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頭がふわふわする。
顔を上げればすぐそばには兄の顔があった。
何故ここに兄さんがいるのか、そもそもこれは本当に夢なのか。
恐る恐る手を伸ばし、そっと兄の横顔に触れたとき。そのまま兄に手を握られる。
「なにを笑ってるんだ? 良平」
「……兄さん、本物だ」
「ああ、本物だよ」
「……へへ」
営業部に配属されてからというものの、ここ最近忙しかったからこそ久しぶりに兄に会えたことが嬉しくて、つい自然と口元が緩んでしまう。
「全く。……効きすぎるのも困りものだな」
頭の上で兄がなにかをぽつりと口にしたが、よく聞こえなかった。代わりに、そのまま指先を握られ、掌全体を包まれるような感触に安心して緊張が緩んだ。
「兄さん……寂しかった」
「ああ、悪かった。けど、お前が頑張っていることは知っていたぞ」
「本当?」
思わず顔を上げれば、兄は「ああ」と微笑んだ。
気付けば辺りは見慣れない景色が広がっていた。普段の社員用通路とは違う無機質な通路。
そんな中、とある扉を開いた兄はそのまま中に踏み入れた。
応接室のような部屋だ。けれどどこか暗く、そして部屋の中央には大きな机とソファーが置かれていた。
「……ここ、どこ?」
「さあ、どこだと思う?」
「兄さんの部屋……?」
「まあ、遠からずだな」
くすりと笑い、そのまま兄は近くにあったソファーに俺を座らせるのだ。柔らかすぎないそのソファーに思わず寝転がりそうになり、「良平」と兄に身体を寄せられた。
そのまま隣に座る兄はこちらを見ていた。いつもと変わらない、優しい笑顔。それなのに、じっと見つめられると不安になってくる。
「兄さん……もしかして、怒ってる?」
「どうしてそう思うんだ?」
「……なんか、怖い」
もっと笑ってほしくて、恐る恐る目の前の兄の頬に手を伸ばそうとしたところを兄に手を撮られた。そのまま先程のようにぎゅっと握り締められ、先程のような安心感よりも逃げられないような感覚を覚える。
「どうして怖いんだ?」
「……それは、……」
「言い方を変えよう。お前は俺を怒らせるようなことをした自覚はあるのか?」
言葉も柔らかいはずなのに、兄の纏う周囲の空気の温度がいくつか下がるのを感じて、思わず身動ぐ。後退ろうとしたが、背後の背もたれが邪魔でそれはできなかった。
「良平」
「ご、めんなさい……」
「それは、なんの『ごめんなさい』だ?」
「兄さんとのこと、バレそうになった……」
ごめんなさい、ともう一度口にすれば、兄は笑う。「そんなこと、些細な問題だ」と。
「でも、兄さん困るって……」
「ああ、結果的にそれがヒーロー協会に知られればだ。……お前がうっかり口を滑らせたとしても、その前に手を打てばなんの問題もないってことだ」
「だから、そのことは気にしなくていい」と、兄は静かに続ける。
「じゃあ、どうして」
「本当に分からないか? 良平」
「……嘘、吐いた。安生さんたちに」
ぽろぽろと口からは言葉が溢れ出る。
そんな俺に、子供を宥めるようそっと頬を撫でながら兄は「ああ、そうだな」と静かに頷いた。
「だから、こんな薬を使わされるんだ。……本当に、いつの間にそんなに悪い子になったんだ。良平」
「お前はそんな子じゃなかっただろう」柔らかく、穏やかであるがその言葉には静かな怒りが含められているのがわかった。
だからこそ、兄が本気で怒ってるのだと分かって身が竦む。ごめんなさい、と項垂れれば、そのまま顎を軽く持ち上げられた。
「確か、容疑者はお前の担当だったな。……脅されたのか?」
「ちが、サディークさんはそんな人じゃ……」
「お前は優しいな。そこは長所でもあるが、短所でもある」
「兄さん、俺……」
「覚えておくといい、この地下では優しいかどうかは重要視されない。地上と違ってな」
「どんだけお前が優しい人だと思った相手でも、裏でなにをしているか分からないもんだ」そう口にする兄の言葉は鼓膜から浸透していくようだった。
いつまでも子供なわけではない。そんなこと重々わかっていたつもりだった。
それでも今まで俺はまだ世の中を全然知らなかったのかもしれない。いざ実際に裏切られたかもしれない、という事実を受け入れられることができていなかった。
「それは、兄さんも?」
そう兄に尋ねれば、兄の目が僅かに開かれる。頬を撫でていた指先が僅かに動きを止めた。
それからすぐに、こちらを見つめていた兄の目はすっと細められる。
「ああ、そうだ」
兄の言葉に思わず俺は兄の胸にしがみついた。
実際、ここに来てから兄の知らない部分が遥かにたくさんあることを知った。
俺が知ってるのは、幼い頃のヒーローだった兄だけだ。だからこそ寂しくなって、突き放すような兄の言葉が悲しくて、いても立ってもられなくなる。
しがみつく俺を振り払うことなく、兄はそのまま俺の肩を優しく撫でた。
「良平、お前もこの会社の一員となったんだ。……俺の下で働く以上、組織を――俺を裏切るような真似はするな」
「……っ、……」
「これは、兄としての忠告だ。……俺はお前を守るだろうが、同じように社員も守るつもりだ」
「俺の言っている意味がわかるな?」と優しく頭を撫でられる。
俺はただそれに頷く。ごめんなさい、と項垂れれば、兄はそのまま「よし、いい子だ」と額に優しくキスを落とす。そして、そのまま真っ直ぐに俺の目を見つめた。
「いい子なお前は、今度はちゃんと教えてくれるな? サディークのことを」
逆らうことも、誤魔化すという考えも頭の中にはなかった。目の前にいる兄しか見えなくて、兄のことしか考えられなくなって、俺はぼんやりとした頭の中、はい、と小さく頷いた。
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