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08
恐ろしいほどに昨夜の記憶はしっかりと残っていた。すやすやと眠る望眼の顔を見て、より一層血の気は引いていく。
やってしまった、しっかりと。
今度ばかりは酒のせいだとか言ってられない、後半は殆ど酔いは抜けていた……はずだ。
それなのに流されてしまった。絆され、あまつさえ自分からねだるような事をしてしまった。
「ん、良平……?」
一人頭を抱えていると、どうやら望眼が気付いたようだ。「はよ」と大きなアクビをしながら起き上がる望眼に、俺はそのままベッドの上で頭を下げる。
「望眼さん、すみませんでしたっ!!」
「うお、声でけえ!」
「あ、す、すみません……っ!」
「……って、なんだよそのすみませんって」
「つか頭上げろよ、朝イチ土下座はカロリー高すぎるから」そう言いながら望眼は俺の肩を叩き、顔を上げさせる。
望眼はやはり優しい。ついうる、と目の前が滲む。
「望眼さん、俺は、俺は……」
どうしたら、と取り乱す俺に、望眼は「取り敢えず水飲んできていいか」と起き上がった。
言われてみれば、俺もトイレに行きたい。
というわけで一時中断し、小休憩挟んだ後に俺たちは寝室から居間へと移動し、ダイニングテーブルを挟んで顔を合わせることになる。
「んで、……昨日のことか?」
水の入ったグラスを手に、早速本題を切り出す望眼にギクリとした。
そう口にする望眼もなんだかばつが悪そうだ。その様子を見る限り、やはり望眼もしっかりと覚えてるのだろう。
「あの、昨晩は本当……お見苦しいところをお見せしてしまい……」
「あー……そのことなんだけどな、良平」
「え、ぁ、は、はい……っ!」
「……俺は別に、気にしてねえから」
「つか、その。どっちかというと十割謝るのは俺だし」そうぽりぽりと首を掻く望眼はそのままじっとこちらを見る。目が合えば、昨晩の行為が蘇ってカッと顔が熱くなった。
「あ、あの、それは……」
「……責任も取るし」
「責任っ?」
予想だにしなかった言葉が望眼の口から飛び出してきて、思わず声が裏返ってしまう。
「あ、あの、望眼さん」
「お前、付き合ってるやついないって言ってたよな」
「え、まあ……」
なんだ、なんだこの流れは。
じっと向けられた視線がどことなく居心地が悪く、俺はというどこに目を向ければいいのかわからずあちらこちらと焦点が定まらない。おまけに手汗も止まらない。
そんなところに、伸びてきた望眼の手に手を握り締められてぎょっとした。
「っ、ぁ……」
「お前が嫌じゃなかったら、付き合わないか? 良平」
――あ、まずい。
そう直感した。
この流れはまずい。恋愛初心者である俺でも分かるくらいだ。
「まっ、待ってください、望眼さん。望眼さんって俺のこと好きなんですか?」
「まあ……後輩としては可愛いと思ってるよ」
多分これは俺と望眼の恋愛観の問題である。
望眼の付き合うというハードルは恐ろしく低いのだろう。遊んでる、というイメージはあったので驚きはしないが、まさかそこに自分がくるとは思っていなかっただけに余計戸惑った。
「あの、望眼さん……気持ちはすごい有り難いんですけど……」
「え、嫌なのか?」
「だ、だってなんか軽すぎませんか? お、俺が言うのはあれかもしれませんけど……っ!」
「でも相性良かっただろ」
「それとも、あれは演技だったのか?」なんて望眼に指を絡められ、そのまますりすりと手の甲の浮かんだ筋を撫でられれば「ひっ」と声が漏れる。
「う、そ、そういう……問題では……」
「やっぱ良くなかったのか?」
「い、いえ、すごく良かったです……っ」
何を言わされてるのだ、俺は。
「じゃあよくないか?」と顔を寄せてくる望眼。にぎにぎと指を弄ばれれば、ついペースに乗せられてしまいそうになる。
「だ、でも……望眼さん、男相手はって言ってたじゃないですか」
「お前は別。……つーか、今夜で寧ろお前は全然ありだってわかったし」
「ん、……っ、も、望眼さん……」
近付いてくる望眼の顔を避けることなどできなかった。ちゅぷ、と甘く唇を吸われ、舐められれば、あっという間に昨夜の熱が全身に蘇る。
「だ、めです」
「どうしても?」
「お、俺は……こういう、なあなあとした感じで付き合うとかそういうのはあまりよくないと思います……っ!」
「……お前は真面目だな、相変わらず」
ぷに、と唇を揉まれ、望眼は観念したように顔を離した。余韻の残った唇につい自分で触れてると、望眼に「なあ」と呼ばれる。
「じゃあまた今度、“こういうこと”したいって言うのはいいのか?」
「…………それなら、まあ」
「いいのかよ」
「と、とにかく、今日のことは忘れませんか? 俺も、何もなかったことにしますので」
そう念押しすれば、望眼は少し残念そうな顔をしながらも「わかったよ」と同意してくれた。
本当にわかったのだろうか。なんだか距離が近くなったし、ボディータッチが多くなった気がしたが、このままの関係が続けれるのならまあいいだろう。そう俺は一人納得する。
取り敢えず、仕事中は今まで通り接してもらうということで一段落したもののだ。
……もう暫く人前で飲むのは避けよう。
そう胸にし、俺は一足先に望眼の部屋を後にすることにした。
