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 それから、朝食はナハトがルームサービスで頼んでくれたものを部屋で二人で食べることになった。  普段だったら仕事前は社員食堂に寄っていたのだが、ナハトが「ほら、頼んで」と問答無用で注文ページが開かれたタブレットを押し付けてきたのだ。  もしかして二人で食べたかったのだろうか、なんて言ったらまたナハトになにか言われる気がしたので黙っておくことにしたが、俺は久しぶりにゆっくり二人で顔合わせて食事することができて素直に嬉しかったりもした。  それから、俺も着替えて出勤する。  例の如くナハトに営業部前まで送ってもらったあと、「ありがとうございました」とお礼を言えば「ん」とだけ応えてナハトはそのまま姿を消した。  なんだろう、なんだろうかこの感じは。  いや、喧嘩したときみたいな重たい空気よりかは全然いいはずなのに、やはり未だ慣れないというか。  ナハトの告白を保留にしてしまったのは俺だし、ナハトも今まで通りに接してくれてるつもり……のようだが、やはり違う。  トクトクと脈打つ心音が周りに聞こえてはいないか緊張しながらも、俺は営業部の扉を潜った。  そして、そこには意外な人物がいた。 「よう、良平」 「ああ、おはようございます。良平君」  この時間帯の営業部には珍しく、貴陸と――それから安生がいた。  ぴっしりとスーツを着た安生は一瞬誰だかわからなかったが、緊張感のない話し方や目の下の隈、ゆるりとした雰囲気から安生だと分かった。  どうやら二人だけのようだ。 「あ……貴陸さん、安生さん、おはようございます」 「早起きじゃありませんか。それとも、ずっと起きてたんですか?」 「やめろよ安生、うちの新人虐めんのは。良平は毎回きちんとこの時間帯にきてくれるんだぞ」 「なるほど、それはいいことですね」 「あ、ありがとうございます……っ!」  褒められてるのだろうかと慌てて頭を下げれば、安生は「相変わらず元気ですね」と笑う。  それにしても、二人とも随分と親しげだ。  ナハトやノクシャス、モルグを除いた他の社員たちは皆、安生に一目を置いているようだったのでなんとなく意外だった。  二人を見てると、俺の視線に気付いたらしい。目があって「ああ」と安生は目を細める。 「もしかして、なんでお前がいるんだ……って思ってます?」 「あ、いえ、お前なんて……っ!」 「冗談ですよ、冗談。……今日はちょっとした野暮用でしてね」 「ほら、良平昨日言っただろ? 査察官の話」 「あ、はい……ってことは、もしかして」  そこで点と点が繋がる。貴陸の言葉に釣られて安生を見上げれば、にっこりと笑った安生は「つまりそういうことなんです」と声を抑えるのだ。  仮にも立場的にトップに近い安生が自ら査察官になるなんて。  けど確かに会社全体の信用に関わる問題だしな、安生が出てくるほどの大きな問題なのだろう。  だから安生がちゃんと正装してるのか、と納得する。 「まあ今日の私はただの査察官ですから。あまり気にしないでくださいね」 「は、はい……」 「本当無茶言うよな。……ってことで、良平。今日一日望眼のやつは借りるけど、一人で大丈夫そうか?」  そうか、望眼は挨拶回りがあるのか。  人数も多いって言ってたし、相当大変なのだろう。こればかりは仕方ないし、俺だっていつまでも望眼に頼ってばかりでは駄目だ。  そう覚悟を決め、「はい」と頷けば貴陸は快活に笑った。そして「いい返事だ」と背中を叩かれる。吹き飛びそうになり、「力加減をしてください」と貴陸が安生に叩かれてた。  俺の体幹が弱いばかりに申し訳ないことをした。  ひと悶着ありつつ、気を取り直した貴陸は小さく咳払いをする。 「お前のタブレットに新しい担当のデータ送ってる。一連の流れはわかるだろ? ファーストインプレッションが大事だからな」 「……っ、は、はい! 頑張ります!」  まさかこんなに早く新しい担当を貰えるとは思えなかった。  サディークの件を払拭できるよう、今度は頑張らなければ。そう声をあげれば、安生は少し妙な笑い方をした。 「ええ、頼みましたよ。……きっと、貴方が適任でしょうから」 「……? は、はい……っ」  どういう意味なのだろうか。  そのときはあまり深く考えなかったのだが、二人を見送ったあと、新しい担当のデータを確認してから俺は安生の言葉の意味を理解する。 『トリッド』――そこにはフードを被った赤髪の男の顔が表示されていた。

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