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 長い間眠っていたような気がする。  というか、なんで眠っていたのかも覚えていない。なんだっけ、と思いながら瞼を持ち上げたとき。 「んぅ……」 「あ、善家君起きた~?」 「ぅ、わ……っ!!」 「あは、凄い飛び跳ねたね~。けど、まだ無理して動かない方がいいよぉ。君の体は生身なんだし」 「も、モルグさん……?」  俺はどこかの研究室のベッドに寝かされていた。膝上にかけられたブランケットはモルグが用意してくれたのだろうか。  デスクでなにやら作業していたらしいモルグは立ち上がり、そして椅子にかかっていた白衣を羽織る。 「あれ? もしかして覚えてない? 君、洗浄してる間に気絶しちゃったの」  そのままベッドのところまでやってきたモルグ。この部屋にはモルグに似た甘い、それでいて薬品特有の独特な匂いがした。  その香りに気を失う前の出来事が蘇った。  ――あれ、夢じゃなかったのか。 「す、すみません……俺……」 「寧ろよく保ったねえ。僕としてもいいサンプル取れたから気にしないでねぇ」 「さ、サンプル……?」 「もう安心して? 一応その体に残ってた誰かさんたちの精液も植物粘質物もぜーんぶ洗い流しておいたから」  顔が熱くなるのもつかの間、さらっと口にするモルグに冷や汗が滲んだ。そして、にっこりと微笑むモルグはそのまま凍りつく俺にトドメを刺す。 「ぁ、えと……」 「データ照合した結果、彼とノクシャスの元コバンザメ君――デッドエンド君のものと合致したんだけど?」 「あ、あの、それは……」 「それと、一応体中に残ってた擦り傷キスマその他諸々も目立たないように治しておいたよ~。括約筋と肛門内部の裂傷も目立ったからそこの粘膜修復しておいたから、これでもう日常生活には支障でないはずだね」 「ぁ、ありがとうございます……」  バレてしまった、モルグ相手に隠し通せるとは思わなかったけど。  どう説明するかで頭の中はいっぱいになり、後半のモルグの言葉は最早なにも入ってこなかったが確かに全身がかなり楽になっていた。  あのときのあれが夢では無いとしたら、まだ違和感は残っているはずなのにそれも感じない。 「それで? なにがあったの?」  このまま有耶無耶になってバレなかったことにはならないだろうか、と強く願ったが、そんな俺の願いもあっさりと捨てられる。  そして、ベッドに腰をかけたモルグはそのままこちらを覗き込んでくるのだ。いつもと変わらないにこにこ笑顔で。 「も、モルグさん……」 「あは、そんなに震えないで大丈夫だよ。少なくとも、僕もボスたちもみーんな君には直接手を出したりはしないから」 『君には』の部分が不穏すぎるのだ。  その時のことを考えたらサディークを庇うだとか、ECLIPSEの皆を見逃してもらうことも不可能だろう。それだけは避けなければならない。 「モルグさんっ」と慌てて俺は起き上がった。 「っ、このことは、兄には秘密にしててください……」  そう頭を下げれば、モルグは穏やかな表情のままこちらを見る。けれど、笑みを浮かべた口元とは裏腹にこちらをじっと見るその眼は鋭い。  ――探られている。 「どうして? 合意だったってこと?」 「ご、合意か否かって言われたら難しいですけど……」 「もしもしボス?」 「わー! も、モルグさん待ってください!」  慌てて連絡端末を起動させるモルグの腕にしがみつけば、「なーんてね」とモルグは笑った。そして俺の頭を優しく撫でるのだ。 「……取り敢えず、僕になら本当のこと話せそう?」 「それとも、ボスが帰ってきてからの方がいい?」あまりにも両極端な二択ではあるが、いきなり兄に体液諸々の説明するには心の準備ができていない。 「と、取り敢えず……モルグさんにお話させてほしいです」  冷や汗が止まらない俺に、「うん、わかった」とモルグは笑った。 「……ということがあって、その、サディークさんは確かに悪いことをしたんですが、それはスラムの子どもたちのためでもあるというか……」 「なるほどね~、だから善家君は助けたいんだねぇ」 「はい……」 「だから乱暴なことされても許してるのぉ?」  歯に衣を着せぬモルグの言葉に思わず俺はギクリとした。それを言われてしまえばなんと言えばいいのか困ってしまう。  「え、ゃ、そ、それは……っ、その、成り行きというか……」 「随分と手荒な真似されてたみたいだったけどねぇ、それでも庇うんだ?」 「も、モルグさん……」  やはり、モルグはサディークたちのことをよく思っていないということなのだろうか。それも無理もないと思うが、ここで俺が言い負けてしまえばサディークやカノンにも申し訳ない。  必死に言葉を探していると、「なんかさ」とモルグは考えるように天井を見上げる。 