望眼はせっかくだし飯でも食っていけばいいとか、ゆっくりすりゃいいのにとか、色々言ってくれたけどもだ。仮にもお付き合いを断った立場なのにあのまま望眼と一緒に居るのもなんだかおかしな気がして、まあ早い話気まずくなって逃げ出したのだ。
――一般社員寮、通路。
「はぁ……俺の馬鹿……」
そう、大きな溜息を吐き出したときだ。
「誰が馬鹿だってぇ?」
いきなり背後から抱き締められ、ぎょっとする。特徴的な、甘く間延びした声。そのままのしかかってくる人物を振り返った俺は、「モルグさん!」と冷や汗をにじませた。
「おはよー善家君。ま、俺の中ではまだこんばんはだけど」
「な、な、なんでここに……っ」
「なんでってぇ、そりゃ君のことを待ってたんだよ~。昨夜はお楽しみだったみたいだねえ」
なんて、耳元で囁かれれば顔が熱くなる。
「え、や、なに言って……」
「あーあ、善家君駄目だよぉ。僕は適当に行っただけだったのにさあ。ほら学習学習」
「ち、違います。違いますから、本当……っ」
「まあまあ、隠さなくてもいいよぉ。一応、君の身に危険がないか隣の部屋から様子は見てたから」
「え?!」
なんかさらっととんでもないこと言ってないかこの人。
顔面蒼白の俺に、モルグは「あは、ジョーダンジョーダン」と笑うが冗談に聞こえない。この人ならやりかねないし。
「望眼君はねえ、考藤君のお友達って顔だけは知ってるし。きっと悪いことはしないんじゃないかなあとは思ってたしね」
「あ、あは……そうですよね」
今日ほどモルグの笑顔が怖く見えたときはないだろう。ふにゃりと笑いながらも隣を歩くモルグから顔を逸らすので必死だった。
そんな俺の首にいきなりモルグは手を伸ばす。
そして、
「まあ、セックスはしたみたいだけど」
するりと首筋をすべる指先に全身から血の気が引いた。流石に俺の笑顔も凍りつく。
「も、モルグさん……なにを……」
「キスマーク、駄目だよぉ。これ、わざとなのかな? 望眼君ってそういうことするんだ~」
「う、え」
「ほら、ここにも」
ぺろ、とシャツの襟を指で引っ張られ、慌てて隠そうとするが肝心の位置は俺からは見えない。
慌てる俺を見て、モルグはクスクスと笑った。
「まあ遊ぶのは大事だよ、僕はそういう子は嫌いじゃないしねえ」
「も、モルグさん……っ、このことは……」
「あー大丈夫大丈夫、口外しないから。他人のプライベートだしね」
ほ、本当かな……。
心配になってきてなんだか落ち着かない気分でいると、「けど」とモルグは小さく付け足した。
「ナハトのやつはどうかなぁ。あいつ、僕と正反対だからねえ」
――待ってくれ、なんでナハトさんの名前がここで出てくるんだ。
落ち着き始めていた心臓の音が再び速まり、俺は思わず立ち止まる。
まさか、と嫌な汗が滲んだ。
「ま、まさか……ナハトさんもいたんですか?」
「いたってよりも、僕はナハトに呼び出されたんだよねえ。あいつ、今日は君の見張りの当番だったから」
「……、……」
「けど、多分も気付いたんじゃないかなぁ。君たちがここでなにしてるかって……って、善家君? 大丈夫? すごい顔してるけど」
「な、ナハトさんは……ぉ、怒って……」
「…………んーーどうだろうねえ」
絶対に怒ってるやつじゃないか、その間は。
「ま、でも君は気にしなくていいよ。……一丁前に嫉妬するくせに、先に唾付けとかないナハトも悪いんだからさ」
よしよし、と慰めるように頭を撫でてくれるモルグ。
「……って、俺とナハトさんはそういうあれではないので……っ!」
「そうなの? じゃあ僕ともこのまま遊んじゃおっか~」
「も、モルグさん……っ!」
どさくさに紛れてキスしようとしてくるモルグの顔を手で抑える。
最初自分の酒臭さかと思ったが、この人もこの人で酔ってないか。
「モルグさん、もしかしてお酒飲んでますか?」
「ん~~ちょこっとねえ、夜勤明けだったからぐいっとね」
「モルグさん……」
それはお疲れ様ではあるけれども。
押し潰されそうになりつつ、そっとモルグの頭に手を伸ばす。さらさらとしたその明るい金髪頭を撫でれば、モルグは少しだけ気持ち良さそうに目を細めた。
「ん~ー、よしよしってされるのも気持ちいいんだねえ」
「お疲れ様です。……すみません、帰るの遅くなってしまって」
「いいよぉ、別に。僕は一応今の仕事、一段落ついたしね。……善家君は今日の仕事は?」
「今日は、一度部屋に戻ってから出勤しようと思ってました」
「そっか、偉いねえ。あんなに激しかったんだから今日くらい休めばいいのにさー」
なんて言いながらどさくさに紛れて尻を揉んでくるモルグに「モルグさん?!」となりながらも、俺は一度モルグに送られる形で自室へと戻ることとなる。
大分モルグもふにゃふにゃで、先にモルグを部屋に送った方がいい気もしたが「それじゃボスに怒られちゃうから~」というモルグの意見を尊重し、甘えることとなった。
――そして、社員寮自室。
「ぐう」
「も、モルグさん……」
自分の部屋へ帰る前に力尽きたモルグを取り敢えず俺のベッドで寝てもらうことにし、そのまま俺は朝支度に取り掛かることにした。
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