルグの手は優しい。ぎょっとした顔でそんな俺とモルグを見ていたサディークだったが、モルグに「君はぁ?」と尋ねられれば慌てて目を逸らす。 「お、俺は……どうせ暇だし……」 「確かに暇そうだよねえ」 「確かには言い過ぎだろ……っ!」 「じゃ、二人ともここで時間潰すってことね。りょーかーい」  言いながら、端末を取り出したモルグはどこかへと連絡を送っていた。それもすぐ終わり、白衣へ端末を仕舞い込んだモルグはにこりと俺たちを見て微笑むのだ。 「じゃあ丁度良かった。僕さあ、君に興味あるんだよねえ、サディーク君」  言いながら立ち上がるモルグ。何を言い出すのか、なんだかその笑顔に嫌なものを覚えて「モルグさん?!」と慌ててサディークとモルグの間に入れば「あー違う違う、変な意味じゃないよぉ」と慌ててフォローを入れてくる。 「サディーク君のその自信のなさといい身体機能といいカスタムしてないんでしょ~? ねえ、興味ない? 僕だったらもっと君の長所を引き伸ばせると思うんだけどなあ」 「え、な」 「せっかくパーツは良いんだから取り敢えず腕を入れ替えて、あと君に向いてそうな特殊パーツもあるから……」 「ちょ、ちょ……モルグさん! サディークさんが怯えてますので……!」 「ええ? そーなの? でも男の子は皆好きでしょ~? 人・体・改・造」  モルグの勢いに気圧され青ざめるサディークを庇いつつ、「それはそうかも知れませんけど」と声を上げた。憧れではあるが、流石に腕を入れ替えられる話を初手持っていくのはヴィラン的にも人道的にもどうなのか。 「ん~~だめかぁ、残念。時間空いちゃうからその隙間に手術済ませたかったのになあ」 「ひ、暇潰しに手術しようとしないでください……」 「え、じゃあさあサディーク君は童貞なの?」  今度は何を言い出すのだ、この人は。  距離感の取り方が下手ってレベルではないぞ。  いつもだったらモルグのペースに持っていかれてたかもしれないが、ここは俺がサディークを守らなければならない。そんな気持ちになっていた。 「さ、サディーク君さんが童貞なんて……サディーク君さんは格好いいですしきっとおモテになられてますよ!」 「そうなの~? サディーク君?」 「お、おい……良平君……っ」 「因みに僕の見たところ恋人すらできたことない免疫ゼロ童貞君なんだけど?」 「う゛、ぐ……ッ!!」  モルグの言葉のナイフがサディークを襲っている、大変だ。  まさかとは思ったが、真っ赤になって押し黙るサディークに俺はハッとした。いやでもそれが悪というわけではない、かくいう俺も人とろくに恋愛などしたことない童貞であることには違いないのだ。ここは俺がなんとかサディークさんのメンツを保たなければ、と俺は「サディークさん!」とサディークの手を取った。 「よ、良平君……?」 「大丈夫です、俺も童貞なので! 恥ずかしくありません! 大丈夫です!」 「こ、声がでかいんだよ、君……」 「あ、ご、ごめんなさい……っ!」  どうしよう、さっきよりもサディークの顔色がだんだん悪くなっている。これは担当社員としてメンタルをケアしてなんかいい感じの空気に持っていかなければ。  そう思った矢先、モルグに向けていた下半身を撫でられ「ひっ」と声が漏れる。 「まあでもさあ、言うて君は経験あるじゃん善家君」 「ちょ、ちょっ……モルグさん……っ!」 「え……」  サディークから死角になってることを良いことに、どさくさに紛れて尻を撫でられれば顔が熱くなる。慌ててモルグの手を掴んで止めようとすれば、そのままモルグに腕を掴まれた。 「っ、も、モルグさん?!」 「そーだ、良いこと思いついた。……ねえ、サディーク君、君善家君に筆下ろししてもらえば?」 「――な」 「――え」 「そうすれば君のその陰気臭い性格も変わって仕事に意欲的になれるんじゃないかなあ」なんて笑顔でとんでもないことを口にするモルグに俺もサディークも固まった。  本当にこの人はとんでもない。前々から知っていたが、今ここでそんなマッドなところを出さなくてもいい。

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