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 ノクシャスに「勝手に動くんじゃねえ」と首根っこを掴まれた紅音とともに、俺達は社員食堂へと向かった。やはりノクシャスは目立つ。時折挨拶を交わしつつ、俺たちは社員食堂の扉を潜る。  そして個室へと通されたのだが……。 「というわけで、こいつはトリッドだ。今日から新しく入社した」  そう、ノクシャスは改めて俺に紅音――トリッドを紹介してくれた。  ノクシャスに紹介された紅音は「どうだ? かっこいいだろ?」と笑うのだ。 「……入社ってことは、もしかして」 「ああ。勿論、ボスからのお達しだ。つってもまだ単独行動させるわけにはいけねえから俺がお目付け役だとよ」  そう丸めたピザを口に放り込むノクシャス。  確かに、ノクシャスが最近忙しいということはナハトからも聞いていた。紅音の面倒を見ていたのだと分かると安心した。 「そういうことだったんですね」と胸を撫で下ろすとともに、別の疑問が込み上げてくる。  そうだ、そもそもはここはヴィラン派遣会社という看板を掲げていたはずだ。俺よりも強くヒーローに憧れていた紅音が何故こうもあっさりと入社に至った経緯が分からない。  それに、この昔に戻ったような紅音の変わりようにも。 「ま、そういうことだからまた昔みたいによろしくな。善家」 「う、うん……勿論」 「けど、善家はなんで普通のスーツ着てんだ?」 「えと、俺はノクシャスさんたちみたいな社員とはまた違って営業部に配属されたんだ」 「営業部? それってなにするんだ?」 「えーと……そうだね、くお――トリッドみたいな社員の人たちのお悩み相談に乗ったりとか、かな……?」 「なんだそれ、大変そうだな」 「あ、あと俺のことは紅音のままでいいから」と紅音は笑い、そして分厚いハンバーガーにかぶりつく。 「良いわけねえだろ。……ったく、人前ではちゃんとトリッドって呼べよ」  ノクシャスの目がこちらを向く。紅音の立場からしてそれも無理はないだろう。俺は「わかりました」と慌てて頷くが、紅音はやはり不満そうな顔をしていた。 「ゆるいのか細かいのか分かんないよな、この会社って」 「……はは、でも皆いい人たちばかりだよ。ノクシャスさんも優しいし……」 「優しい?」 「く、紅音君……っ」 「あーもううるせえな、そういうのは俺のいねえところでやれ」  言いながらどかりと足を組み直すノクシャスは俺たちからそっぽ向く。……もしかして照れてるのだろうか。  ぶっきらぼうではあるが、なんだかんだノクシャスは面倒見もいいし兄貴肌なところもある。紅音が入社と聞いて色々気にはなったが、恐らく紅音の様子からして記憶を改竄されたのは間違いないだろう。  どこまでなくなっているのか、けど俺のことを覚えてるということはヒーローに憧れていた学生時代の記憶はあるはずだ。けど、この会社に入社となると、ヒーローに憧れていた記憶すらも消されたということか?  そう考えるとなんだか落ち着かない気分になってくる。けど、紅音に直接『ここ、ヴィラン派遣会社だけどいいの?』なんて聞くわけにもいかない。  なんて考えていたとき、「あ、俺トイレ行ってくる」と紅音が立ち上がる。 「あ、紅音君……」 「場所わかんのか、お前」 「この個室フロアの奥にトイレあった」 「……迷子になんなよ」 「はーい」とフードを被り直した紅音はそのまま個室を出ていく。ちゃんとまじまじ見回ったわけでも案内したわけでもないのに、通りかかっただけの場所の施設の位置も全部把握してるのか。  驚いたが、学生時代の頃からその片鱗はあった。記憶力といい、そもそも紅音は俺と違って地頭がよかったのだ。  個室の中、計らずもノクシャスと二人きりになれるタイミングが訪れた。  ノクシャスには色々聞きたいことがあったのだ。そう、にじり、と近付く俺にノクシャスは「分かった分かった」と手を軽く上げた。 「あいつの記憶のことだろ、お前が聞きてえのは」  溜息混じりに先手を打ってくるノクシャス。見事図星を刺されてしまい、少し驚いた。俺は「はい」と頷く。 「紅音君はヴィランのことを敵対視してたはずですが……」 「それについては、モルグのやつの仕業だ。あいつは変態だからヴィランっつーものへの敵対心だけ取り除く記憶改竄もできんだよ」  今朝、ようやく仕事が片付いたと言っていたモルグの言葉を思い出した。そういうことだったのか、と驚くと同時に一抹の不安のようなものを覚える。寂しさとも違う、罪悪感というか、勝手にそんなことをしていいのかという気持ちがどうしても拭えない。  偽善だと言われればそこまでだが。 「……記憶は完全になくなったんですか?」 「レッド・イルに関する記憶はもちろんな」 「そんな……」 「言っておくが、ボスの判断は間違っちゃいねえよ。寧ろ、トリッドのことを思うのなら最適解だ」  その言葉には汎ゆる意味が含まれているようだった。「どういう意味ですか」とノクシャスに更ににじり寄れば、ノクシャスは俺から離れる。 「な……なんで避けるんですか……っ?」 「近えんだよテメェは! ……ったく、もうこの話はいいだろ。そろそろあいつが戻ってくる」 「っ、ノクシャスさん……」 「それに、知らねえ方がいいこともあるってこった。トリッドに関しては特に、お前みたいなやつが関わる問題じゃねえよ」 「…………」  なんだか上手くはぐらかされた気がする。  お前は頼りないと言われているようだが、実際そうなのだからなにも言い返すこともできなかった。つい項垂れる俺に、ノクシャスは「おい、いちいち凹んでんじゃねえ」と俺の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。大きな掌の感触が今は懐かしくも感じた。 「とにかく、お前は今自分の仕事だけやってろ。いいな?」 「ノクシャスさん……励ましてくれるんですか?」 「ち……っげえよ、またお前を泣かしたとかごちゃごちゃ言われたら面倒なだけだっての」 「えへへ……」 「おい、変な笑い方すんじゃねえ」  へ、変な笑い方……。いや、照れ隠しだと受け取っておこう。  一先ずは俺もノクシャスや兄を信じる。それに、逆に考えて見るんだ。あのとき、レッド・イルとして再会した紅音よりもトリッドとしての紅音の方が本来の紅音に近いし、なによりも生き生きとしている。  ……ならば、俺もトリッドとしての紅音を受け入れるまでだ。  そう一人決意し、俺は皿の上に残っていたサンドイッチを齧った。

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