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モルグが出ていったあとの部屋の中、どうしたものかと俺はベッドに寝転がったり起き上がったりしていた。
ここからでは外の様子は分からないし、かと言って勝手に動いたらモルグにも迷惑がかかりそうだし……。
分かっては居ても、なんだかそわそわしてしまう。
今サディークたちは事情聴取をされているのだろうか、とか。デッドエンドたちはどうなったのか、とか。
そんなことばかりを悶々と考えている内にうつらうつらとしてしまう。
駄目だ、皆が大変なときに俺が寝てばっかでは。と必死に眠気と格闘していたときだった。
「あのさあ、寝るならベッドで寝たら?」
何度目か瞬きをしたときだった。部屋の隅、先程までなかったはずの黒い影が見えたと思った次の瞬間、聞こえてきたその声にぎょっとした。
「な、ナハトさん……?!」
「なに、俺がいて問題ある?」
「い、いえ……」
俺はもしかして夢でも見ているのだろうか。そこには仮面を嵌めたヴィラン姿のナハトが壁にもたれかかって足を組んでいた。
頬をつねれば、痛い。――夢ではない。本物のナハトさんだ。
「あの、いつ戻られたんですか? っていうか、俺、寝て……」
「今。……ていうか寝るなら寝るでハッキリしたら? 俺が帰ってきたのも気付かないとか相当だけど」
「す、すみません……」
「別にいい。寧ろ、じっと大人しくグースカ寝てられてた方が俺も安心する」
そうか、ほんのちょっと目を瞑っていたつもりだったのだが意識が飛んでたらしい。
恥ずかしいところを見られてしまったな、と俯いたとき、ベッドが軋む。気付けばすぐ隣にはナハトが腰をかけていた。
そして仮面を外したナハトはそのままじろりと俺を睨むのだ。
どう見ても怒っている顔だった。
普段から怒ってるようなところもあるが、それでもそれとは比にならない。正直心当たりがありすぎて、俺はナハトの目を直視することはできなかった。
「な、ナハトさ――」
とにかく、事情を説明しておくべきなのだろうか、と口を開いたときだった。
いきなり目の前のナハトに腕を掴まれる。「わ、わ」とバランス崩しかけたところをそのままナハトの腕の中、捕らえられてしまった。
「っ、な、ナハトさん……っ?!」
「アンタさ……ほんっっと、自分のことなんだと思ってんの?」
すぐ耳元、至近距離。吹きかかる吐息に、いつもとは違う少しだけ焦ったような声に、心臓がどくんと跳ねた。
――ナハトに抱き締められている。
そう理解したとき、全身の体温が一気に上がったような気がした。
ナハトさん、と言いかけたとき、そのままむにっと頬をつねられた。相当手加減してくれてるのか痛みはないが、我慢ならないといった顔でナハトはそのまま俺の両頬をもちのようにむにむにと引っ張り「ねえ」と目尻を釣り上げるのだ。
これは相当怒ってる顔だ。
「ご、ごめんにゃひゃい」
「ごめんで済むなら俺達がわざわざ招集かけられることはなかったし、ノクシャスのやつ一人で済んだの。……っ、はあ、くそ、安生のやつ……ムカつく」
「にゃ、にゃひゃとひゃん――」
本当に心配してくれたのだろう。確かに、今回の件はナハトは聞かれされてなかったはずだ。
そのときのナハトのことを考えると申し訳なると同時に、心配してくれた事実に喜んでしまう不謹慎な自分もいた。
ごめんなさい、とぐにぐに頬を引き伸ばされながらも謝ったときだ。ぱっと俺の頬から手を離したナハトはそのままぽすりと肩口に顔を埋めてくる。
「――ノクシャスのやつからアンタが泥棒猫連中のアジトに人質にされたって聞いたとき、心臓停まるかと思った」
「っ、……そ、れは……」
「安生からも聞いた。けどあれはアイツの独断だし、そもそも俺からしてみたらそんな場所に連れて行ったノクシャスのやつも許せないんだけど。……ねえ、わかってる?」
「し、心配かけて……ごめんなさい」
むすりとしたままナハトは無言で俺を見上げた。なんだか猫に擦り寄られているような気分だった。嬉しくて、けれどどうしたらいいのかわからない。心臓が痛くて、どこを見たらいいのかわからない。
そんな俺を見上げたまま、ナハトは無言でようやく形が戻りかけていた頬をまたむにっとつねるのだ。
「い、いひゃ……」
これ以上は頬が伸びてしまう。許してください、と何度目かの謝罪を口にしようとしたとき、目の前で影が動いた。
ひりひりとしていた頬に手を添えられたまま、軽く唇になにかが柔らかい感触が押し付けられる。長い睫毛がぶつかり、目の前が黒で塗り潰された。
「……っ、な、はとさん」
「むかつく。……本当に」
「ん、う」
ナハトにキスされている。
