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貴陸曰く、近々その査察官なる人がやってくるらしい。
そして営業部はその人たちに協力しなければならない。
なんだかコソコソ調べると考えると確かにそれなりの罪悪感はあったが、このままスパイを野放しにしておくわけにはいけないというのが上の判断らしい。
とは言えど大変なのは望眼や東風などの多くの担当を持つ人たちだ。
蚊帳の外である俺は、なにやら話し込んでる三人の会話を聞きつつ、どんな人が来るのだろうか。なんて考えていた。流石に安生は忙しそうだしな。
「ま、そういうわけだ。くれぐれも口外厳禁だからな。うちの部署に限ってそんなやつは居ねえと思うが、念の為こうして直接伝えて回ってたんだ」
「あーなるほど、そういうことっすか」
「因みに、お前らが一番最初だから。もし今漏らしたら速攻特定するからよろしく」
なんて、さらっと口にする東風にどきっとした。
いや最初からバラすつもりはないが、俺はどうやら顔に出やすいタイプのようなので責任重大だ。
「き、気をつけます……」
項垂れる俺に「よろしく」と東風は口の端を持ち上げるだけの笑みを浮かべた。
望眼の言うとおりだ、この人のことまるでまだ理解できそうにない。
それから、俺は貴陸たちと食事を済ませた。
その日、東風が能力を使うところを見るなんてことはなかったが、やはり気をつけなければ。
そんなことばかりを考えながら食事をしていたおかげで、後半ご飯の味がしなかったのは言うまでもない。
――本社前、喫茶店前道路。
相変わらず夜が開けることはないこの街だが、人工的な灯りはたくさんあるために常にギラギラと眩い。
そして時間的には夕方頃だろう。これから仕事へと向かうヴィランたちや夜行性のヴィランたちがそろそろ動き出す時間帯だ。
ちらほらと朝方では見ないタイプのおっかないヴィランたちも増えてきた。
「じゃあ、これから貴陸さんたちは他の奴らのところに行くんすね」
「ああ、ここからが長丁場だろうからな」
そう肩を慣らす貴陸。そんなに大変なのだろうか。「どこかに出張されてるとかですか?」と尋ねれば、「当たらずも遠からず、だな」と貴陸は快活に笑った。
「中には今どこにいるのか分からねえ社員もいるしな」
「えっ、それは……」
「重要任務で出張中の社員のサポートで付き添いに行ってるやつもいるんだ、うちの部署には」
そんなこともしなければならないのか、と驚き固まる俺に、貴陸は「まあそいつが大分特殊なだけでもあるがな」と付け足した。
「少なくとも良平は本拠点はこの本社になるだろうな」
「あ、そうなんですね……」
「なんだ、がっかりしたか?」
「い、いえ! とんでもないです!」
「はは、良平といいお前らといい本社が大好きだからな」
「現地はおっかなすぎて嫌ですもん、普通に」
そう答えたのは東風だった。隣で望眼は大きく頷いている。
やはり、ヴィランの人たちと言えど皆が皆好戦的というわけではないらしい。俺と同じ考えの人がいて、安心した。
「じゃ、またな」
「はーい」
「はい、お疲れ様でした!」
「おお、良平はいい返事だな。いいぞ、そのまま真っ直ぐすくすと育ってくれよな」
「わ、わわ……」
大きくて、岩のような硬い手のひらで頭をわしわしと撫でられついふらつく俺。
「おおっと。悪い、お前望眼よりも小さかったな」
「い、いえ……すみません、体幹鍛えてきます」
「その調子だ、頑張れよ」
「はい……っ!」
なんだろう。貴陸に褒められるとなんだか父親に褒められたような気分になる。
両親や兄以外の人にこうして期待してもらえるのは素直に嬉しかった。
頑張らなければ、と拳を握り締め漲る俺。そんな俺に笑う貴陸だったが、ふとなにかを思い出したように「ああそうだった」と手を叩く。
「なあ、良平」
「は、はい」
「お前、サディークと揉めたんだってな。望眼から聞いたぞ」
単刀直入に切り込まれ、俺はなにも言えなかった。
怒られるのではないか、と怯えていたが、貴陸の態度は先程とあまり変わりない。顎を指先で擦り、その口元には少し含んだ笑みを浮かべていた。
「す、すみません……俺……っ」
「あー別に怒ってるわけじゃねえんだ。まあ最初はそんなもんだ。次に丁度良さそうなやつ、こっちでまた見繕っておく。多分、明日の朝までには端末の方にデータ送っておくからな」
「わ、わかりました……」
