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俺の言葉を黙って聞いていたサディークだったが、やがて諦めたように目を伏せる。
そして、「カノン」と妹分の名前を口にするのだ。
「なに、サド君」
「……ちょっと、外で待っててくれない? ……良平と話があるから」
サディークの言葉に、カノンは「ん」と小さく頷いた。そして、こちらを気にしながらもカノンは部屋を後にするのだ。
ぱたん、と後ろ手に閉められる扉。
カノンが出ていったのを確認して、サディークは深く溜め息を吐きながらその場に倒れ込むのだ。それから、サディークの上に乗っかったままだった俺を退かす。
「あ、す、すみません……重かったですかね」
「ああそうだね、すごい重かった」
「う」
「……久し振りだ、こんな重いの食らったの」
「……サディークさん?」
おずおずとサディークの上から退こうとしたときだった。手袋を嵌めていたサディークの手に、そのまま手首を掴まれる。
思わずよろめきそうになったところを、サディークに抱き止められた。
「っ、ぁ、あの……」
「アンタって本当、わけわかんなすぎ」
「サディークさん」
「……俺、言ったのに。嫌いになってって」
「そんな、無理なことを言わないでください」
「……無理じゃない、酷いことだってした」
「でも俺も、サディークさんを傷付けました」
何を言われても今更折れる気にはならなかった。こちらを見下ろしてくるサディークに、ぐっと見上げたまま言い返せば、サディークははあ、と大きな溜め息を吐く。
そして、
「……ああ、もうめちゃくちゃだ。最悪だよ、本当に」
「サディークさん……」
「アンタと話してると、アンタに受け入れられると……わけわからなくなる」
サディークに抱き締められたまま、胸元に顔を埋めてくるサディークから逃れる気もなかった。せめて、拘束がなければサディークを抱き締め返すこともできたはずなのに。
それがもどかしくて、俺は「サディークさん」と身体を重ねるように寄せる。
「っ、良平……」
「拘束、外してください」
「……っ、でも」
「……このままじゃ、サディークさんに触れられませんので」
お願いします、と小さく呟けば、サディークの視線が揺れる。そして、そのまま背後の手に触れるサディークの指先を感じた。
ぱちんと音を立て、外れた手錠は地面へと転がり落ちる。それに目もくれず、俺はサディークを抱きしめた。
「良平……っ」
「サディークさん、カノンちゃんから話は聞きました。……サディークさんたちの目的も、地元のことも」
「……」
「俺はそれを聞いたとき、やっぱりサディークさんは優しい人だと思いました。……したことはもちろん悪いことですけど、もしかしたら俺がサディークさんの立場だったら同じことをしてたかもしれません」
誰を助けるために犠牲は付き物だ。それを最小限に済ませることがベストではあるが、その選択肢もなければ“そうせざるを得ない状況”に陥る。本人が拒もうとも。
そして、サディークはそれを選んだのだ。
「良平……お前は」
「サディークさん、俺に考えがあります。……協力してくれませんか」
そのまま、するりとサディークの手に自分の手を重ねた。
手袋の隙間に指を這わせ、そのまま指を這わせれば触れ合った箇所からサディークの熱が流れ込んでくるようだった。ぴくりと震えるサディークの手を握り締めたまま、俺は念じる。
「っ、よし、ひら」
「俺の心、読んでくださいサディークさん」
強制はしたくない。それでも、俺にはいくつかカードがある。
俺一人では上手く使いこなせなくても、サディークがいればジョーカーにもなり得るカードだった。
「俺に力を貸してください、サディークさん」
「……君ってさ、たまに強引だよね」
「サディークさん……」
「ずるいよ、選択肢与えるふりしてさ……本当に、俺の扱い方上手いよね……ちょっと。いや、怖いくらいにね」
サディークは目を伏せる。疲れたような目をしていたサディークだったが、やがて諦めたように俺の手を掴んだ。――手袋越しに。
「……っ、……!」
「俺が断ったら、今度はなにして脅すつもりだったんだろうね」
「俺は、サディークさんに無理強いするつもりは……」
「その言葉が脅してるんだよ……わかんないかな。それとも、それも敢えて?」
そして、サディークはそのまま俺から身体を離した。
「サディークさん」
「困るよ、俺に選ばせるのは。……わかってるだろ?」
「それって」
「どうせ、このままいてもなにも変わらない。……それに、カノンが裏切ったのも聞いてしまった今、俺がどうしたって共犯者のレッテルは剥がされないんだし」
そのレッテルを剥がす方法もある、カノンと俺を謀反者として突き出すことだ。しかし、元よりサディークの頭にはそれが入っていない。
――やっぱり、優しい人だと思う。それでいて憐れなほど損気な体質だとも。
「――協力、するよ」
「サディークさん……っ!」
「けど、俺は役に立たない。勝手に頭数に入れてもいいけど、……君の期待に添えられるとは思わないでほしい。……そういうの、重いし」
恐らく、なんとなくだけどサディークはこの秘密結社に誘われたときも同じことを言ったのだろうと思う。
サディークはなにもわかっていない、サディークが味方でいてくれるだけでも俺にとっては無敵に等しい。
嬉しくて、けれど思わず抱きつくタイミングを逃してしまった俺はサディークの胸にしがみつくのが精一杯だった。
「っ、な、に……」
「……ありがとうございます、サディークさん」
「お礼、言われるようなことはまだなにもしてないんだけど……」
