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兄の一言により、ナハト、ノクシャスが出て行った後。部屋の中には兄と俺の二人だけが残ることになった。
早かれ遅かれこうなることは分かっていたはずだけど、やはりいざその時が来ると緊張してしまう。
「あの、兄さん……」
「そうだな、色々俺に聞きたいことがあるんだろう?」
俺の視線に気付いた兄は、「俺も同じだ、良平」と微笑むのだ。俺の頭の中でも覗き見たというのか、その言葉と笑顔にぎくりとした。
「一先ずお前が言ったように彼らは捕縛し、現在は眠らせている。準備が整い次第、話を聞かせてもらうことになるだろうな」
兄の言葉に、ECLIPSEの皆の無事が分かって「よかった」と思わず口からぽろりと溢れてしまう。そんな俺の言葉に「よかった、と来たか」と兄は目を細めた。
しまった、と慌てて口を抑えたときにはもう遅い。兄は真っ直ぐにこちらを見据える。
「次はお前の番だぞ、良平。――その安堵の理由を聞かせてもらおうか」
「わ、わかり……ました」
ここまできたら腹を括るしかない。
俺は深呼吸をし、兄――この会社のトップである男と対峙することとなった。
カノンから聞いたまま、ECLIPSEの事情を兄へと説明する。ベッドに腰をかけたまま、兄は黙って俺の話を聞いていた。
けれど、話している間その硬い表情が変わることはなかった。
「だからその、確かに今回のスパイ行為は許されないかもしれないけど……」
「できることなら見逃してやってほしい」
「……!」
「それとも、お前のことだ。再雇用して安定した収入を得られるようにしてやってほしい、か?」
俺の思考を先回りしてくる兄に驚いた。
サディークのように思考を読み取ってるわけでもない。どうして、と顔をあげれば、兄はなんとも言い難い顔をして俺を優しく見つめるのだ。
「お前は本当に昔から優しい子だった。――ああ、心配になるほどな」
その言葉には咎めるような意が含まれているのが分かったからこそ、俺は余計なにも言い返すことができなかった。
「その故郷の状況については彼らが目を覚まし次第詳細を確認しよう。必要があれば実際に視察に向かわせる。そこまでするほど追い詰められているというのなら、とっくに金額では解決できるような状況ではない可能性もあるからな」
もしかして、許してもらえないのではないのだろうか。サディークたちにああ言った手前、もう俺の知っている兄ではなかったらと不安になっていたところに出てきた兄の言葉に思わず俺は顔をあげる。
「兄さん……! ありがとうございます!」
やはり兄さんは兄さんだ。ちゃんと気にかけてくれる兄の言葉が嬉しくて思わず飛びつきそうになるのを堪える。
そんな俺に、兄は「まだ話は終わってないぞ、良平」と苦笑を漏らした。そしてすぐ、レヴェナントの顔に戻るのだ。
「今回の件に関して、彼らの行為はこちらの信用を大きく傷つけた。いくらそこに目的があろうと、やったことには変わりがない」
「は、はい……」
「デッドエンドとサディーク、二人は曲がりなりにもうちの社員だった。そして洗脳されたわけでもなく自分の意志で自ら我々を裏切った」
「……俺が言いたいことがわかるか? 良平」そう問い掛けてくる兄は優しい口調だが、経営者でもある兄として何も思わないはずはないと分かっていた。兄の言葉に、俺は思わず言葉に詰まってしまう。
「一度失った信用を取り戻すのは難しい。それも、信用と信頼によって成り立っているこの会社では特に許されざる行為だ」
「……兄さん」
「最初から全て事情を話してくれていれば改善の余地はあっただろうが……そこまで手が回っていなかったのも事実だ」
そこまで言って、兄は「すまない、お前に聞かせる話ではなかったな」と小さく咳払いをする。
デッドエンドのことを気にしているのだろう、と思った。事の発端といえば、濡れ衣での不当解雇によりデッドエンドが恨みを募らせたことが大きなトリガーにもなってる。
話を聞く限り、それまではデッドエンドもここまで無鉄砲ではなかったらしいし……。
「どちらにせよ事情聴取は行うが、以前のまま復帰するのは難しいと思っておくんだな」
「……わかりました」
少なくとも当時を知らない俺からしてみればなにも言えた立場ではない。
それでも少しでもこんな危険な稼ぎ方をせずに済むのなら、と思ったが――やはり難しいのだろうか。
そう項垂れていると、兄にそっと頭を撫でられる。
「そんな顔をするな。うちの会社では、という話だ。
――まあ、それも彼らの態度次第だがな」
そう静かに付け足す兄に俺はがばりと顔を上げた。