「望眼、やつのこと頼んだぞ」
「了解でーす」
土下座する準備もできていたのだが、許されてしまった。
けど流石に望眼に引き継ぎをするまではちゃんとしなければ、と改めて気を引き締める。
そしてこのまま他の営業部の社員に会いに行くという貴陸と東風を見送り、そして再び店の前には俺と望眼の二人きりになった。
「……はあ、なんか随分と賑やかな休憩になったな」
「確かにそうですね。……けど、東風さんに改めて挨拶できてよかったです。それに、貴陸さんにも……」
「そうだな。まー、東風さんのデリカシーのなさは誰にでもって感じだから気にすんなよ」
「はい、大丈夫です。……不思議な方でした、柔らかいナイフみたいな……」
改めて東風の印象を告げれば、望眼は吹き出す。そして「だろ?」と目を細めて笑った。
「ま、あの人たちのことはいーんだわ。……なあ良平、さっきの話の続きだけど」
「はい? ……あっ」
聞き返そうかと望眼を見上げたとき、俺は貴陸たちがやってくる直前のやり取りを思い出した。
――すっかり忘れていた。
ああ、そういえばそんな話をしていたら貴陸たちがやってきてなあななになってしまったのだった。
思い出し、今さらになって顔が熱くなった。
「ええと、あの、望眼さん……」
「あー、やっぱ待ってくれ」
どうしたらいいのだろうかと必死に言葉を探していると、望眼の方からストップが入る。
どうしたのだろうかと顔を上げれば、冷や汗を滲ませた望眼がいた。
「もしかして、お前……今朝のあれは社交辞令的なやつだったりするのか?」
「え?」
「だって、さっきも貴陸さんたちがやってきてほっとした顔してたし……もしかして、俺に合わせて仕方なく合わせているとか……」
見る見るうちに望眼の顔が青ざめていくのを見て、慌てて俺は「そんなことはありません!」と否定を口にする。
「良平……」
「確かに成り行きはちょっと望眼さんに流されたところもありますけど、その、嫌だったら『やめてください』ってちゃんと言いますし、それに……気持ち良かったのは本当なので……!」
「よ、良平……気持ちは伝わったが公道で叫ぶのはちょっとやめておいた方がいいかもな」
「あ……っ! す、すみません……!」
望眼にあらぬ誤解をさせたくないという気持ちが前に出すぎてしまったようだ。
そしてちゃんとそれは望眼にも伝わったらしく、少し気恥ずかしそうな顔をした望眼は「それならよかったけど」と安心したように息を吐いた。
やはり望眼は優しい。俺のこともちゃんと考えてくれているのだ。
それならば、と俺は決心する。
「けど、その……」
あのですね、とこっそりと声を潜めて望眼に近づけば、また不安そうな顔をした望眼は「やっぱりなんかあんのか?」と身構える。
「あ、違うんです。……その、俺、あんまり体力ある方ではないので、その……連日はちょっと、ど……どうにかなっちゃうんじゃないかって……」
何を言ってるのだ、俺は。
言いながら語尾は萎んでいき、全身の血液が顔面へと集中していく。顔がポカポカしてきた。
そんな俺にぽかんと口を開く望眼だったが、それも一瞬。俺が言わんとしたことに気付いた望眼は「あー……」と顔を掌で覆う。
「わ、悪かった……それは」
「い、いえ……」
「悪いついでで申し訳ないんだが、今の……ちょっとキた」
「……へ?」
その言葉に釣られて視線を下げた俺は慌てて顔を逸らす。
「も、望眼さん! ここ外ですよ?! 何考えてるんですか?!」
「わかってる、みなまで言うなって! 大体、今のは不可抗力だろ」
「望眼さんって……」
「お……おい、なんだよその目は……」
俺も男なので望眼の気持ちも分からないわけではないが、それにしてもどこでスイッチが入るというのか。脱いだ上着で前を隠す望眼を見ていると流石に申し訳ない気持ちになってきた。
仮にも、お世話になっている先輩だしな。
「……わかりました」
決心する俺に、望眼は「良平?」とこちらを見下ろしてくる。
――責任は、取らなければならない。
「一晩中、は難しいですけど……少しだけなら」
お手伝いします、と俺は周りから見えないように望眼にそっと体を寄せた。
それに、このままでは他の社員に顔出しすることも難しいだろう。上着で隠された下腹部、その下で張り詰めた下腹部をそっと撫でれば、目の前の望眼の喉から唾を飲み込む音を聞いた。
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