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『俺も行く』と言う望眼を断る理由もなかった。
確かに、俺としても望眼がいてくれた方が心強い。
それに、担当変更のことも直接伝えたい。そう望眼は付け足した。
「言っておくが、断じて私情は挟んでないからな」も何回も言っていた。それを言われる度に昨夜のあれこれが過ぎってしまい、俺は「大丈夫です」としか言えなくなるのだ。
というわけで、さっそく俺はサディークに返信することにした。
望眼はサディークと会うのはこの後すぐでも構わない、ということだったので昼前に本社ロビーで会う約束を取り付る。
サディークからすぐに返事は返ってきた。「分かった」と簡素なものだ。
それから望眼とはサディークに会った時の対応や大まかな流れについて事前に話し合う。
そんなことをしているうちにサディークとの待ち合わせの時間はやってきた。それから俺達はそのまま一階へとエレベーターを使って降りていく。
「さっきも言ったけど、一応俺としても良平の意見は尊重したいと思ってる。けど、見てて話しにならなさそうだと思ったらすぐ間に入るからな」
「は、はい! わかりました」
そんなやり取りを交わしている間にエレベーターはあっという間に目的地である一階に着いた。開く扉から俺達はエレベーターを降りる。
なんだか今更緊張してきた。
どんな顔をしてサディークに会えばいいのだろう。まずは謝らないとな、とかそんなことを考えている間にロビーまでやってきた俺。望眼は少し離れたところから様子を見るということで、一旦別れる形になった。
何故そんなことをするのだろうかと疑問に思ったが、望眼曰く「ああいうタイプは第三者がいることを嫌がるからな、お前の横に俺がいたらそもそも現れない可能性もある」とのことだった。まだ直接サディークに会っていないはずなのになんというサディークへの理解の高さなのだろうか、と俺は感動していた。
確かに、そもそもサディークが現れない可能性もあるということなのか。
そんなこんなで、一人俺はエントランスの脇でサディークがやってくるのを待っていた。
流れるように出入りする従業員を確認するが、サディークの姿はまだ見当たらない。
もしかして早く来すぎてしまったのだろうか、と腕時計を確認する。が、時間的には丁度くらいだ。サディークが待ち合わせに遅れるイメージはなかっただけに、なんとなく心配になってくる。
そんな中、端末がメッセージを受信した。サディークからだ。
慌てて確認すれば、「急用が入ったから行けそうにない。またあとで改めて連絡する」という旨の内容だった。
俺は、近くのラウンジでこちらの様子を伺っていた望眼の元へと向かう。
ラウンジの一人掛け用ソファに腰を掛け、缶コーヒーを飲んでいた望眼はやってきた俺から何かを察したようだ。
「サディークのやつ、逃げたか?」
「に、逃げたというか……急用が入ったそうです」
「大体そういうんだよ、逃げる奴は。……しまったな、お前と一緒にいるところどっかで見られたか? ……まあ、仕方ねえか。またあとからでも奴から連絡来るだろうから、そんときは言えよな」
「はい、わかりました」
俺はサディークのことは信じたいのが本音だったが、望眼はそうではないようだ。それほど心配してくれてるのかもしれない、と思うことにした。
俺はサディークに返信し、それからそのまま望眼の仕事について回ることになる。
◆ ◆ ◆
「まあ一旦サディークのことはさておき、一応貴陸さんにも伝えて良平に新しい担当付けてもらうようには伝えてるから」
「すみません、俺のせいでなにからなにまで……」
「あー大丈夫、そんなに気にしなくて。誰しも……は通らねえかもだけど、起きたことは仕方ねえから」
仕事も一段落し、近くの喫茶店で休憩していた俺と望眼。
それにしても、新しい担当か。
いい加減気持ちを切り替えなければならな、なんて考えながら頼んだドーナツを食べていると、ふと望眼がこちらを見ていることに気付いた。「どうしたんですか?」と聞き返したとき、望眼は「あー、いや……」とやや歯切れの悪い返事をする。
「……食ってるところ、可愛いなって思って」
「んぐっ」
思わず噴き出しそうになる。
「も、望眼さん、公私混同はしないって……」
「してねえよ、してねーって! 感想述べるくらいいいだろ? それにほら、今は休憩中だし」
そういう問題なのか。
あまりにも不意打ちだったので顔がぽかぽかと熱くなる。
「俺のマフィンも食うか?」
「だ、大丈夫です……というか、望眼さんがお腹減ったってここ来たんですから、望眼さんも食べないと……」
「……うーん。そのつもりだったんだけどな」
「やっぱ、お腹いっぱいですか?」
「お前が食べさせてくれたら入るかも」
「望眼さん」と思わず声が上擦った。冗談に聞こえない。というか気付けば椅子同士が近い。隣まで椅子を持ってきた望眼に「仕事中ですよ」と小声で手を掴めば、「休憩中だ」とそのまま手を握られる。
「ちょっと、望眼さん……」
「なあ今夜さ、お前用事とかあんのか?」
「え……」
いくら周りに客がいないとは言えどだ。にぎにぎと手を触られ、狼狽える。どう考えても、それの誘いである。
「よ、用事は……今のところは……ない、ですけど」
連日は流石に俺も死ぬ、俺の尻が限界を迎える。そう望眼の手をやんわりと離そうとしたとき、「けど?」と更に迫ってきた望眼に心臓が止まりそうになった。
そんな矢先だった。
「よお、お前らも休憩中か?」
いきなり望眼の背後からにゅっと現れた大柄なスーツの男に俺も望眼もぎょっとする。
顔を上げれば、そこには貴陸とひょろりとしたスーツの男――東風がいた。
「ぁ、ど、どもおはようございます貴陸さん! 東風さん!」
「なんだぁ? お前ら仲良いな、そんなにくっついて座ってたらかえって食いにくいだろ。……あ、同席していいか?」
「は、はい、どうぞ……っ!」
貴陸に尋ねられ、慌てて椅子を離した俺は貴陸たちのために近くの椅子を引っ張ってくる。東風はペコリと頭を下げ、そのまま俺と望眼の間に腰をかけるのだ。
しかし、なんというタイミングだ。
助かった、このままではまた流されそうになっていただけに安堵する。
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