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――社員寮、自室前。
「すみません、わざわざ送って頂いて……」
「当たり前だろ、それが俺の役目なんだし」
「ナハトさん……」
「俺“たち”な」
「あ?」
「あ、ふ、二人とも……」
なんで今日に限ってこんなに二人とも機嫌が悪いのだ。……いや、俺のせいか。思い当たる節がありすぎるだけに何も言えない。
相変わらず今にも掴み合いになりそうな雰囲気すらある二人にどうすればいいのかと右往左往していたときだった。不意にナハトがぴくりと反応し、それから連絡用の端末を起動させるのだ。
メッセージの内容を確認したナハトは大きな舌打ちをする。ノクシャスは笑った。
「お? お呼び出しか?」
「なに嬉しそうな顔してんだよ」
「してねえよ、さっさと行ったらどうだ」
否定しながらも、そう促すノクシャスの顔には悪い笑顔が浮かんでいた。嬉しそうに見えるかどうかはともかく、楽しそうなのは分かる。
それにしても、やっぱりナハトは忙しいようだ。もう仕事に行かなくちゃならないのかと思うとどうしても寂しさが勝った。
「ぁ……ナハトさん、お仕事頑張ってください」
「……別に、アンタに言われなくても最初からそのつもりだし」
「ナハトさん……」
相変わらず素っ気ないな。そういうところもストイックでかっこいいのだが、寂しくないといえば嘘になる。
つい項垂れそうになったとき、そろりと伸びてきたナハトの指先が頭に触れた。そして思いの外優しい手付きで頭を撫でられ飛び上がりそうになった。
「……っ!」
「…………じゃ」
そのままキスでもされるのではないだろうか、と思ったが、流石にノクシャスの前だからだろうか。俺に顔を寄せたナハトはすぐに離れる。そして、そのまま俺に背を向けた次の瞬間には影ごとナハトの姿は消えていた。
「な、なんだあいつ……って、うわ、おい! どうした、顔真っ赤だぞ」
「い、いえ……なんでも……」
先程までのあれやこれやそれなどが一気に蘇り、ナハトが立ち去ったあとも余韻で顔がぽかぽかしてしまう。
皆ピリついてるし大変な時期なのだ、一因でもある俺がこんな風では駄目だ!と自分の頬を往復ビンタすれば、「今度は急になんだ?」とノクシャスにぎょっとされた。
「す、すみません、自分に喝を……」
「せめて一言言え、ビビるだろうが急に叩き出したら」
「ごめんなさい……」
違う意味でも頬が熱くなってきた。
ノクシャスの言う通りだ。冷静にならなければ、とぶつぶつと自分に言い聞かせていると、ふとノクシャスがこちらを見ていることに気付いた。
なんだ、今度はなにもしていないのに。
「ど、どうしたんですか?」とどぎまぎしながら尋ねれば、ノクシャスの視線が更に鋭さを増す。
「まさか、お前がこの前言ってた好きなやつって……」
――まずい、このタイミングでその件について突っ込まれるのはまずい。
主に、俺が。
「そ、その件に関しては……」
今更恥ずかしくなってしまい、もうどんな顔をしたらいいのか俺には分からなかった。
そんなときだった。いきなり伸びてきた手に肩を掴まれる。気付けば背中には硬い壁があり、目の前には約壁のようなノクシャスの体があった。頭上から全身へとすっぽりと覆い被さる影に迫られ、つい後退ってしまう。が、背後は壁だ。
「っ、の、ノクシャスさん……?」
「おかしいとは思ってたんだよなぁ。……ナハトの野郎、なんだかお前には妙に優しくなったし、俺のこと仇みてえな目で見てきやがるし」
「そ、それは……その、す、すみません……」
「なんでお前が謝んだよ」
次第に、降り注いでくるノクシャスの声が低くなっていくのがわかった。
なんとかノクシャスの腕の中から抜け出そうとするが、筋肉で覆われたノクシャスの腕一本に壁に押し付けられただけで、全身に根が張ったみたいに身動きすら取ることはできなかった。