「けれど、ありがとうございます。……俺、頑張ります」
「……それは結構だけど、いいの。なんか時間気にしてるみたいだったけど」
言われてハッとした。
ばつが悪そうな顔をしたままサディークはふい、と視線を反らす。どうやら先程触れたときに俺の思考も読み取ったらしい。
「っそうです、サディークさん。紅音君――トリッドに会わせてほしいんです」
「トリッド……って、あの新顔君ね。あいつがなんなの?」
サディークが味方になってくれた今、情報は共有しておくべきだろう。
それに、あの謎の毒電波があるにしてもサディークには浅いところにある思考を読むことは可能なのだ。隠し事はただ心象を悪くするだけになる。
俺は簡単にサディークに俺の目的と安生の目的を話した。
安生の目的はあくまでトリッドの奪還であり、ECLIPSEの面々を殲滅するということは言っていなかった。
だったら、最悪トリッドを連れて帰ることができれば。そしてそのときのECLIPSEの対応次第では罪を軽減させることも可能だろう。
――あの安生相手にどこまで通用するかは不明だが、試してみる価値はある。
「……それで、トリッドを助けたいんです。けど、カノンちゃんが言うには羽虫さんの触手が見張ってるからって……」
「羽虫の触手は羽虫と一心同体だ。……触手が感知したものは羽虫に伝わる」
「……やっぱり」
「羽虫に一時的に触手を引っ込めさせるのが一番手っ取り早いか、それか……」
なにか思いついたように口を開くサディークだったが、「いや、でもこれは流石に」と口籠る。
「サディークさん、いい作戦を思い付いたんですか?」
「……いや、その」
「……? なんですか?」
「なあ、良平……もし、もしトリッドを奪還したとして、そのあとのことは考えてるのか?」
露骨に話題を変えられてしまった。
けれど、サディークの言葉も確かに大切なことではある。
「上手く行けば一旦そのまま地上へと戻ろうと思います。……そのときには、サディークさんとカノンちゃんも連れて……」
「……俺達もか?」
「あくまでもECLIPSEの方々の前ではトリッドと俺に捕まった体でいてもらうのが一番いいんですけど……」
全てが上手く行けば、の話だ。一番最悪なのがECLIPSEからも裏切り者認定され、evilからも受け入れられなかった場合だ。
それだけはないとは思いたいが、最悪の場合は常に頭に置いておくべきだろう。そのためにも選択肢は残しておく、それがECLIPSEとの繋がりだ。
うんうんと考え込んでいたとき、サディークは「ねえ、良平」と俺の服の端をちょい、と引っ張ってくる。心なしか少し距離も近い。
「どうしたんですか? サディークさん」
「作戦……ってほど大したものじゃないけど、触手を退かす方法。一個だけある」
「本当ですかっ?」
思わず声が裏返ってしまう。サディークはこくりと頷いた。
「……けど、本当に最終手段っていうか……奥の手ってか……」
「いいです、なんでも。少しでも可能性があるのならその案、教えて下さい」
そう、興奮のあまり思わず身を乗り出し、サディークの上に乗り上げる俺。サディークは相変わらずバツが悪そうに目を伏せた。そして。
「――良平、君が触手を誘い出すんだよ」
「……へ?」
「触手に好かれてる君なら、可能性としては一番安全且つ効率がいい……と、思うんだけど」
言いながら、サディークの語尾はどんどん小さくなっていく。じんわりと赤くなるサディークに釣られ、俺の顔まで火照ってしまっているようだ。
それって、つまり。
「……良平が触手を引き付けている間に、俺がトリッドを連れてくる。……多分これが一番手っ取り早い」
ぬるぬるとした無数の足が全身を弄ってくる感覚が蘇り、胸の奥がじわりと熱くなる。
つまりサディークは、俺に触手に抱かれてこいと言ってるのだ。要約すると。
「さ、サディークさん……」
「っ、違う、別に変な意味じゃないし……! ただ俺はそういう選択肢もあるって言いたかっただけで、別に他意とかは……っ!」
「……っ、わかりました」
「そうだよ、嫌なら別に……って、え」
「ここでゴネてる場合ではなさそうですし、その案、乗らせていただきます」
恥ずかしくないといえば恥ずかしいが、別に触手たちに害意はない。ただ隙きを作るために一緒に遊ぶくらいの感覚ならば受け入れられないというほどの話でもない。
そんな俺の言葉に、提案者であるサディークは押し黙る。そして冷や汗をだらだら流しながら、「ほ、本気で言ってるの……?」とサディークがこちらを見た。
何故言い出しっぺの本人がこの反応なのか些か疑問ではあるが、今俺たちに残された時間は少ない。
「はい。……それに、俺としてもなるべく穏便に済ませたいので」
「わ、かった……」
「な、なんでサディークさんが照れるんですか……?」
「いや、別に……照れてないし」
何故そこで強がるのかも謎ではあるが、一旦話はまとまった。
それから待たせていたカノンにも話を通した。
一連の流れとしてはこうだ。
カノンが上で他のメンバーを引き止める。その間俺が触手を引き付け、そしてサディークが紅音の拘束を解く。
言葉にしてみれば単純明快ではあるが、実行に移すとなると難易度は変わってくるだろう。気は抜けない。
「それじゃあサディークさん、カノンちゃん、よろしくお願いします!」
「あ、ああ……」
「うん、よろしく」
――というわけで、カノンと別れた俺は紅音が監禁されているという部屋までサディークとともに向かうことになった。
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