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紅音が戻ってきて、それから少しだけ話したあと俺はノクシャスたちに営業部前まで送ってもらおうことになった。
「またな」とフードが脱げそうなほどの勢いで手を振ってくる紅音につられて笑顔になりつつも手を振り返す。それから俺は二人と別れた。
営業部には既に望眼と見ない顔のスーツ姿の社員が一人いた。その社員はこれから出かけるところだったようだ。横目で俺をちらりと見ると「ども」とだけ言ってそのままエレベーターの方へと向かった。自己紹介する暇もなかった、余程急いでいたのかもしれない。
俺はそのまま自分のデスクに向かう。
「望眼さん、おはようございます」
「おー、おはよう。……にしても、東風(こち)さん大変そうだな」
「東風さんって、今の人ですか?」
席につき、荷物を片付けながら望眼に尋ねれば、望眼は「そうそう」と頷いた。
「あの人はまあ、俺の先輩なんだけど……ほら例の同業者のやつあったろ?」
「ああ……あの例の?」
「あの人の担当、気性荒いのばっかだから宥めんの大変なんだってよ」
「それは……」
確かに大変そうだな。なんてぼんやりと考えてると、デスクのところまでやってきた望眼に「やるよ」と缶コーヒーをもらった。「いいんですか」と見上げれば、望眼は何も言わずに代わりに俺の頭を撫でる。くすぐったい。
「東風さんもまた時間あったら挨拶したらいいよ。あの人の能力すげーから」
「その能力ってどういうのなんですか?」
「洗脳」
「え」
「っていったら身も蓋もねーか。相手の目見るだけで言うこと聞かせられるんだってよ」
「そ、それは……」
「けどなんか、実践向きではないし本人は面倒臭がりだから営業部希望したとか。ある意味営業向きだよな」
望眼はそう楽しそうに東風の話をしていた。
確かに見たところ少し独特な雰囲気の人だった。
「ってなわけで今日も俺の仕事に付き合ってもらうからな、いいよな?」
「はい、よろしくお願いします」
言いながら仕事用のタブレット端末を起動させたとき、一通のメッセージを受け取っていることに気付いた。それも、つい数分前だ。
宛先は――サディークからだ。
「どうかしたのか?」
「あ、あの……サディークさんからメッセージが」
「お前宛に?」
露骨に怪訝そうな顔をする望眼は「なんて書いてあるんだ?」と俺の手元のタブレットを覗き込んでくる。
タブレットに表示されたサディークからのメッセージは至ってシンプルなものだった。
「今日……会えないかって、サディークさんが」
「この間のことを謝りたいとのととです」時間帯もタイミングも俺に合わせるから、とも書かれている。
その俺の言葉を聞いた望眼は「なるほどなあ」と眉間を指で揉んだ。少なくとも喜んでくれているようには見えない。
「この場合はどうしたらいいでしょうか」
「正直、普通こういう謝罪はすぐに送ると思うんだよな。本気で悪いと思ってるなら」
確かに望眼の言葉には一理ある。納得する反面、あのサディークさんだしなという気持ちもあった。
翌日どころか更に一日挟んで今日となると、気が変ったということなのだろうか。もしかしたらずっと迷ってたかもしれないし、昨日までは『あっちから誘ってきたくせに謝罪もないのか』と思われていた可能性だってあるのだ。
なにも言えなくなり、そのまま俯く俺。そんな俺の表情からなにかを察したのだろう、望眼は「それに」と小さく続けた。
「一応、俺の方からもサディークに連絡入れてたんだよ。お前のことで。担当変えます~って感じでさ、でもあいつ返信すらしてこなかったんだよな」
「え、サディークさんが?」
「余程お前のこと気に入ってんのか、手放したくねーのか知らねえけど俺個人的な意見で言うなら『行くな』一択だな」
「面倒くせえ匂いがする」そう念押ししてくる望眼。望眼が言うとやはり説得力がある。
けれど、と俺は再びタブレットに視線を戻す。やはり、あんな風に心を開いてくれたサディークに対してここで突き放すという選択肢に躊躇う自分がいた。……胸揉ませたのは俺だしな。
「良平、お前……サディークに肩入れしてんのか?」
流石の観察力だ。望眼に図星を刺された俺は小さく頷いた。
呆れているのだろう、望眼は一瞬黙り込む。そして、「わかった」と頷く。
「サディークに会ってもいい」
「え、いいんですか」
「お前、俺がやめとけって言ってもサディークに会いに行きそうだしな」
俺ってそんなにわかりやすいのだろうか。顔には出さないようにしていた筈だったのに、望眼に言い当てられて笑うことしかできなかった。
へへ、と笑って誤魔化せば、望眼は「段々分かってきたぞ、お前の性格は」と小さく息を吐く。そして、小さく咳ばらいをする。
「……その代わり、俺も同行する」
サディークのやつには言うなよ――そう、望眼は続けた。
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