ちゅ、と角度を変えて重ねられる唇の熱は、あっという間に全身へと伝播した。行き場をなくしていた手をナハトに握られ、重ねられる。濡れた舌に柔らかく唇を舐められ、胸がきゅっと締め付けられた。
じゃれつくようなキスだった。柔らかく噛み付かれ、覆いかぶさってくるナハトにそのままベッドの上に押し倒されそうになる。
「ん、ぅ……っ、ぁ、……っ、ま、なは――」
ナハトさん、これ以上は俺がまずいです。
そう言いかけたときだった、ぴくりとナハトの肩が反応した。
そして次の瞬間、自動扉が開く。
「おい良平、無事か――って、あ? なにやってんだお前ら」
「……別になんも、てかノックくらいしろこの脳筋馬鹿」
「うるせえな、いちいち余計なんだよ一言……っておい、なんでこいつはベッドから転がり落ちてんだ?」
「知らない。寝相悪かったんだろ」
「……………………」
ナハトさん、すごい。
ノクシャスが入ってくる寸でのところでベッドから転がされた俺は、ナハトの耳の良さと臨機応変さ、そして先程までの熱の余韻すら感じさせないままノクシャスと対峙するナハトに心の中で拍手した。
俺はそんなに急には切り替えられないだろう。これがプロというやつなのか。
「ていうか、こいつになんの用?」
「ああ? 別になんでもいいだろ。……つーか、お前こそなんでここにいんだよ」
「俺はこいつの見張りにきただけ」
「ならもう帰っていいぞ。俺が代わる」
言いながら部屋の中に入ってきたノクシャスはナハトを睨む。そんなノクシャスの態度が癪に障ったようだ、「は?なんで」とナハトのこめかみがぴくりと反応するのを見て、俺は慌てて起き上がった。
「あ、あの……お二人とも、もしかして喧嘩してますか?」
「してない」
「してねえよ」
「は、はいっ! す、すみません……」
ハモってるし。
……じゃあなんなんだ、この空気の悪さは。
二人が仲がよろしくないというのは散々知ってるが、なんだか今日は一段とそう感じる。いつもならいるはずのクッション材でもあるモルグが居ないからそう感じるだけなのかもしれないが。
「あ、あの……ノクシャスさん、ナハトさん。デッドエンドさんたちはどうなったんですか?」
気になって尋ねれば、二人の視線がこちらを向く。デッドエンドの名前を出した途端、ノクシャスの眉間の皺が更に深くなったのを俺は見逃さなかった。
「どうもこうも、逃してたらノコノコお前の様子見になんて来れねえよ」
「……そーいうこと」
「ってことは……皆さん捕まったんですか?」
「俺を誰だと思ってんの?」
驚く俺にそう笑って応えたのはナハトだった。流石だ、とついドキドキする俺の横、ノクシャスは「はいはい」と面倒臭そうに足を組み変える。
「うっかり殺しかけてたやつがなに言ってんだか」
「あの金髪頭がうるさかったから黙らせようとしただけ」
「え、金髪って……」
あの中に金髪頭はデッドエンドしかいない。なにかあったのか、と思わずナハトを見れば、ナハトは叱られた子供のようにふい、と顔を逸らすのだ。
「どっかの誰かさんが部下の調教ちゃんとしてないのが悪い。代わりに俺が上下関係叩き込んでやっただけだし」
「な、なにしたんですか……?」
「別に。ボスに言われた通り死なない程度に締め上げた」
「そ、それは……」
本当になにがあったんだ。ノクシャスもノクシャスで否定しない辺りが妙に引っかかったが、それよりもだ。
「じゃあ、皆さんは皆捕まってるんですか?」
「そういうこと」
「……そうですか」
一先ずは無事を祈ることしかできないが、兄のことだ。俺との約束は守ってくれると思いたい。
「なにほっとしてんの?」
「え! い、いや……その……」
「あのときも妙にあいつらに肩入れしていたみたいだし――もしかして、アンタ」
そう、ナハトが言いかけたときだった。再び部屋の自動ドアが開く。
そして、そこから現れた人物を見てナハトもノクシャスも慌てて姿勢を正す。
「ボス」とナハトが呟けば、ボス――もとい兄は別れたときと同じ姿のままこちらを見て「やあ」と微笑んだ。
「ナハトもノクシャスもここにいたのか。……疲れただろうから休んでいいと言ったのに、悪いね、良平の面倒を見てくれて」
「兄さん」
ECLIPSEのアジトで別れたとき、話はあとから聞くと兄は言っていた。
ということはもしかしてその時がきたということなのだろうか。俺も慌ててベッドの上で正座すれば、兄は「良平」と手で止めるのだ。
「お前が言いたいことは分かってる。……その前に、ノクシャス、ナハト。二人とも、悪いが席を外してもらって構わないかな?」
兄の一言に空気が変わるのが分かった。
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