「ぁ、その」と無意識の内に声が震える。
緊張や恥ずかしさもあったが、それ以上に先程よりも明らかにノクシャスの機嫌が悪くなっているのが肌で分かったからこそ言葉に迷う。
口籠る俺をじっと見下ろしたまま、ノクシャスは唇を開いた。
「――あいつと付き合ってんのか?」
目の前にはノクシャス、背後には壁。
――デジャヴだ。
前回は通信が入ったお陰でなんとかあやふやになったのだが、今回もそう上手くいくとは限らない。
それどころか、最早確信持って問い詰めてくるノクシャスに全身から冷や汗がだらだらと滲む。
「い、いえ、そういうわけではなくて! その、俺が一方的に慕ってるというか……っ!」
「でも、あいつのあの様子――あいつもお前のこと気に入ってんだろ」
「ぇ、あ……そ、それは……」
指摘され、更に首から上に血液が集まってくるのが分かった。気に入っていない、わけない。それで貫けばまだ誤魔化しようがあったはずなのに、その感情にやましさのようなものがある分、言葉がスムーズに出てこなかった。
そんな俺に、ノクシャスは苛ついたように舌打ちをする。
「……面白くねえな」
「ノクシャスさん? って、うわ、わ! ノクシャスさん?!」
そう言うなりいきなりノクシャスに腰を掴まれたかと思うと軽々と抱き抱えられてしまう。いきなり高くなる視界に驚き、思わずノクシャスを見上げた。けれど、ノクシャスはこちらを見ていない。
そのまま俺の部屋のロックを解除したノクシャスはリビングを抜け、そのまま奥にある扉の方まで歩いていくのだ。
――そっちは寝室だ。
「ぁ、あの、ノクシャスさん……っ!」
まさか、まさかいつもの流れなのか……?!
ノクシャス相手に力で勝てないし、かと言ってノクシャスを拒否して変な空気になるのも気まずいし……。
と頭の中でわーわーもう一人の俺と会議をしていたときだ。そのままベッドの側までやってきたノクシャスは足を止める。そして、抱きかかえていた俺の体をそっとベッドに寝かしてくれるのだ。
ま、まさかこのまま……とガチガチに緊張して固まっていたときだった。落ちかけていた布団を拾い上げたノクシャスは、そのまま俺に被せるのだ。
「……おら、さっさと寝ろ」
「あ……」
「お前みてーな体力雑魚、そんな簡単に復活しねえからな。……疲れてんだろ」
ぽふ、と胸の上を布団ごしに柔らかく叩かれる。向けられるその眼差しの優しさに、俺は自分がとんでもない勘違いで思い上がった人間だということを突き付けられてしまう。
俺は、俺はなんと心が汚れきってるのだ。
凄まじい勢いでやってくる自己嫌悪の波、それとともにやってくるノクシャスの気遣いに対する感謝に俺の心は大忙しだった。
「……ぁ、ありがとうございます」
もぞ、と布団から顔を出して、そのままベッドから離れようとしていたノクシャスに声をかける。俺のほうを振り返ったノクシャスは「おう」とだけ応えた。
俺が眠ってる間、そのままリビングで警護を続けるのだろう。
疲れてるのならノクシャスだって同じなはずだ。――俺よりも、ずっと一日忙しかっただろうし。
そう思うとなんだか申し訳なさの方が勝った。
だから、俺は咄嗟に出ていこうとしていたノクシャスの背中にもう一度「あのっ」と声をかけた。ノクシャスは足を止める。
「あ……あの、ノクシャスさんは」
「あ?」
「疲れてないんですか?」
「……あんなぁ、俺を誰だと思ってんだ?」
こちらを振り返るノクシャスは呆れたような顔をしていた。けれど怒ってるわけではないようだ。俺はそのまま布団を大きく捲った。
「俺のベッドでよかったら、休んで下さい。……ずっと出ずっぱりだったんですよね」
――別に、変な意味はない。ないはずなのに。
そのまま動きを止めるノクシャスを見て、俺はもしかしてまた余計なことを言ってしまったのだろうかと理解した。
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