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「良平、お前何言ってんだ」
呆れたようなノクシャスの声が喫茶店内に響く。
そんな反応をされても無理もない。護衛でもあるノクシャスからすれば、自分から危険な目に遭いに行こうとしてるようなものだ。
そんなノクシャスに対して、安生はあくまでもいつもと変わらない調子だった。
「まあノクシャス君、いいではありませんか」と、そっとノクシャスを諌める安生は、そのまま視線を俺の方へと向けた。
「まさか善家君がこうして私にお願いしてくれるなんてねえ、いやはや感慨深いものもありますが」
「……っ、安生さん、お願いします」
反対されることは承知だった。
だからこれは一種の賭けのようなものだった。
別に安生たちからしてみれば、この作戦には俺でなくてもサディークと連絡が取れる端末があればいいのだ。交換条件にしてはハイリスクすぎるとわかっていても、このままサディークをただの犯罪者として扱いたくなかったのだ。
頭を下げる俺を、安生はじっと見つめていた。そして、
「いいでしょう、話すぐらいでしたら」
安生の口から出てきたその言葉に、思わず「本当ですか!」とガバリと顔を上げる。そこにはいつもの笑みを浮かべた安生がこちらを見下ろしていた。
「ですが、その結果君が危険な目に合うと判断したときは速攻中断させていただきます」
それは安生にしては珍しく強い語気だった。
ぴり、と周囲の空気が引き締まる感じがしたが、相手はサディークといえど今はスパイ容疑者の一人だ。そういう扱いされても仕方ない。
理屈では分かっているが、やはり心が納得できない。だからこそ余計、俺の条件を飲んで許可してくれた安生に驚き、そして安堵する。
「……わかりました。ありがとうございます、安生さん」
そう改めて頭を下げれば、安生は「まだ礼をいうのは早いんじゃありませんか?」と笑った。俺の隣、ノクシャスは微妙な顔をしたまま舌打ちをしたのがやけに耳に残っていた。
それから、俺は安生との約束を守るためにサディークに『これから会えないか』というメッセージを入れた。
既読はついたものの、なかなか返事は返ってこない。
「まあそりゃそうでしょうね。……っと、私は少し上で部下たちの様子を見てきます。また動きがあれば呼んでください」
どうやら喫茶店のニ階には他の社員たちがいるらしい。わかりました、と俺は安生に頷き返し、それから再び握り締めていた端末をじっと見ていた。
「んなに見てたって返事が来るわけじゃねえだろ」
そんな俺に、いつの間にかに頼んで届いたランチメニューのピザを食べながらノクシャスは声をかけてくる。
この喫茶店、コーラはないけどピザもあるのか。と思いながらも、「……そうですね」と俺は一度端末をテーブルに置いた。
ここにきてから、いや、サディークが裏切り者だと聞いてからずっと息が詰まっているような感覚が取れない。
俺は一先ず緊張をほぐすため、「ノクシャスさんのおすすめはありますか?」と紙のメニューを開いて尋ねれば、ノクシャスの目がこちらを見た。
「お前みてーのは、このプリンパフェがお似合いだろ」
「わ、甘そうですね……ノクシャスさんは甘いのが好きなんですか?」
「あ? なんで」
「だってさっき、すごく甘そうなものを飲んでたので」
そうちら、と見上げれば、ノクシャスはそっぽ向いた。
「別に、嫌いじゃねえだけだ」
「そうなんですね。俺も結構好きですよ、甘いもの」
「……そうかよ」
「はい。……あ、すみません。このプリンパフェ? ください」
「……」
通りかかったウエイトレスさんに注文すれば、無言で頷いたウエイトレスさんはすぐにカウンターの方へと引っ込んだ。
それにしても、と俺はノクシャスをちらりと盗み見る。むぐむぐと頬にピザ詰め込んで飲み込むノクシャスの横顔はどう見ても不機嫌なそれだ。
やっぱり、さっきの安生への頼み事かな。
あのときのノクシャスの反応を見る限り、あれしかない。あれ以降ずっと、なんだかよそよそしいのだ。
無視されるわけでもないし、やっぱりノクシャスは優しいけどもだ。ただでさえ変な感じになってしまった分、余計空気がぎこちなく感じずにはいられない。
届いたプリンパフェを突きながら、なんとなく気まずい空気が流れた。
状況が状況なので和気藹々としてる場合でもないと分かっていたけども、とそんなことを考えながら、口にしたプリンの欠片の甘さにどんどん胃が重くなっていく。
……というか、めちゃくちゃ甘いな。
なんて思っていたときだ。
テーブルの上に置いていた端末の画面が点滅し、メッセージ受信を知らせてくれる。
――サディークからだ。
慌てて端末を手に取り内容を確認した俺は、そこに書かれていた内容に息を飲む。
隣に座っていたノクシャスが、「なんだって?」とこちらを覗き込んだ。
「……えーと、その……一応会ってはくれるみたいなんですけど、その」
「『指定した場所へ来てほしい』……ああ? テメェが来いって返事しろ」
「え、あ……ノクシャスさん待ってください……っ!」
ひょいと端末を取り上げてくるノクシャスに、慌ててしがみついたときだった。
俺たちの声が聞こえたのだろう、二階から安生が降りてくる。
「ああ、返事が返ってきたんですか?」
「ああ、みてーだ。……一人でアジトまでこいつを越させようとしてる」
「なるほど、やはりそうきましたか。善家君に全て知られてると思い込んでてヤケになってるか、はたまた人質にでもするつもりなんでしょうね」
あっけらかんと口にする安生の言葉に、胸の奥がずしりと重くなる。
――そんなわけがない、と思いたかった。
けれど、違和感は確かにあった。文章のこの感じ、普段のサディークのあの自分語りと入り混じったような文面を思い返す。たまにそっけないときもあったけど、こんなしっかりと細かく住所付きで指定することもなかった。
――状況が状況だから、向こうも追い込まれてると分かっていたとしたらそりゃ普段通りのままじゃないかもしれないけれども。
「で、どうするんだ」
「善家君、私が今から言うことを自分なりに噛み砕いて返信をしていただいてもいいですか?」
「は、はい……」
「『道がわからないので途中まで迎えに来てほしい』――甘える子犬のような感じの文体でよろしくお願いします」
なんだその注文は。
「無茶言ってんじゃねえ」
「あくまで下手で、何も知らないふりで構いませんよ。サディークだけをこの建物から――いえ、結界の外に出せればすぐに解決できることなので」
そう冷ややかに笑う安生に、俺は大丈夫だろうかと不安になりながらも「わかりました、やってみます」と頷いた。
それから安生たちから『もっと子犬のような感じで』と指導を受けながらも俺はサディークへの返信メッセージを完成させた。
そして、すぐにそれを送信する。
ふう、とひと呼吸置いた。先程の感じからすれば、また返信が返ってくるのは時間かかるだろうと思ったのだ。
けれど、思いの外サディークからの返信は早かった。
『わかった』
そうメッセージの1行目に打たれた文字を見て、ああ、と思った。
椅子に腰をかけ、何杯目かのコーヒーを飲んでいた安生は無言で立ち上がり、そして俺の肩を叩く。
「準備をしましょう、善家君」
「安生さん……」
「大丈夫ですよ、君を危険な目には遭わせませんので」
にこりと笑う安生の目は笑っていないように見えて、酷く恐ろしかった。
いつの日かテレビのモニター越しに見ていたニエンテを思い出しながらも、俺は頷き返した。
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