このまま彼らが許されない可能性も考えていたが、兄は兄なりに考えてくれているのだ。従業員たちのことも、皆のことも。
「ありがとう、兄さん」と思わず抱きつきそうになり一度堪えたが、やはりいてもたってもいられなくてそっと兄の体に凭れかかれば、兄は小さく笑って俺を抱き締めた。
「いや、お前のお陰だよ――良平」
「兄さん……?」
「お前がこうして申し出て来なければ、俺はただのスパイとして処理していただけだった。……初心を思い出させてくれたのはお前だ、良平」
「……そう、かな」
「ああ、そうだよ。……が、今回は肝を冷やした。今度からはせめて一言言っておいてくれ、自分一人で突っ走るのも禁止だ」
「お前になにかがあれば、俺はここにお前を連れてきた意味がなくなる」そう抱き締める兄の腕に力が入る。スーツ越しでもわかる、何年も鍛え上げた腕は力強く、俺を離そうとしない。
「ごめんなさい、兄さん」とそのまま兄に凭れかかったまま、もう一度ごめんなさい、と呟いた。
兄だけではない、ナハトさんもノクシャスさん……一応モルグさんも、ここに来てこうして心配してくれる人ができたという事実がなんだか現実味がなく感じた。
そうか、俺のことを想ってくれてる人がいるのか。今までだったらあまり気にしなかったのに、不思議だ。
そんなことを思いながら、俺は兄の腕の中で目を閉じた。
「そういえば、良平」
「……うん?」
「話は変わるんだが、……以前話していた続きだ」
そのことについて聞きそびれていたな、と小さく咳払いする兄に釣られて顔を上げる。
なにか話していただろうか、と思い返してみるが色々ありすぎて心当たりしかない。
「話って?」
「――言っていただろう、好きな相手が出来たと」
兄の言葉を理解するのに少々時間がかかってしまったが、自白剤を飲まされたとき、確かに兄にそんなことを言っていたことを思い出した。それから怒涛のように色んなことがあったお陰ですっかり記憶の隅へと追いやっていたのだ。
――俺の馬鹿、いくら自白剤飲まされたからといって兄さんになんてことを言ってしまったんだ。
「に、兄さん……それは、その」
「あのときは状況が状況だったお陰できちんとした話は聞けなかったが、……確かイニシャルはNかMと言っていたな。一応聞いておくが、俺が知っている人物で間違いないのか?」
「あ、えと……」
どうしよう。言葉に詰まれば詰まるほど、肩を掴む兄の手が食い込んでる気がしてならない。
「に、兄さん、痛いよ……っ」
「あ、悪い。……そうだな、俺も大人げなかった」
「良平だってもう社会人だ、いつまでも子供じゃないんだしな」と珍しくごにょごにょと口ごもる兄。こんな歯切れの悪い兄は初めて見たかもしれない。
余程気になっていたのかもしれない。確かに、イニシャルだけ聞かされていたらそりゃ嫌でも気なるかもしれない。
だとすれば、これ以上兄を焦らすわけにもいかない。
「兄さん、あの、俺……」
腹を括った俺はベッドの上に正座する。そのまま兄に向き直ったとき、「ストップ」と兄に口を塞がれた。
「もご……っ!」
「悪い良平、俺から聞いておいてなんだが、やっぱりまた後でゆっくり聞こう。……この件が全て片付いた後な」
「もご……?」
「思ったよりも支障が出そうでな」
「お兄ちゃんの我儘だ、頼む」兄が自分のことをお兄ちゃんと呼ぶなんて、何年ぶりだろうか。あまりにも懐かしくなると同時に、ばつが悪そうな兄の顔を見てると頷くしかなかった。
俺も俺で命拾いした気分ではあったが、ただ先延ばしされただけ根本的にはなにも片付いていない。が、それはそれでよかったかもしれない。
それから早速ECLIPSEたちの様子を見に行くという兄を見送り、入れ違いになるようにナハトとノクシャスが部屋へと戻ってきた。
「おい良平、立てるか? ボスからお前を部屋に連れて行くようにと命令があった」
「つーわけで帰るぞ」とノクシャス。その隣にいたナハトが「なんでお前が言うの」とぼそりと吐き捨てた。
「ああ? なんださっきからお前はボソボソと」
「こいつの面倒だったら俺一人で十分だって言ってんだよ」
「そりゃこっちのセリフだ。……むしろ、お前は捕まえてきたやつらの事情聴取に回れよ。いつもだったらそういうの喜んで行くくせに」
「今回の担当は俺じゃないし」
「んだ、こいつ……」
部屋から出ていく前と険悪さは変わっていないどころかやや空気は悪化してるように感じてならない。
「まあまあ」と二人を宥めつつも、何故か二人に挟まれた状態のまま俺は社員寮の自室へと囚われた宇宙人のような体勢で連行されるのであった。
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