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「自白剤って……」  なんでそんなもの、なんて聞かずとも分かった。分かってしまった。  望眼はサディークと俺のことを調べるつもりなのだろう――本気で。 「ま、待ってくださ……」 「どうしてだ?」 「そ、れは……」  なにかいい感じにやり過ごさなければ。  そう思うのに、俺の意識とは裏腹に頭の奥、考える部分が明らかに機能していない。誤魔化すための言い訳は何一つ思い浮かばない。  これが、自白剤の効果だというのか。  この間、望眼とお酒を飲んだ時の酩酊感にもよく似ている。 「なあ、なんでだ。良平」  こちらを覗き込んでくる望眼。その目に見つめられると目を逸らすことが出来なかった。 「いや、です……こんなこと」 「ああそうだな。できることなら俺だってしたくはないよ」 「なんたって、お前は初めての俺の後輩なんだし」頬を撫でられ、そのままぷに、と唇を親指で触れられた。 「ん……望眼さ……」 「なあ、良平。俺のことどう思う?」  思わず望眼を見上げれば、望眼はふっと笑った。 「まだ完全には効いてはないか」と、小さく口にする望眼。なんだか自嘲的な笑い方だ。  それでも先ほど飲まされたポピュラーな自白剤は確かに時間とともに効果が出てきているようだ。思考力、判断力ともにあやふやになってきているのが朧気であるが体感することができた。  まるで徹夜したときのような、そんな中お酒を飲まされたときみたいだとも感じた。それなのに、眠たいわけではない。自分の体なのに自分の体ではないようだ。  そして恐らく、この違和感が、自意識の境界線が完全になくなったときがまずい。それだけは、初めて自白剤を飲まされた俺でも分かった。 「ああ、瞼が重たくなってきたな。……せっかくだ、もう一度さっきの質問、していいか?」  投げかけられるがまま、俺は望眼に頷き返した。いい子だな、と褒めるようにつぷりと望眼の指は俺の唇の隙間に入り込んでは、そのままむにむにとした唇を揉んで遊ぶ。そして、そなまま更に望眼の顔が近付いた。  視界が暗くなり、鼻先同士が微かに触れ合う。  ちゅぷ、と唇の奥へと沈む指先。硬いその指に思わず小さく吸い付けば、望眼は「おい……」となにか言いたげな顔をして息を吐いた。 「ん、ちゅ……」 「赤ちゃんみたいだな、お前」 「俺、子供じゃ……ないれす」 「だったら尚の事たちが悪いけどな」 「……んっ、ぅむ……」  楽しくなってきて、望眼の親指を咥え、そのままちゅぱ、と軽く吸い上げようとしたとき。顎を掴まれ、その拍子に指が外れる。  そして。 「っ、あ……」  「俺のこと、好きか?」 「ぅ……す、きです……」 「それは恋愛的な意味で?」 「……ちがいます、望眼さんは優しくて、かっこいいけど……そういうのじゃないので」 「……は、何度聞いても堪えんな。その返事」  もの寂しくなった口の中。それでも尋ねられるがまま応えれば、望眼はバツが悪そうに笑うのだ。  そして、そのまま真っ直ぐ俺の顔を覗き込む。 「なあ良平、お前はサディークの能力を知ってるんじゃないか」 「……はい」  考えるよりも先に、口が動く。抵抗するのも、難しいことを考えるのもまるで脳の一部を制限されるみたいに上手くできない。  頷く俺に畳み掛けるように、望眼は「どんな能力なんだ?」と尋ねてきた。 「ん、……えと、人の……思考を読む、能力だって……」 「……なるほどな。それで、なんでそのことを隠そうとした?」 「サディークさんが捕まる前に、直接会って……話を聞きたかったんです」 「あれ本気だったのかよ。お前はまた無茶な真似を……」  呆れたような顔をした望眼にむに、と頬をつねられる。痛みはなかったがくすぐったくて、「ごめんなさい」と譫言のように呟けば「いいけどよ。……いやよくはねえか」と一人で突っ込む望眼。そんな望眼をぼんやりと眺めながら、俺はサディークの顔を思い浮かべていた。それに、と無意識のうちに唇は勝手に動く。  ぴくりと肩を揺らし、望眼がこちらを見た。 「……それに、サディークさんの能力を知られるのは俺も……怖かったので」 「……へえ? そりゃまたどうしてだ」 「サディークさんに……知られそうになったから」 「知られる?」片眉を上げた望眼に、俺は朦朧としたまま小さく頷き返した。 「俺の、秘密。……兄さんのこと、バレそうになったって……サディークさんに……」  優しくて、かっこいい兄。  ずっと俺の中ではヒーローだった兄。それは、ここでヴィランのボスと呼ばれるような立場になってもその事実は揺るがない。  ヒーローネームを捨て、地下世界で生きることを決めた兄のことをかっこいいと、尊敬の念を覚えることも事実だ。 「兄さん?」 「はい、僕の……ヒーローです」 「……ヒーローって、これはまた随分な言い方をするな」 「だって、兄さんはヒーローで……」  すから、と言いかけたときだった。ラウンジの扉が開いた。  つられて俺は顔を扉の方へ向け、そこにいた人の姿に驚く。 「兄さん……っ!」 「え゛」  まさに頭の中、思い浮かべていた人物がそこにいて自分でも驚いた。  どこかへ出掛けることだったのか。スーツの上からコートを羽織った兄は、そのまま望眼に捕まっていた俺を見るとにっこりと微笑む。 「悪いね、……望眼君だったかな。安生からは話を聞いたよ」 「えーと……良平のお兄さん?」 「そういう風に呼ばせているだけだ。実際には血は繋がっていない」  兄さん、なんでそんなこと言うんだ。そうショック受ける俺の口をやんわりと塞いだまま、兄はそのまま俺を抱きかかえた。 「んーっ、ん、ぅ゛……っ!」 「ってちょっと、どこに連れて行こうとして……」 「口を割らせたいんだろ? だったら私が請負おう」 「え……」 「もご、……」  兄さんが俺に尋問するってことか?  どうして、と悲しくなったが、なんと言おうが口を塞がれたこの状況ではモゴモゴすることしかできない。  呆気に取られる望眼に対して「タブレットを確認するといい。安生からメッセージが届いているはずだ」と兄はにっこりと笑う。  その言葉通り、タブレットを取り出した望眼は「うわ、本当だ」と驚いたような顔をした。 「つまりまあ、そういうことだ。……君も忙しいだろう。この子のことは私に任せてくれ。君は、安生のサポートに入ってくれ」 「待てよ。……そもそもアンタ誰だ?」  望眼の問いかけに対し、兄は笑う。 「なに、通りすがりの暇人だ」

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