「僕も善家君の気持ちは分かるけど、なーんかきな臭いよねえ。やり方がさ」 「それってどういう――」 「取り敢えず、一旦彼やトリッド君にも話を聞くのが懸命だねえ。……それに、気になることもあるし」  顎の下を撫で、モルグは小さく呟いた。その言葉を俺は聞き逃さなかった。 「気になること、ですか?」どういうことだろうかと聞き返せば、にこりと笑ったモルグは「あ、こっちの話ね~」と手をひらひらさせる。躱されてしまった。  完全にサディークたちを擁護できたわけではないが、一旦保留となっただけでもマシ……と思うことにしよう。  そして、本題はここからだ。  きゅっと膝の頭を掴み、俺はベッドの隣に腰をかけてくるモルグへと向き直る。 「モルグさん、それで、あの……怪我のことは兄に秘密にしてもらえませんか?」  そう頭を下げれば、モルグの表情は先程よりも困ったようなものになった。 「うーん……まあ僕も君にはお世話になってるし、お願いはなるべく聞いてあげたいけどさ」 「モルグさん……っ」 「だめだめ、そんなしょんぼりしたって」 「モルグさん……」 「だ~~め、だめでーーす」  必死に縋りつこうとするが、ひょいと簡単に体を避けられる。そんな攻防をしたのち、そのままつーんと知らん顔してそっぽ向くモルグ。この先はなにも受け入れるつもりはないという顔である。 「そんな……」と項垂れた時、ちらりとこちらを見たモルグは声を上げた。 「っ、あー、もうわかったわかった。そんな目で僕を見ないで」  ほら、と体を抱き締められる。まるで駄々っ子をあやすかの如く背中を撫でられると、なんだか恥ずかしかったが酷く安心してしまうのも事実だった。 「今回はボスには怪我の詳細は伏せておくけど、僕が彼らを庇う必要はないと判断したときは分かるけど保証はできないよ?」  それでもいいの?と耳元で囁かれる。そこ言葉だけでも俺にとっては救いのようなものだ。 「はいっ」と慌てて顔をあげ、頷き返す。 「ありがとうございます、モルグさん……っ!」  そう改めてお礼を口にすれば、モルグは「善家君には敵わないなあ」と笑った。  取り敢えず、目下の心配事の一つはなくなった。そう胸を撫でおろす。  今気になることといえば。 「そういえばトリッドは……」 「ああ、そろそろ意識戻ってる頃合いかな。お話するのは僕は専門外だからねえ、任せてたんだけど」  そう言いかけたときだった、そっと俺から体を離したモルグはそのまま白衣のポケットから連絡用の端末を取り出した。 「噂をすれば、ってやつかな」そう端末を操作しながら立ち上がるモルグ。どうやらトリッドを見ていた職員からのようだ。  俺をベッドに残したまま、立ち上がったモルグはそのまま通話を繋げる。 「どしたのー? ……はーい、りょーかい、すぐ向かうね」  その通話時間は数十秒ほどだった。あっさりと通信を終えたモルグはそのまま端末を白衣へと戻し、ゆっくりとこちらを振り返る。 「新入りの彼、目を覚ましたみたいだね」 「本当ですか? け、怪我とかは……」 「擦り傷程度。なんなら君よりも全然軽症だったからねえ。バイタルにも問題なさそうだって。……ただ、」 「た、ただ……?」 「すごいお腹空かせているみたいだから様子見に行くついでに食事届けてくるよ~」  神妙な顔をするモルグに何かあったのだろうか、と思わず腰を浮かせる俺は思わず脱力した。そして、その言葉に安心する。 「お、俺も一緒に……っ!」 「残念だけど善家君、君はまだここで休んでおいてねえ」  気絶する前の紅音の様子もあった分気になったのだが、モルグに「一応君も今回の件に関しては参考人でもあるから」としっかり釘を刺されてしまう。  それを言われてしまえばもうぐうの音も出ない。 「う……は、はい」 「聞き分けの良い子だねえ」  項垂れる俺の頭を撫で、モルグはそのまま耳に触れる。 「色々気になるかもしれないけど、そんな不安そうな顔をしないでも大丈夫だよ。本当に彼らが君の信じてるような人物だっていうなら」 「モルグさん……」  慰めてくれているのだろうか。  顔を上げれば、にこりと笑ったモルグはそのままゆっくりと立ち上がった。耳を撫でていた指が離れ、ほんのりとした熱だけが耳朶に残る。 「じゃ、お留守番よろしくねえ」  そして手をひらひらと振りながら、モルグは部屋の扉から出ていった。モルグが出たあと自動で閉まった扉は当たり前のようにロックがかかっていて、俺が近付いてもうんともすんとも言わなかった。  こうなってしまえば仕方ない。  とにかく、モルグたちを信じて待つとしよう。  ……サディークさんも、大丈夫かな。  色々心配事は尽きなかったが、そう祈ることが精一杯だった。

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